もんどうむよう 辻ちゃんだ、と声がして顔をあげた。予想通りの相手に小さく嘆息しながら、こんにちはと頭を下げる。ひらひら手を振り向かいに座った犬飼先輩は、にこりと笑って今日は何か知りたいことはある?と俺に聞いた。
「隊にもう一人入れる、ですか」
「ああ。この間の入隊式で入ってきた奴を一人誘った。ポジションは銃手、辻と二人で俺のアシストをしてもらう」
元東隊の二宮匡貴。射手として抜群のセンスと才能を誇り、現在自分の隊を作るため眼鏡に適う人間を探している。アシストの腕を見込まれ誘われた攻撃手の俺と、射撃の精確さを見て勧誘された鳩原先輩。今のところはまだ3人だ。
人手不足に喘ぐボーダーから、臨時のオペレーターは宛てがうから代わりにこのメンバーで防衛任務だけでもしてほしい、と頼まれ、正式に隊として発足していないにも関わらず部屋を与えられているという特異な状況に置かれている。俺と鳩原先輩の場数を考え、3人セットで任にあたったほうが良いと判断されたのだろう。鳩原先輩が優しくて助かった。もし他の女の人なら、防衛任務どころではなかったことが想像に難くない。
「オペレーターは、まだ見つからないんですか?」
「ああ。うちの隊に必要なオペレーターはまだいない」
せっかく隊を組むのだ、もちろんじっくり考えたい気持ちは理解できる。それでも、こうして隊の結成をある意味急かされているにも関わらず何週間もかけてメンバーを選んでいるのは、さすが二宮さんとしか言いようがない。まだあまり親しくないけれど、二宮さんが柔軟でありながら頑固であることはすでに十二分に伝わっている。
「うちに要るのは才能のある人間だけだ」
フン、と鼻を鳴らす二宮さんの前で鳩原先輩と顔を見合わせた。遠回しに才能があると言われたことに二人して少し照れてしまっている。
「ええと……その、新しい人はいくつなんでしょう」
「鳩原と同級だ」
つまり俺にとっては先輩だ。
「……あの、男の人ですよね」
俺にとっての唯一の懸念点はそこだ。誠に情けない話だが、オペレートで声を聞くだけならともかく、一緒に戦うとなると確実にパフォーマンスが落ちる。二宮さんに求められたアシストも、女の人と一緒にとなると十全にこなす自信がない。いずれやれるようになる必要があるとは理解しているのだけれど。
「ああ」
「……良かったね、辻くん」
ふう、と小さく息をついた。ひとまず結成前のリストラは防げそうだ。
「都合のいいときに一度会っておけ。基本的に月水土の17時頃にはブースに居ると言っていた」
「鳩原了解」
「辻了解」
二宮さんに新メンバーの情報を伝えられてしばらく、たまにブースを覗いていたにも関わらず、気づいていなかったことがある。俺はその新しいC級隊員の見た目も名前も知らないのだ。今更聞くのも、と思いながら、ほとんどルーティンになってしまったので椅子に座ってぼんやりと周りを見渡す。……なんだか、いつもより視線を集めているような気がする。複数人と目が合うことに違和感を覚えていると、個人ランク戦をしていたらしい出水が近づいてきた。
「よっす」
にかりと笑った出水は、最近太刀川さんに誘われて隊に加入したようで、実力をさらに伸ばしている有望株だ。二宮さんからちょこちょこ話を聞いていることもあって、比較的話しやすい相手である。
「珍しい服じゃん、どしたのそれ」
「え?ああ……これ、うちの隊服なんだ。って言っても、まだ仮決定だけど」
フリーのB級は比較的自由に戦闘服を決められるのだが、いずれ正式に隊になるということで二宮さんの考えた服に設定し直すことになったのだ。ジャージよりは自分に似合っているような気がする、黒スーツ。やたら見られていたのはこのせいか、と急に思い至った。太刀川隊とはまた別ベクトルで目立つ服であることは確かだろう。このあと防衛任務があるからとこちらを選んだのは少し失敗だったかもしれない。無闇矢鱈と目立つのは趣味ではない。
「いいじゃん、スーツとかかっけーし。二宮さんの発案だろ?それ」
「うん」
「俺も隊服に換装すっから模擬戦しようぜ」
思いついた、と目を光らせそう提案してくれた出水に首を振る。
「ごめん出水、模擬戦は今度がいいかな。ちょっと、人を探してて」
「あー、それでここに座ってたワケ?そりゃ悪かったな、じゃあまた今度やろーぜ」
「ありがとう」
そんじゃもうちょっと別のやつと戦ってくるわ、と出水はブースに戻っていった。人探し再開だ。今日も見つからなかったら、さすがに二宮さんに聞いてみよう。心に決めつつC級隊員たちを目で追う。すると突然、背後から声をかけられてぎくりと身体が強張った。
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
「……えっと」
「二宮さんのとこの人だよね?おれ、犬飼澄晴って言うんだけど、話は聞いてる?」
いぬかいすみはる。そういう名前なのか、などと考えながら顔を見る。セットされたやわらかそうな金髪に、ゆるりと弧を描くタレ目。俺より身長は高い、だろうか。微妙なところだ。ふんわりと人好きのする笑顔を浮かべていて、俺よりずっと人付き合いの上手そうな人だなと思った。
「聞いてます。一度会うように言われて、何日かあなたを探してました」
「あー、やっぱり?もしかして二宮さんに言われて来てるのかなって思ってたんだけど、もし違ったら恥ずかしいから声かけるか迷ってて。その服、二宮さんに見せてもらった隊服のデザイン案と似てたから、確信して話しかけたんだよね」
一つの言葉に十で返してくれる人だ。案外面倒見はいいけど口数の少ない二宮さんと、萎縮してしまいがちな鳩原先輩、異性と上手く話せない俺。全員に足りなかったコミュニケーション能力を補ってくれそうな予感がする、なんて。
「名前、聞いてもいい?」
「あ、すみません。辻新之助です」
名乗り忘れていた。不覚だ。
「じゃあ、辻ちゃんだね」
「つ、辻ちゃん」
「ヤだったらやめるよ?」
少々、フレンドリーすぎやしないだろうか。いや、別に嫌悪感を抱くほどではないけれど、この間出会ったばかりの米屋でも自分を下の名前で呼ぶように言ったくらいだったから、単に距離感に慣れないのだ。
「別に、大丈夫です」
「そっか。じゃあよろしくね、辻ちゃん。たぶんおれ、このままだと二宮隊に入るし」
「よろしくお願いします」
笑みを深めたC級隊員の先輩__犬飼先輩は、それじゃあ戦おっか、と訓練用トリガーを見せながらブースを指した。
「え?」
「いやあ、一応隊としてやっていく前に腕前だけ見せてほしくって。おれは訓練用トリガーしか持ってないから、一方的に見せてもらうことになっちゃうけど」
なかなかどうして好戦的だ。わかりました、と頷いてブースに向かおうとすると、背後から笑い声が聞こえる。
「辻ちゃんは素直で良い子だね」
ブン、と仮想戦闘モードが起動され、一対一で向かい合う。
「使ってるのは弧月だっけ。ピッタリだ」
能力を見ると言われたのだから、いくらC級相手でも手は抜いてはならないということだ。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
犬飼先輩の訓練用トリガーにはハウンドが入っていた。結果は5-0で俺の勝ちだったけれど、単なる勝敗とは別のところで、犬飼先輩の戦闘センスの高さを感じた。二宮さんの言う通り、確かに自分で点を取るというよりは動きを誘導したりする方が適しているアシスト型に近い。
「ん、だいたい辻ちゃんの戦い方はわかったよ。ありがとね」
「いえ、必要なことなので。俺も先輩の動きが知れて良かったですし」
いきなりで面食らったが、俺にとっても良かった。動きがある程度頭に入っていれば、今後の連携もスムーズにできるだろう。
「それじゃあ辻ちゃん、改めてよろしく」
「よろしくお願いします」
この人とはうまくやっていけそうでよかった。
そう、ほっと胸を撫で下ろしたのも今や遠い昔のように感じる。確かに犬飼先輩は戦力として申し分ないし、隊のバランサーを努めてくれているすごい人なのは確かだ。けれどそれと同時に、結構ちょっかいをかけてくる人だということもだんだんわかってきたのだ。
俺は今受験生で、この辺では一番の進学校である六頴館に進もうとしている。六頴館は中高一貫の共学で、外部は全体の2〜3割という中々厳しい倍率の高校だ。内申がそれなりに高いおかげで学校推薦を受けられるのはありがたいが、それはそれとしても普通に試験は受けなければならない。それに合格ラインが緩和されるかわりに面接もあるため、必ずしも推薦で楽になることばかりではない。
任務をこなしながら受験勉強するのはそれなりに大変なのだが、身体を動かせるのはいい気分転換にもなる。二宮さんがいくらか根回しをしてくれたようで、通常よりは防衛任務が減ってはいるけれど、概ねいつも通りボーダーには訪れていた。
中学はもうほとんど授業がないので、任務までの時間はラウンジや宛てがわれた隊室で勉強をしている。最近二宮さんが連れてきたオペレーターの氷見さんと、まだうまく話せないために大抵はラウンジに逃げている、というのはあまり人にバレたくない事実のひとつである。
そんなこんなで今日もラウンジの片隅で受験勉強をしていたのだけど、それを目敏く見つけてきたのが犬飼先輩というわけだ。無事にB級に昇格してきた先輩は、どういうわけか俺をおちょくることを気に入ったらしく、こうして勉強している俺を見つけては話しかけてくる。
何か聞きたいことはある、と問いかけてきて、素直に質問してみると何か代わりに情報を渡さない限り答えを教えてくれない。もう1ヶ月近く続いているこのやりとりは、意図がわからないぶん少し恐ろしい。けれど、わからない問題を教えてくれたり、色々な知識を与えてくれるのは素直にありがたいので無視するわけにもいかずにいる。犬飼先輩は六頴館に通う高校1年生。つまり、俺の進学先の情報をたくさん知っているのだ。
「おれは内進だけど問題の出題傾向は同じだし、外進の子に色々聞けるから頼ってくれたらいいよ」
そんなふうに笑っていた記憶もある。素直に教えてくれた試しは今のところない。
「……ここの解き方がわかりません」
「うーん、じゃあ、今日は辻ちゃんの家族のこと教えてよ」
「わかりました」
このように、だいたいは俺のパーソナルデータを聞いてくる。別に知られても構わないようなことばかりなので、弱みを握りたいわけでもないのだと思う。ちなみに、今後エスカレートした場合は二宮さんに上申しようと考えている。さすがに仲間の弱みを握る人間とは同じ隊にいられないので。
「へえ、お兄さんと弟くんがいるんだね。辻ちゃんに似てる?」
「まあ、それなりに」
「いいね、会ってみたい」
にこにこ笑った先輩は、満足したのかそれじゃあ解説ねと赤本を指さした。
「この証明のポイントはここね。図形が複雑だからわかりにくいけど、これとこれを使って紐解いていけば、後はいつものフォーマットに則って順番に書いていくだけだよ」
先輩の解説はわかりやすい。事実、この1ヶ月で結構赤本の正答率が上がった。このぶんなら合格圏内に入っていると思う。このまま合格した場合、塾に通わず公立から六頴館に進学できたのは確実に犬飼先輩のおかげということになる。
もしそれが知れ渡って、今後増えていくであろう俺の後輩たちに先輩が引っ張りだこになった場合を考えたけれど、毎回対価を求めてくるタイプの教師を何人が許容できるかも不明だし、杞憂かもしれない。少しほっとして、そう思った自分に驚いた。
「辻ちゃん?大丈夫?」
「……え?あ、はい」
「ぼーっとしてるね、受験疲れ?」
犬飼先輩への謎の感情に気がついてから、ぼんやりする時間が増えた。受験日ももうまもなくやってくるのに、と焦る気持ちがないでもないが、別に成績が落ちていないのでいまいち切り替えることもできない。悩む時間を割いても問題ないせいで、考えをすっぱり断ち切れないのだ。俺らしくない。
「大丈夫です。任務中にすみません」
「いや、それは大丈夫。別に失敗してないし、二宮さんも何も言ってこないでしょ、心配はしてると思うけど」
誘導されるままに二宮さんに視線を向けると、一瞬目が合ってふいっと逸らされた。申し訳ない。
「……あの、先輩」
「ん?」
「ひとつ、聞きたいんですけど」
らん、と瞳が光ったように見えた。慌てて口を挟む。
「今日は、先に俺の質問に答えてもらってもいいですか。俺も、後でちゃんと聞くので」
「ん?いいよ」
ありがとうございます、と軽く頭を下げ、軽く深呼吸をしてから口を開いた。
「犬飼先輩、いつも俺に色々聞くじゃないですか。あれ、なんで俺が質問したときばっかりなんですか?」
やっと聞けた。普通に質問してくれたら答えるのに、敢えて俺が聞いたときに返してくる理由がよくわからなかった。単にそういう遊びなのだろうと思って飲み込んできたけれど、改めて聞いてみたら何か印象が違って見えるかもしれない。それに、予想通りの回答でもいくらでも考えようはある。とにかく先輩の口から答えを聞きたくて、質問してみることにしたのだった。
犬飼先輩は少し呆けた顔をして、ひとりで顔を顰めたりほんのり笑ったり、ころころ表情を変えてしばらくしてから教えてくれた。
「辻ちゃんと初めて会った後、これから一緒にやってく人なのに、戦い方以外のことなんにも聞かなかったな、と思って。次に会ったら色々教えてもらおうかなって考えてたんだけど、そしたら辻ちゃん勉強してたじゃん」
「はい」
「邪魔できないし辻ちゃんのことをちゃんと知るのは春になってからかな、とか思ってたんだけど、勉強教えるついでに教えてもらえば良くない?と思って」
つまり。犬飼先輩にとっては、仲間になる以上パーソナルなことも知りたかったから聞いていた、というだけのことらしい。ただの遊びではなかったようだ。
「なに、嫌だった?」
「いや、別にそういうわけでは」
「それならいいけど」
結局、犬飼先輩は思っているより真面目で、優しい人のようだ。穿って見すぎていたのだなと反省する。
「先輩、良い人ですね」
「えー、そう?打算ばっかりだよ」
「勉強教えてくれたじゃないですか」
それなりの関係じゃなかったなら断ってるよ、と言われたけれど、それでもたかが俺のパーソナルデータごときであそこまで面倒を見てくれたのだから十分良い人だと思う。
「まあ、素直に受け取っとこうかな」
「そうしてください」
同じ隊になったおかげで、犬飼先輩の懐に入れてもらえたのならそれは嬉しいことだ。この短期間で、あんなふうに悩んだりこうして素直に喜べるようになるなんて驚きだけれど。あんまり悪い気はしないなと小さく笑ってしまうほどには、それを好ましく思えているのだった。