【呪】猫と五＋棘　二月とは思えないくらい、暖かな日差しが注ぐ日だった。歩いているとうっすら背中が汗ばんできたので、もこもこのダウンジャケットは途中で脱いでしまった。ひやりとした空気が愛用のネックウォーマーの隙間から入り込んできて気持ちがいい。こんな日はきっと、"彼"がいる。

　狗巻棘は、"彼"を探して陽当たりの良い中庭を歩いた。地面はまだ冷たいから、恐らくベンチの上や芝生が綺麗に生えているところにいる。風が当たらないこともポイントだ。普段は学生たちが修行や鍛錬に使うことも多い中庭だが、今日は皆任務や外出で出払っていて人気がなかった。棘もよく修行の休憩中に腰掛けるベンチの上に、"彼"はいた。

「……明太子」

　挨拶がわりに声をかけると、ベンチの上の"彼"はミィと短く鳴いた。ここ数ヶ月、校内で見かける野良猫だ。誰かが餌をやっているのか、野良の割にはふくふくと太っていて、人懐っこかかった。

　猫と目線の高さが合うように、ベンチの横にしゃがみこむ。猫はしばらく棘のことを半目で見ていたが、数秒ほどで面倒くさそうに目を閉じた。棘はその丸っこい背中にそっと触れる。うっすらと縞模様が浮かぶ毛の流れに沿って撫でてやると、半分立っていた猫の耳からへにゃんと力が抜けた。手のひら越しに、いきものの温かさと微かな脈動を感じる。柔らかな毛皮の下に硬くしなやかな骨格がある。小動物独特の触感を楽しむように、棘は繰り返し猫の毛流れを撫でた。

「棘」

　ふいに声を掛けられて顔を上げると、よく見知った長身の男が傍に立っていた。猫に気を取られて、すぐ側に寄られているのに気がつけなかったことに気恥ずかしくなる。今日の五条悟は目隠しではなくてサングラスの気分らしい。

「しゃけ」
「棘もミーコと遊びにきたの？」
「……こんぶ」

　悟の言葉に棘は首を傾げた。状況から察するに"ミーコ"とはこの猫の名前なのだろう。深く考えずに接していたが、雌なのだろうか。

「まぁ、ミーコって僕が勝手に呼んでるだけなんだけどね」

　だから女の子じゃないかもしれない、と無責任に笑いながら、悟は棘の横にしゃがみ込んだ。長い脚が折り畳まれて目線がいつもより近くなる。ぺたりと寝ていた猫の耳と尻尾がぴくりと起き上がった。

「棘は？ なんて呼んでるの？」
「…………」

　名前なんて考えたこともなかった。猫は猫だ。

「……ツナ」
「そっか」


　どんな名前をつけたところで、この舌でその名を呼ぶことはない。それに、いつこの中庭からいなくなるかわからない相手に名前までつけてしまったら、現れなくなったときに喪失感を覚えそうだ。

「でも猫が相手なら、ちょっとくらい喋っても大丈夫とか思ったりしないの？」
「…………おかか」
「そうだね、それが賢明だ」

　ひょっとしたらネコマタとかかも知れないし、そしたら棘より強いかもよ？ と、悟はまたへらへらと笑う。

「まぁ、そんな風には見えないけどね」

　悟は猫の背中に手を伸ばした。撫でようとしたのだろう。しかし猫は悟が触れる直前にするりとベンチから飛び降りて、早足で繁みの中に姿を消してしまった。

「あーあ、何故かいつも逃げられちゃうんだよね」

　悟はため息をつきながら立ち上がった。猫から見ても、胡散臭いのかもしれない。

　残念がるその様子がおかしくてネックウォーマーの下で思わずくすりと笑うと、「今何か失礼なこと考えてたでしょ」と諌められる。下手に問い詰められるのも面倒なので、いつものように「高菜」と答えて誤魔化した。

fin.