花と海とポケモンの楽園【カゲツはいい奴であった】
サイユウシティ、ポケモンリーグ。そこは、ジムリーダーを上回る実力のポケモントレーナーである四天王やチャンピオンが挑戦者を待ち構える場所だ。しかし、いざその「四天王」や「チャンピオン」の立場に立ってしまうと、この場所を「職場」と捉えて、通ってくる必要がでてくる。
高所にあり、花が咲き乱れた僻地。四方にある海からの潮風は心地よいが、人口の建物はリーグとポケモンセンターくらいしかない。観光には良いかもしれないが、住むにはちょっと居心地が悪い。だからトレーナーは住まずに通う。
ある朝のことだった。四天王の一番手、カゲツはいつもより早く「職場」に訪れた。欠伸を噛み殺しつつ、トレーニングルームに入る。
「ほらよグラエナ、早朝特訓だ」
早くやってきた理由を、モンスターボールから取り出す。すると黒く四つ足のポケモンが出てきて、出てきた瞬間から鼻に皺を寄せて唸った。カゲツと二人、一通り動きのおさらいをしたところで
「朝の特訓、終わりだ。じゃあ今日も挑戦者とのバトルを楽しむとしようぜ」
と声をかけられる。その途端、鼻の皺がなくなり、それどころかその鼻から甘えた声をあげ、グラエナは腹を上に向けてゴロンと寝転がった。
「おい……お前、本当に……」
ため息をつきながら、カゲツはグラエナの腹をワシャワシャ撫でてやるのだった。
「四天王が戦う順番なんだがよ、しばらくの間、おれを後ろに回してくれねーか?」
四天王とチャンピオンが全員揃った打ち合わせの場で、カゲツがそう口にした。
「どうして? カゲツのポケモン、調子でも悪いの?」
現在のところの四天王二番手、ゴーストタイプのポケモンの使い手であるフヨウが首を傾げた。南国の民族衣装を着て、ダンスでも踊りそうな風貌の少女だというのに、彼女は背筋がゾクリとするようなポケモンを使いこなすのである。
「グラエナの奴が、最近めっきり甘えん坊になっちまってな。威厳が足りなくなった気がするんだよ」
「威厳?」
チャンピオンのダイゴも不思議そうな顔をした。
「そう、いるだろ威厳」
「そうかな?」
「ただのトレーナーじゃないんだぞ、おれ達は」
「いらんとは言わんが……もっと大切なものがあるだろう」
話の途中で、四天王の中でも一番の古株で、一番最後を任されているゲンジがそう言って鼻を鳴らした。
「あー知ってるよ。『正しい心』ってやつだろう?」
「フッそうだ。いつもそれが必要だと諭してから、わしは勝った挑戦者達をチャンピオンの間へ通してきたのからな。そして我々ももちろん持たねばならない」
「でもよ、おれが使ってんのは悪タイプのポケモンなんだぞ」
そこへ四天王の三番手であるプリムもカゲツに声をかけてきた。
「カゲツ。確かにジムを全て制覇した若人達は、リーグではさらに緊張感がある戦いが待ち受けていると、身構えてやってくることでしょう。……そんな中……」
プリムはカゲツがボールから出していたグラエナに目線を移した。
「そのように、あなたに尻尾がちぎれそうなほど振っているポケモンを出されては緊張感が薄れてしまうかも知れませんね」
「だろ? だからしばらく、プリム変わってくれよ」
「わたくしが一番を務めるのですか?」
プリムが頬に手を当てて意外そうな顔をした。
ドレスを身に纏い所作も落ち着いた彼女は、それでいて実はかつて別の地方から「暖かい地方の方が氷タイプが鍛えられる」とホウエンにやってきた、好戦的な面を秘めた女性なのである。さらに、そんな彼女が好戦的な面を表に出しながら毎回バトルの先手に繰り出してくるポケモンは、それはそれは恐ろしい鬼の形相の氷ポケモンなのであった。
「初手でビビらせることにかけては、アンタが一番そうだ」
「褒めていただいてるのでしょうか?」
このままプリムを説得しようとしたが、カゲツはふと壁にかかった時計を見た。
「ああもう、挑戦者が来る時間だな。まあ今日のところは、いつも通りの順番でいい。また相談させてくれ」
そう言って、話し合いは打ち切りとなった。
ポケモンリーグでの戦いは、おおよそどのリーグにおいてもルールは同じだろう。四天王が挑戦者と戦い、その後にチャンピオンが待ち構える。挑戦者は、四天王とチャンピオンの五人を、一度も撤退することなく倒し続けなければならない。間で持ち込んだ道具でポケモンを回復することはできるが、トレーナーが持ち込める量は限度がある。そもそも、一人ひとりの実力も生半可なものではないのだ。
地方によっては、四天王と戦う順番を挑戦者が選ぶことができるらしいが、ホウエンの場合は順番が決められている。必然的に一番手のカゲツが、このリーグでは一番戦闘回数が多くなるのだった。カゲツ自身はバトルに熱中するタイプで日々楽しくやっており、全く苦ではなかったのだが。
(たまにはグラエナの奴を労ってやるかなーなんて、変な店連れ出したのが失敗だったのかね?)
一応、今日の対戦相手に向かって歯をむき出して一生懸命唸ってるグラエナの背を見ながら、カゲツは考えていた。
今戦っているトレーナーは一番手のカゲツの時点で全く歯が立たなかったようで、戦いが終わると悔しそうに顔を歪めながら会場から踵を返した。それを確認した途端、グラエナがピョンとカゲツの方に向き直って顔を舐めようとした。
「や、やめろ馬鹿」
挑戦者が「へっ?」という顔で振り返ったので、「ち、ちげーよ」と慌てて追い出す羽目になったのだった。
(あの女の子しかいかなさそうな喫茶店に、グラエナの形したケーキなんか売ってるもんだから。クッソ、恥ずかしい思いまでして連れてってやって、そのお返しがこれかよ……)
数日前のこと、ねぎらいのためにカゲツはわざわざ喫茶店に寄り、ポケモンも食べられるケーキを注文して。
そしてその日、グラエナは人間から見ても分かりやすいほど、明らかに嬉しそうな顔をしたのだった。カゲツも、後々困ったことになるとはつゆ知らず、笑って声をかけた。
「恥ずかしい思いした甲斐があったぜ。美味いか? これからもよろしくな!」
その声のトーンを聞いてグラエナは、ケーキもそこそこにカゲツへ飛びついて顔をペロペロと舐めた。
「こっちまで甘くなってくるだろ~が」
それから数日。もともと彼になついていたグラエナは、大っぴらに甘えた反応をするようになってしまったという顛末だった。
(もっと気を引き締めなきゃいけないってのにな。挑戦する側も、おれたちも)
一旦、グラエナをモンスターボールに戻し、別のポケモンを出して休憩室に行くことにした。
休憩室ではソファにダイゴが一人で座っており、紅茶を飲みながら、時折隣にいる自分のポケモンを撫でていた。
「いい物飲んでるじゃないか」
「ん? ああ、カゲツの分も残ってるよ。注いでくるね」
ダイゴは席を立って、備え付けのポットの方へ向かった。カゲツはダイゴがもともと座っていた位置の隣に腰掛け、残された彼のポケモン、岩でできた花のような不思議な形のポケモンを構ってやった。初見だと頭の不気味な模様が目に見えて恐ろしいのだが、さすがにカゲツは見慣れていて、本当の目がある位置に視線を合わせてやって、こちょこちょと顎の辺りをこそぐった。花のポケモンに「顎」というのは少しおかしいが、とにかく動物ならば顎の辺りの位置だ。
このポケモンを連れているダイゴはさらに慣れているのか、以前見た時には触手のようなものをするする伸ばされて、体に巻きつかれてもニコニコとしていた……あれはさすがに気味が悪かった、とカゲツは思っている。
と、今日も岩の花のようなポケモン、ユレイドルは触手を伸ばしカゲツの頭をペチペチ触れた。
「やめろよ、おい」
「ふふ、カゲツありがとう」
そこへダイゴが戻ってきて、元の位置に座り、カゲツに紅茶のカップを渡した。
「朝の話の続きでもあるけど、ポケモンは優しい人が分かるのではないかな?」
「だから、おれは悪タイプのポケモンを使ってんだがなあ」
「『悪タイプ』というくくり自体、人間がつけたもので、悪タイプのポケモンが性格の悪い子とは限らないからね」
そう言った後「今はアブソルを連れてるんだね」などと呟きながら、カゲツのポケモンを手招きした。アブソルが近づいていき、ダイゴの膝のあたりに白い毛皮に覆われた前足をちょこんと乗せた。そのままダイゴがカゲツのアブソルを撫で始めた横で、ユレイドルがやっぱり触手でカゲツをツンツンしてくる。
「ところでさ。今日は何人か挑戦者を通しちまったが、お前のところまで辿りついたのは何人いた?」
「一人いたけど」
「へーどんな奴?」
聞かれても、ダイゴは「個人情報が入ってしまいそうだから」と答えなかった。
「おいおい、俺も個人的なことは知る気ねーっていつも言ってるだろ。どんな戦い方とか、お前はそいつに負けたのかとか、聞きたかっただけだ」
「負けていたら、ボクはここにいないよ」
その返答に「たとえ負けたからって即効で建物から追い出すわけないだろ」とカゲツは笑った。
確かに負けたら、ポケモンリーグのチャンピオンは勝った側に交代してしまうものだけれども。
そして実は、カゲツはわかっていて度々、ダイゴにこういうことを聞いてみているのだけれども。
「……とても鍛え上げられていたし、バランスの良いパーティだったよ。トレーナーが自分のポケモンの素早さに少し戸惑っていたことくらいしか、弱点は見当たらなかった。本人に聞いてみたら、普段は素早さが下がるけど強く育つ器具を持たせていたからって言ってたけど」
「ああ、んな感じのポケモン用のギプスあるよな」
ここからは個人情報なので、ダイゴは口にしなかったが、挑戦者が勝負に負けた時〈自分はカチヌキと言って、家族みんなでポケモンの修行をしていた〉と、誰に促されたわけでもなく話し始めたのを思い返していた。
「いっそギプスをつけたままの戦い方だっていろいろあるから、まだまだ勝利は狙えるだろうね」
「おっ、またリーグに挑戦するって言ってたのか?」
「……迷っていたみたい」
バトルが終わった時カチヌキと名乗った青年は、ダイゴに向かって随分と困った顔を向けていた。
『家族の誰よりも強かったのに……今まで負けたことなかったのに……』
そして、ぽつりと呟き始めた。
『自信なくした……家に帰ろうかな……でも帰るのが怖い……』
彼はぽつりぽつりと気持ちを吐き出し終わるまで、倒すはずだったチャンピオンに見守られていた。
『妹は、家族で一番強いのはアニキだって……。おばあちゃんは俺が旅立つ時、お前がチャンピオンになるのを信じてるよって……。今もきっと信じてる……』
「帰るかどうか、迷っていたみたいだったから」
聞いた話を思い出しつつ、その青年の葛藤をカゲツに漏らしすぎないように、自分の方が彼になんと言ったかについてだけ、話した。
「まだきみの旅を終わらせる必要なんかないから、思い切り落ち込んで悩む時間を作るといいよって、まず答えた。いっぱい考えた結果、やっぱり帰りたくなったのならその時に帰ればいいし、もう一回挑戦するのなら、ボクはここで待ってる……って言ったかな」
「ふーん。自分を負かした奴に言われると腹が立つかもな、そのセリフ」
「……うーん」
「それにさ、お前随分と……」
カゲツが、ニヤッと笑ってみせながら口にする。
「無責任なこと言うじゃねーか」
「無責任だって……?」
なんだか、こころなし触手でつついてきたユレイドルの動きがちょっときつくなった気がしたが、カゲツは続けた。
「そいつがお前の言葉を間に受けてリーグに再挑戦したとして、その時にはお前の方が別の奴に負けててチャンピオンが入れ替わってる……なんて普通にありえるぞ」
その言葉を受けて、ダイゴは少し黙ったがしばらくして「確かにそうだけどね」と言った。
「そうではあるけど、ボクはこのリーグで戦っている時、本当に負けてしまう瞬間まで自分が負けることは考えない」
だんだんダイゴの表情が強気になってきたのが、カゲツの目に止まった。
「まあ、負けるかもって思い始めたら本当に負けちまうってのは分かる。でも、絶対勝つって思ってたって負ける時は負けるだろ」
カゲツは言葉を重ねた。ダイゴはというと先ほどからずっと、「負けたことなかったのに。自信をなくした」とつぶやいていた青年を思い出しながら、それでも答えた。
「確かにそう。確約してあげられないことだから、ボクは無責任かもしれない。でも、約束を守るためには……勝ち続けるためには……ボクこそがこのホウエンで一番強いんだって最後の瞬間まで信じ続けることが、結局最善の方法かと思っているよ」
「そもそも約束守りたいのか?」
「うん。ボク、チャンピオンとしての責務とか、やりたいこととかいっぱいあるけど、そのうちの大きい一つは、ここまでやってくるチャレンジャーに会うことだからね」
ここでもうちょっとばかり意地悪な言葉を重ねることもできたが、カゲツはしなかった。そもそも相手をいじめたかったわけではないからだ。彼から見て、自分達四天王が現在支えているチャンピオンは“内面は負けん気が強い奴”という認識だった。しかし普段の態度がおっとりと掴みどころがないので、たまには強気ないい顔が見たくなってしまうのである。
それこそ、強気で自信満々、なんなら少し高慢な顔をしているくらいな方が威厳がある気がする。威厳は大事だ、カゲツはそう思う。
「まあわかった。意地の悪いこと聞いちまって悪かったな」
「意地悪なんて言われてないよ?」
ケロッとしてるダイゴの隣で、カゲツは唇を尖らせた。傷つかなかったなら良かったかも知れないが、こっちは意地悪を言ったつもりになっていたので、何故だか少し悔しい。カゲツは悪タイプのポケモンの使い手だ。棘のある立ち振る舞いを好ましく思う性格だ。だがしかし、残念ながら、「カゲツはいい人」と、このリーグにいる人間とポケモン全員が認識しているのである。
「まだちょっと休憩時間残ってんな。なんか話題あるか?」
「話題? それなら……」
「……あっ悪い、今日は石とか洞窟の話はなしだ。長くなる」
「残念」
石マニアのダイゴに頼むのをやめて、もう一つ話題を考えた。カゲツのアブソルが、ふとこちらを見てきた。そういえばむしろ、今日のアブソルは自分のトレーナーでもないダイゴに随分と素直に撫でられており、ずっと顔もそちらに向けていたのだが。
「昨日家に帰ってテレビつけたら嫌な話をやってたな。おれたちも気をつけないとって思ったんだが」
「何かの事件の話?」
「そう。捕まってないらしいんだが、凄腕のトレーナーらしき犯人が人のポケモンを盗んだり殺したりしているんだと」
なぜその犯人が凄腕と分かるのか……テレビの解説によると、有名人の手持ちや技構成を真似したポケモンでわざわざ犯行におよび、そして毎回完遂するからということだった。
「確かに嫌な話だね……犠牲になったポケモンのことは勿論……自分の好きなポケモンを他の人も育てているというのは、本来ならとても嬉しいことなのに……」
「だよな。想像すると寒気がする。まあ、おれにはある意味よくあることだが」
一瞬ダイゴが腑に落ちない顔をしたが、やがて頷いた。
「そうか。さっき悪タイプは人間が分類しただけってボク言ったけど、そもそも何でそのタイプが作られたのかは考えたことなかった……。歴史を紐解いてみたら犯罪者によく使われてしまったポケモン達だったのかもしれないのか……」
「いや、まあ。そんなシュンとすることはねーよ」
カゲツが空になったカップをダイゴの分まで持って(ありがとうと声をかけられた)ソファから立ち上がった。ユレイドルが寂しそうに触手を伸ばしてきて、アブソルの方は、自分のトレーナーが立ち上がったのですっとダイゴから離れた。
「おれから話振っといてあれだが、胸糞悪いからこの話はやめよーぜ。それにおれは『悪タイプ』って、違う理由でできたんだと思ってる」
アブソルがカゲツに近寄ってきた。カップで両手が塞がっているので撫でてあげられなかったが、アブソルの方からカゲツの太ももの辺りに頭を擦り付けた。
「おれは昔から、アニメでも特撮でも悪役に入れ込む方だったからな。かっこいいからさ。だからポケモンを分類した博士の中にもそういうの好きな奴がいて『悪役』っぽいかっこよさを持ってるポケモンのことを表現したかったんだろうなって思ってる」
「ああなるほど。そっちの方がいいね。ボクも悪役のかっこよさ、わかるなあ」
「ほんとかよ」とカゲツはおっとりお坊ちゃんチャンピオンに向かってハハハッと笑った。
さてカゲツはカップを二人分片付け、休憩が終わった後もバトルに勤しみ、そして明日からも早朝特訓に励むこととなった。
ある日、早朝特訓に向かう出勤中、ギプスを着けたドードリオが山の方から走ってきたのが見えた。
「なんだなんだ、まだリーグは空いてねえよ」
そのドードリオのトレーナーも遅れてやってきて
「ごめんなさい、違います。実は今日、家に帰るんです……でも、また来ます!」
そう言って去っていった。カゲツはこのトレーナーの顔に見覚えがあったので「ああ、前もリーグに挑戦したことがある奴か」と思った。
気をとりなおして、カゲツも特訓を始める。グラエナがかっこいい悪役らしさを取り戻すまでこの特訓は続く。せめて人前で甘えなくなるその日まで。