月が綺麗だなんて、そんなベタなこと「…は?月見団子?」
「あぁ。注文出来るだろうか?…です。」
「……弁当じゃなくてか?ていうか今年の十五夜、もう終わってんぞ?」
だから月見ハンバーグ弁当も終わってるけど。そう言いながらヤスが卓上カレンダーを引き寄せて、数日前の日付と…そこに描かれた丸い月をトントン、と指す。
「…一応、それは知っている…です。」
「じゃあなんで…。ウララギんとこは?」
「今年は立て込んでいて、そもそも【夜風】に行けなかった…です。気付いたらもう販売が終わっていて、結局俺だけ食べ損ねてしまった。」
「あー…そりゃ大変だったな…。いつもお疲れ」
「あぁ、ありがとう…です。ウララギに頼めばいつでも作って貰えるとは思うんだが……毎度の事なので、その……。」
「気が引けてウチに来たのか。まあ、ウチとしてはありがてえから大丈夫…って奥で母ちゃんが言ってる」
「本当か?よかった……です。」
「わざわざ贔屓してくれてるのに無下にするなんてあり得ないだろ」
ヤスは厨房を振り返って頷くと、メモを取り出して顔をあげた。彼がペンを構えたのを確認して、注文を再開する。
「団子と一緒に、ハンバーグ弁当も頼みたいんだが大丈夫だろうか?できればトッピングで、目玉焼きを乗せて欲しい…です。」
「…………そういうとこ、あんた本当律儀だよな。 …分かった」
先に支払いを済ませておきたいと告げれば、ヤスが手早くレジを打つ。返ってきた釣りを仕舞っていると、ヤスが思い出したように口を開く。
「受取はどうする?今日中には間に合わねえから…最速で明日の昼だな。なんなら届けてやるけど」
「いや、取りに来るので大丈夫だ。そうだな…明日の夕方でも大丈夫だろうか?…です」
「ん、分かった。待ってるからな」
……なんてやりとりを、していたはずのに。
「すっかり遅くなってしまった…です。」
急ぎの案件が入ったとはいえ、夕方どころか閉店時間にすら間に合わないなんて。幾度目かの謝罪と共に到着の旨を送信して、降りたシャッターの横を抜ける。ヤスの返信に従って裏口に回れば、タイミングを見計らったかのように扉が開いた。
「リカオさん、こんばんは。いらっしゃい」
「…こんばんは。遅れてしまって申し訳ない…です。予約の品を受け取りに来た…です。」
「ふふ、とってもお待ちしてましたよ」
「うぐっ…。」
「——なーんて!お仕事だったんでしょう?お疲れさまです。ほら、ヤッちゃんが待ってるから早く上がってくださいな」
「…えっ。え、あ?お、お邪魔します…? ……です。」
ヤスから団子を受け取って終わりだと思っていたのに。何故かひょこりと出てきたお袋さんに促されるまま、家へと上がり込む。そのままずいずいとヤスの元まで押しこまれたと思ったら、彼女はさっさと自室へ帰ってしまった。
「……ヤス。」
「よう。遅かったな、リカオ」
「こんばんは。すまない、こんな時間まで待たせてしまった…です。」
「あ?別にこんくらい構わねえって。むしろ大変だったろ、今日もお疲れ」
コンロの前に立っていたヤスは、顔だけをこちらに向けて、コーヒーとホットミルクどれがいい?なんて聞いてくる。
少し悩んでどちらでも構わないと答えれば、じゃあカフェオレな、と揺すっていた小鍋の中身をマグカップに注いでいく。その横顔には呆れだとか怒りだとかそういうものは浮かんでいなくて、むしろ上機嫌にすら見えた。
ヤスは鍋を流しに突っ込み、湯気立つカップと茶の入ったグラスを盆ごと俺に押し付けてくる。添えられた角砂糖が山盛りになっているは…多分、俺への気遣いだ。
「時間、あるだろ?用事あるなら別に良いけど…ちょっと付き合えよ」
そう言ってヤスは、俺の月見団子を皿に積んで、弁当と一緒に部屋へ引っ込んだ。このままここで立っているわけにもいかず、俺は結局何も理解できないままヤスを追いかけることになった。
彼の部屋に入ってまず目に映るのは、開け放たれた窓。控えめに調光された部屋の隅には、柔らかく揺れるカーテンを纏めるヤスがいる。
「ん、さんきゅ。飲み物そこに置いてくれ」
「あぁ。 …なあヤス、これは…一体何が始まるんだ…?」
「何、って…月見。十五夜は過ぎてっけど…せっかく団子も、飲み物も時間もあって、月だって出てんだぜ?」
ここまで揃ってんならやらなきゃ損だろと、ヤスが言う。その手にはいつの間にか小さな花瓶が収まっていて、造花のすすきが窓の縁をささやかに飾った。
…なるほど、月見。月を見るのか。食べる事ばかり考えていたが、それこそが月見団子の本来あるべき姿だったなと思い出す。
「食いながらで良いからさ」
「用事は特にないので大丈夫だが…。まさか部屋へ連れ込まれるとは思わなかった…です。」
「それは…うん。先に言わなかったのは悪かった。けど発案は母ちゃんだから、文句は母ちゃんに言ってくれ」
「文句など、」
ない。そう言い切る前に腹の音に遮られた。
……思わず腹を抱えて溜息を吐けば、ヤスが慰めるように俺の肩を叩く。
「そんな腹減ってたのかよ?…気付かなくて悪い」
「…いや………忙しかったので、その…昼食を、摂っていなかった……です。」
「……は?!バカお前それは…、そこはちゃんと食っとけよ!」
俺の発言に驚いたのかヤスは目を見開いて小声で、しかし半ば叫ぶように詰る。
「す、すまない…。なるべく気をつけるようにする…です。」
「ったく。当たり前だっての。…じゃあほら、弁当食おうぜ。また腹が鳴らないうちにさ」
「あぁ、いただきます。」
目玉焼きをトッピングしたハンバーグ弁当をしっかりと平らげて、満を持してヤスが電気を消す。
それだけで、この部屋を照らすのはもう月の明かりだけだ。秋の虫たちの歌声が爽やかな秋の風に乗って、俺達の頬をやさしく撫でた。
弁当の上に浮かべてあったのとは違う…3割ほどが欠けた本物の月を眺めながら、ふたり並んでミルクたっぷりのカフェオレを啜る。昼夜の寒暖差が激しくなってきたからか、適度に放置されたぬくもりは、過不足なく優しく沁みた。包み込んだカップで指先をあたため、ぼんやりと窓の外を見上げる。欠けていても、月は明るい。
俺はふたくちめを飲み込んで息を吐く。そのまま虫の声に耳を傾けていると不意に、ほんとうは、とヤスが口を開いた。
「本当はさ、月見なんか、しなくても良いって思ってたんだ。弁当があればそれで良いって」
「そうだったのか…。」
「でもなんか…うまく言えねえけど、あんたと月見してえなって思ったんだよ」
「…それで、準備をしてくれたのか…です。ありがとう、ヤス。」
「べ、別に。店で使ってたやつ、まだ仕舞ってなかっただけだし」
積まれた団子に、窓辺にはすすきの穂。よく見れば団子もきちんと15個並べてある。…月見とはかくあれかし。月が丸くないことさえ除けば、まるでお手本のような光景だ。
「あ。注文より多いのは俺の分だぞ!別にサービスじゃねえからな。一緒に盛ってんのは単に見栄えだ見栄え。…15個のが月見っぽいし」
そうだなと頷けば、そうだろとヤスが団子へ手を伸ばした。折角だからと一旦制して携帯を取り出す。座ったまま目一杯上体を引き、団子のシルエットと月の浮かぶ窓を写しとってみる。…殊の他よく撮れたので覗き込んできた彼にも画面を見せてやる。
「お、いいな。あとで送ってくれよ」
「………ん、よし。送れたぞ…です。」
「さんきゅ。……やっぱ俺も撮っとこうかな。…こんな機会、中々無えし」
「…邪魔なら退くが?」
「いや、すぐ終わる。……ほら」
「あぁ。よく撮れているな…です。」
送られてきた写真を保存して、スマホをしまって、それから。改めて小皿に取った団子は、きめ細やかな表面が月明かりを反射し白く美しく輝いている。
…もうこれだけで唾液が湧いてくるな。
溺れてしまう前に思い切ってひとくちかぶりつく。
「…んっ!」
もきゅもきゅと頬張れば、コシのある餅とたっぷり包まれたあんこが俺の心を満たしていく。
「……フフ…」
自然と頬が緩んでいくのが自分でわかった。素朴な味わいが口内いっぱいに広がっていって、思わず尻尾が揺れる。あんこは甘すぎず…かと言って物足りない感じもしない絶妙なバランスで、蒸された上新生地はしっかり弾力があるけれど歯切れがいい。
なんだか勿体ない気がしてゆっくりと咀嚼を重ねていると、団子本来の優しい甘さが顔を出し、米の香りがふわりと鼻へ抜けていった。
「…………うまい…です!」
揺れる尻尾を捕まえながら隣を向く。先に嚥下を終えていたヤスは、頬杖をついたまま俺を見て満足気に目を細めた。
「ほんと、美味そうに食うよな、あんた」
「…改めて言われると少し恥ずかしい…です。だが、美味いものは美味いからな…です。…ここの弁当を買うようになって、最近ウララギに褒められることが増えたんだ。『きちんと食事を摂って偉いですね』…と。」
「それ本当に褒められてんのか?」
ガキ扱いじゃねえか、と呆れたようなヤスの声。
まあ、食事が疎かになりがちなのは今も変わらないが…。それでも丸一日何も食べない、なんて事はかなり減った。
個人的には凄まじい進歩だと思うのだが。
「まあそれはそれとして置いておいて。今日の感想はどうだ?…です。」
「…なんの感想?」
「月見の、感想だ。しなくて良いと思っていた、と。そう言っていただろう?…です。」
「あぁ、それか。…やっぱり悪くなかったよ」
「そうか。それなら良かった…です。」
吹き込んだ風が、部屋の空気を攪拌していく。冷えてきたから貸してくれなんて冗談めかして笑いながら、ヤスが俺の尻尾を抱きしめる。
「うぉ、この尻尾生きがいいな」
「……これでも、抑えてはいる…です。」
「はは、擽ったいけどあったけえ…」
再び吹き込む秋風に、俺の尾を抱えた腕がきゅっと締まる。…当人は暖を取っているだけなのだろうけれど、妙にそわそわして落ち着かない。気が緩んだ拍子に、暴れはじめた尻尾がヤスの顔面をべしべし叩く。
「んぶっ、ぁ、おい、ちょっ!顔っ、かおに、わぷっ!」
「…っ!ふ、ふふ…あっ、いや、す、すまない…!わざとではない、…です。」
「くそっ、笑いやがって…!まあ許してやるけどさぁ…」
「ほ、本当にすまない……です。」
慌てたように手を離して笑うヤスから、また暴れ出さないうちに尻尾を取り返す。
俺達は仕切り直すようにカフェオレを啜って、ふたつめの団子を口に放り込んだ。懐かしいのに程よく洗練された甘味に、また尻尾と獣耳が震えた。視線を感じて横を向けば、顔を綻ばせるヤスと目が合った。
「幸せの味がする……。」
「んな大袈裟な。ま、美味いのは事実だけど」
「………なあ、リカオ」
「なんだ?……です。」
「欠けててもさ、ちゃんと綺麗だな」
返すべき言葉は、散々探したのだけれど。
結局いつものように頷いて、
「……そうだな。」
と、それだけを返した。
それから俺達はマグの中身と団子をゆっくり減らしながら、いつものように取り留めのないはなしをして。いつもよりほんの少しだけ近い距離のまま、じっと夜空を見上げていた。
俺達が月を綺麗だと思うには、それだけで充分だった。
これはただそれだけの、十五夜でも十三夜でもない、よく晴れた秋の夜のはなしだ。