宋嵐と曉星塵のその後気が付いたら目の前に宋嵐(ソウラン)が居た。
曉星塵(シャオ・シンチェン)は驚いて声を出したが、宋嵐は気づかない。
ふと手を見ると、手が半透明だった。
自分は死んでしまったのだとその時気づいた。宋嵐の腰には曉星塵の霜華がある。
宋嵐が川の水を両手ですくい、のどを潤していた。そのまま石に座り、懐から巾着を取り出す。
「曉星塵…」
名前を呼ばれ、曉星塵は嬉しくなった
『宋嵐、私はここにいるよ』
わかってはいたが、宋嵐が見える範囲に移動しても、どれだけ声をかけても気づいてもらえなかった。寂しい気持ちになったが、宋嵐が目を閉じ巾着を優しく親指でひと撫でしているのを見て幸せになった。
その巾着からはかつて一緒に過ごしていたに少女、阿箐(アージン)と自分の魂魄の気配が感じられたからだ。
いくつかは思い出せるのだが、全ては思い出せない。曉星塵は宋嵐の額に触れてみた。
すると、流れるように宋嵐の記憶が曉星塵に入ってきた。
曉星塵は涙をこぼし、歩き始めた宋嵐のうしろを付いて行った。
宋嵐の首元をよく見ると、黒い筋が見える。たった今垣間見た記憶は間違いないものだったのかと、曉星塵は胸が痛む。
どうかこの人だけは、幸せに生きてほしかったと、大きな背中を見てまたと涙する。
この二日間で、困ったことに眠っていた恋慕の情が蘇ってしまった。
宋嵐は飲む必要も何かを食べる必要も無いらしい。しかし生活はいたって生きている普通の人間と同じだった。キレイな水があれば口に含み、夜になれば焚火をする。
そして毎晩、宋嵐は眠る前に巾着に霊力を送る。毎日の日課にしているようだ。
なんの反応も起きないのがわかっていても。そして必ず最後にひとこと、こう言う。
「目覚めろ、曉星塵。転生して、来世も私と旅をしよう」
今の曉星塵は転生することもままならない程、深手を負っている。せめて曉星塵が転生出来るようにと、試行錯誤しながら宋嵐は旅を続けているのだ。
そして巾着を人撫でして眠る。
宋嵐本人に言ったことは無いが、曉星塵を宋嵐に片思いをしていた。
ふと、自分の目を触る。今まで気にしていなかったが、問題なく視界が見える。
この体はいったいなんと呼べばいいのかはわからないが、半透明な事以外、生きている頃とまったく変わらない。
胸が熱くなる感覚もあれば、泣きたくなる事もある。
本当に不思議だった。
宋嵐は眠る必要の無い体質のようであったが、倒す相手がいなければ時刻が来ると木の下で眠るように目を閉じ、そこから数時間は動かない。
曉星塵は側に座り、彼が起きるのを待つ。
なんとなくソっと宋嵐の肩に頭を置いて、目をつぶってみる。
とても幸せで、気づいたらいつのまにか朝になっていた。
本人にも気づかれていない事もあって、好きなように宋嵐と過ごした。
宋嵐のすぐ側を歩いたり、宋嵐がたまたま曉星塵の方を見た時にニッコリ彼に笑ったりと。
曉星塵は宋嵐と共に時間を過ごせている実感が湧き、毎日が幸せだった。
あるとき、見覚えのある山へ宋嵐は足を運んだ。
この山がなんなのか、曉星塵は思い出せないが、神秘的な霊力が感じられる良い場所だということはわかった。
夜が来て、いつもの通りちょうどいい木を見つけて座る。
曉星塵も彼の側に正座し、少し頭を宋嵐の肩に乗せる。
こうして朝を迎えるのが曉星塵はとても好きだった。
月光に照らされた宋嵐の顔は凛々しく、精悍な顔だちだ。曉星塵はうっとりとその横顔を眺める。
宋嵐がこちらを見て、目が合った。曉星塵はにこりと笑う。自分ではない何かを見ているのを知っている。けれど、目が合った気分になれるのは嬉しいものだった。
宋嵐が驚いた顔をしているので、曉星塵も後ろを見る。
少し遠いところに狸がいる。それだけだ。
(よほど驚くことだろうか?)
曉星塵首を傾げる。
宋嵐は額を指でもんで、ふるふると頭をふった。
「このカラダになっても、幻想というものを見ることはあるようだ」
宋嵐が言う独り言の意味が理解できなかった。どういう意味だ?と聞きたかったが、どうせ質問が帰ってくることはない。曉星塵は頭を宋嵐の肩に乗せて目をつぶった。
宋嵐が一瞬びくりと動いた気がしたが、そのまま朝まで動かなかった。
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昨夜、目の前にうっとりとした顔の曉星塵が現れた。
非常に可愛らしかった。
もしこれが記憶の中にある、あの曉星塵だったら「目覚めたのか!」と両手を上げて喜んでいたことだろう。しかしすぐに疑いの目で見るほか無かった。曉星塵があのような顔を自分に向けるハズが無いと考えたからだ。
『宋嵐、あそこの花はきれいだね。あ、うさぎだ。可愛らしいね』
可愛らしいのはお前だと宋嵐は言ってしまいそうだった。
この山が発する霊気は独特で、何かの幻術を呼び起こす作用でもあるのかと宋嵐は考えている。
そのため、曉星塵に見える何かが笑顔で何かを喋っていても、無視を決め込んでいた。
こういった類はハマってしまうとなかなか幻術から逃れることができない。
最初から無視を決め込んでいれば幻術はすぐに解かれることを知っていた。
二日、三日、そして一週間たっても幻術は消えなかった。
山を下りればこの可愛い男は消えるのかと思ったが、いつまでも引っ付いてきた。
『あっ』
べしゃ、と曉星塵に見える男がコケていた。
あの曉星塵がコケるわけがないだろうと想いながら、人助けがしみついている宋嵐は曉星塵に近寄る。
曉星塵の左足と地面がびったりくっついて離れない。
『どうしよう、宋嵐』
曉星塵が困って宋嵐に助けを求める。
『聞こえないでしょうね…』
「聞こえている」
『えっ』
「ずっと、聞こえていた」
『‥‥』
曉星塵の首筋から耳元までだんだんと赤くなっていくのが見えた。
「本当に、曉星塵なのか」
曉星塵は恥ずかしい気持ちになりながらもコクリと頷いた。
宋嵐が泣き笑いをする。
その顔に、曉星塵の胸が熱くなった。
「毎晩、君を起こしていたんだぞ」
『すみません‥‥ありがとうございます。あの、いつから気づいていたんですか?』
「7日前から」
『そんなに前からどうして言ってくれなかったんです
あ、穴があったら入りたい‥‥』
「何かの術にかかってしまったのかと思って、自然と消えるのを待っていたんだ。だが山を下りても消えないから、いよいよ本物なんじゃないかと思うようになったんだよ。ところで何を踏んだんだ」
『わかりません、足が地面からはがれないんです』
何か紙のようなものを踏んでいるようだった。宋嵐が曉星塵の足からはみ出ている紙をピリリと破ってみる。
『あっ、足が地面からはなれました。ありがとうございます』
「呪符だ…この札は…確か魏無羨が作ったものだ」
『彼はすごい人ですね。なんでも作って』
「魏無羨を知っているのか」
『ええ…大変失礼な事をしてしまって申し訳ないのですが、貴方の記憶を見させて頂いて‥‥』
「そうか‥‥」
しばらく二人とも押し黙る。
なぜならこの数日間、無防備な曉星塵が少女のように宋嵐に「好きですよ」と何度も声をかけていた。ただの幻術かと思っていたのに、本物が言っていたとなると、宋嵐にとってはたまったものではない。なぜなら宋嵐も同じ気持ちを曉星塵に抱くようになっていたからだ。
「曉星塵…」
『すみませんでした!』
「星塵、なぜ謝る」
『だって、見えていないからってあんなに…』
両手で顔を覆って、今までの所業を恥ずかしく思っていた。
『穴があったら入りたい…あの、私はもうここで成仏できるまでじっとしてようと思います。気持ちの悪い思いをさせてしまって、すみませんでした‥‥』
「それは困る。私と一緒に旅をするんだろう」
『で、できません。女性でもないのに、あなたに付きまとって…本当に、申し訳ない‥‥』
この体にされてからも、今のように胸が熱くなることが出来るのかと宋嵐は思った。
ぽろぽろと反省をして泣き始めた曉星塵を抱きしめる。
「触れるんだな」
『宋嵐…?』
「曉星塵、私も同じ気持ちだ。そんなに泣くな」
『…!』
「いつまでも、一緒に旅をしよう」
曉星塵は震えながら頷いた。
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それから、曉星塵から宋嵐の肩に頭を乗せて眠らなくなった。
「なぜもう頭を乗せてこないんだ?可愛かったのに」
『あんな恥ずかしいこと、もう二度とできませんよ』
「私は嬉しかったよ。星塵が目をつぶっているあいだ、綺麗な顔だなとよく眺めていた。もし幻術だったら危なかっただろうな。すっかり君の顔に見とれていたから」
『・・・!』
「あの時…頭に血が上ってひどい事を言ってしまってすまなかった。まさか君が目を私に…あの言葉を言わなければよかったと‥‥悔やんでも悔やみきれない」
『そんな…私が悪かったのですから、貴方が謝る必要なんて、』
しばし沈黙が流れる。
「いつから私の事を好きだと思ってくれていたんだ」
『…はじめからです』
「はじめから」
これには驚いた。まったくそのような素振りを見せなかったからだ。
宋嵐の胸に熱くて苦しい熱が流れる気がした。
『はい…あの、宋嵐は…? その、いつから…私の事をそういう風に…』
「いつからかはわからないんだが…はっきりと自覚したのは、この目を君からもらって数日してからだった。目が見えない君を、どうしても自分の元へ連れてきて、家で療養させたいと必死に探していたよ」
『そう、だったんですか。すみません、お手間をおかけしましたね』
「本当に、手間がかかったよ。でも、こうして君が側にいてくれるんだ。悪くない人生だよ」
半透明の曉星塵を抱きすくめ、頬に口づけを落とした。
「愛しているよ、曉星塵」
曉星塵は嬉しさのあまり何も言えず、ぎゅっと宋嵐を抱き返した。
~fin.~