その夢は、体積およそ4Lここ最近、リカオはプリンにハマっている。
スーパーからコンビニから、洋菓子店から。様々なプリンを買い集めては1日の終わりに食べるのが至福らしい。
それをヤスが知ったのは、2週間ほど前のことか。プリンの予約注文をしたいとリカオが言い出したのがきっかけだった。理由を聞けば、先程述べた通り。所謂マイブームなのだと照れるようにリカオは答えた。厨房にいた母の快諾を得て、予約を承った旨を伝えると、彼はほっとしたように尻尾を揺らした。
「ここのプリンは美味いからな。色々と食べていたらまた食べたくなった…です。」
その数日後、プリンを引き取りに来たのはおそらく数日徹夜続きであろうリカオだった。立て込んでいた案件にようやく片がついたと少しフラつきながらも微笑んでいた。
そんなにふらふらで来なくても言われれば日をずらしたし何なら母ちゃんが配達したのに、とヤスが詰れば、リカオは微笑んだまま答えた。こんな日だからお前の顔が見たかったし、こんな時だからこそ、この店のプリンが食べたかったのだと。
ヤスの店で売られるデザートは、保存の効くクッキーやパウンドケーキであったり、大福や羊羹であったり、はたまた保存に向かないゼリーやプリンであったりと、母親の気分とその日の食材の在庫で色々変わる。そして大抵は10個から30個程度の数量限定で、とてもありがたいことに夜までにはしっかりと売り切れていることが多い。
だから、リカオがふらりと店に来て、わざわざデザートの有無を確認するときは、大抵が徹夜明けの日だ。確かにそれはヤスも知っている。まあ、そうでなくとも毎回買っては行くのだが…。
リカオはこの店のプリンを気に入っているが、店頭に並ぶ機会は、実はあまりない。なんだかんだでたまごは使用頻度がとても高いからだ。
従って、プリンが食べたいから事前に予約するという行為はとても正しく、同時にありがたい事なのだけれど。徹夜明けの予定(実際その通りになった)なのに、わざわざそんな日に指定するほどなのかと、その熱意にヤスは少しだけ感動した。
「…まだハマってんの?」
「あぁ。色々食べてどれも美味かったが、やはり【夜風】とここのプリンが好きだ…です。」
「ふ、そっか。最近はどんなの食ったんだ?」
「昨日は小さな牛乳瓶に入った、とろとろのプリンを食べた。あれは飲み物と言っていいくらい柔らかくて、滑らかで…、あぁ、底のカラメルも少しビターで美味かったな……です。」
「へえ、美味そう」
「同じ店でチョコプリンも売っていてな…。迷った末に結局買わなかったのを悔いている…です。」
「ならまた買いに行けばいいじゃねえか」
「ああ、そうだ。だから明日また行くと決めている…です。」
「買えるといいな」
「あぁ。……このところプリンを沢山食べているからか、よく子供の頃の夢を思い出す…です。」
「夢?」
「そうだ。」
——大きなバケツプリンを、抱えて食べてみたい。
「……なんか…あんた結構可愛げあるよな」
「そ、そうか?そう言われるとすこし、恥ずかしい…です。」
「なあ、次の休み、いつだ?」
「…いま、確認する…です。」
「作ろうぜ。バケツのプリン。母ちゃんやよかぜのプリンみたいに、焼いたり蒸したりは多分できねえけど、プリンの素混ぜて冷やすだけなら出来るから」
うちの冷蔵庫はでけえからなとヤスは自慢げに笑む。ならば材料とバケツ代は俺が出すと乗り気のリカオ。
…かくして、ヤスとリカオのバケツプリン計画が立ち上がったのだ。
そして計画当日。ヤスの母協力の元、なんやかんやで出来上がったのがこの、約3.9Lの超巨大バケツプリンである。なお、サイズ比較及び母親への協力感謝品と称して100mlほど取り分けてあるので、元は牛乳4Lだ。
流石にこのサイズはやり過ぎたと青ざめるヤスに反して、リカオはそれはもうきらきらと目を輝かせながら尻尾と耳を揺らしている。
リカオが事前に用意した直径39cmの特大皿が、これまたリカオの用意した容量5.4Lのポリバケツにそっと被せられる。皿の縁はかなり余っているが、そうでなくては自重で潰れた時に溢れてしまうだろうと考えて準備したのだそうだ。
…なお、今回以外にこの皿の使い道があるのかは、今の所不明である。
リカオがバケツの横に手を添え、机の隅までずりずりと動かす。ヤスは被さった皿と、机からはみ出たバケツの底を上下からしっかりと挟んで持つ。
ヤスの母がバケツの底にその細い両手を添えたのを確認して、リカオはヤスの手を避けて皿の底面に手を乗せなおす。ヤスに力があるとはいえ、何せ4kg以上あるのだ。ひっくり返した一瞬にかかる負荷はきっとそれ以上で、プリンの安全面を考えると片腕では心許ない。それ故綿密に組まれたフォーメーションであった。
顔を見合わせ頷き合う。この瞬間、3人は紛れもなく同志であった。同時に3つの深呼吸が重なり、文字通り呼吸が合うその瞬間を見計らって、ヤスは声を上げる。
「———よし、いくぞ!」
「「「せーーー…のっ!!」」」
ヤスの両腕が事前のシミュレーション通りに動き、皿とバケツが反転する。バケツが逆さになった瞬間、リカオの邪魔にならぬよう母の手が抜かれる。
母と息子の見事な連携を、リカオとヤスは無事受け止めきった。
「……いけたか?」
「いや、まだだ。プリンが皿に落ちた感覚がしない…。慎重に、一度机に戻そう…です。」
皿に載せたまま細心の注意を払いつつバケツを揺すれば、どっぷんと音を立ててプリンが落ちた。
…こうなればあとは、バケツを外すだけ。
ヤスは折角だからと母親にスマホを渡し、動画撮影を頼む。リカオとふたりでバケツを真上に引き上げると、ようやく特大のプリンがその全貌を現した。
「ぅ、おぉ……! これは、夢があるな…です!!」
「叶いそうか?」
ヤスの問いに、子供のようにこくこくと頷くリカオ。
「そりゃ良かった。母ちゃん、動画ありがとう」
「うん。ああリカオさん。良かったらこれ、使ってください。使いにくかったらカレースプーンもありますよ」
そう言ってヤスの母が取り出したのは、オードブルの取り分けに使う特大スプーン。隣に並ぶ普通サイズのプリンなら、ひと匙で掬いきれそうだ。
「なんか…サイズ感バグってねえか…?」
「見ていると目がおかしくなりそうだな…です。」
「とりあえず写真写真…」
「はい、ティッシュ箱」
「母ちゃんサンキュ! これで比べりゃ分かりやすいな」
「ジャロップは騒がしそうだし…あとでクースカに送っておくか…。」
ひとしきりはしゃぎながら写真を撮り終えると、ヤスの母はプリン(小)を持って自室へと帰っていった。
「とりあえずリカオが満足するとこまで食えよ。夢なんだろ? 俺は後ででいいから」
「すまない、ありがとう…です。」
プリンを固めている間に溶いて作ったカラメルソースをたっぷりかけて、リカオはスプーンを手に取る。
「……いただきます。」
それからおよそ39分後、ついにリカオの手が止まった。
初めは目を輝かせながら、それこそ本当に楽しそうに食べ進めていたのだが…およそ4分の1を食べ終えたところで流石に飽きに負けたらしい。
「た、食べても食べても…なくならない……です…。一通り満足はしたので、ヤスお前も食べてくれ…です。」
「お、おう…じゃあ、いただきます」
この時点でヤスの脳裏には『ヤバい』という言葉がチラついている。思ったよりも減りが少ないのだ。ふたりで4L食べ切るのはやはり無理があったのだと、震える手でプリンを掬い取る。
思い切り頬張ったそれは、リカオが伝手で購入した搾りたて新鮮なLuckNo牛乳(種別:牛乳)から作られているので、例え安いプリンの素であろうと関係なく美味かった。美味かったのだが…どう見ても2.5L以上あるこのぷるぷるの甘い塊を食べ切れるビジョンが描けない。
ヤスは、早々に救援を呼ぶ事に決めた。
手始めにクースカに声をかける。ヤスにとっては常連であり友人だし、リカオともバンド仲間だ。普段その辺のカフェやカラオケで仕事していたりするから、助けてくれるかも知れない。
『4Lって…ユー達もしかしてバカなの? というかどうしてボークがわざわざ馬に蹴られにいかないといけないんだい? ボークがそこに参加するメリットを分かりやすくプレゼンする所からお願いするよ』
ものすごい速さで返信が来たと思ったら、内容を理解してヤスは項垂れた。…塩対応がすぎる。
「くそ…だめか……」
「ん?どうしたんだ?…です。」
「いや…ぜってえ食いきれねえと思って、クースカに助けてくれって言ったんだけど…ほら」
「…………あぁ…なるほどな。ふむ……、仕方ない。ウララギを呼ぶか…です。この時間ならまだ手が空いているだろう。」
ウララギの到着を待つ間にヤスの手もリカオの手も動かなくなったので、プリンは一度冷蔵庫へと仕舞われる。完全なる敗北だった。
「4L…夢はあるがやはりすごかったな…です。」
「夢だけじゃどうにもならねえ事も、あるよな…」
なんてやりとりをしていると。
「おふたりとも、こんにちは」
「リカオちんヤスちん、やほやほウェーイ! オレィも遊びにきちゃったよん♪」
「「ジャロップ…!?」」
「なぜお前が居るんだ…です。」
「早上がりで買い物してたら、グーゼンウララギちんに会ったから、面白そーだしついてきたんだー!」
「いやでも、食べ手が増えるのはありがてえ…!協力してくれてありがとう!」
「僕、色々と持ってきましたよ」
そう言ってウララギは抱えていた保冷バッグを下ろす。中から出てきたのは蜂蜜、メープルシロップ、業務用のホイップクリーム。それから桃と、メロン。
「今の時期は旬なので。途中で商店街の青果店に寄って買ってきました。…ちょっと剥いてくるので、作業台と流しをお借りして良いですか?」
「あ、あぁ。悪いな色々…。あ、包丁もそこにあるの使ってくれ」
「ありがとうございますヤスさん」
机のほうを振り返れば、再びプリンが鎮座していた。ヤスとウララギがやりとりしている間にリカオが出したらしい。ジャロップの手には既にスプーンが握られていて、小皿にこんもりと取り分けられたプリンを鼻歌混じりにつついている。
「こう見るとやはりすごい量ですね…。…クースカさん、僕からもう一度声掛けましょうか?」
「そうしてもらえると助かる…です。それからそのホイップクリームを…——」
———こうして、ヤスとリカオが生み出した4Lの夢の塊は、【Yokazenohorizon】メンバーの全面協力の元、無事完食に至ったのだった。