モクチェズ版ワンライ_罠 どかどかと室内に入っていくアーロンの腰には、ずるずると引きずられるルークがくっ付いていた。
アーロンは至極鬱陶しいといった顔で力づくに歩き、ルークは必死にそれに食らいつく。
「ダメだって、アーロン」
「今更だろ! もう部屋ン中入ってんだよ、鬱陶しい!」
ルークとアーロンは、現在モクマとチェズレイが滞在しているという拠点へ来ていた。しかしその中に二人の気配はない。
ことのあらましはこうである。
仕事と休暇、両方の意味でハスマリーに訪れたルークはアーロンやアラナと数日過ごしていた。
仕事の都合上、ハスマリーの隣国から飛行機に乗るというルークに、アラナはアーロンと共に使いを頼み、ルークが発つ数日前から二人は隣国に滞在することになった。
そんな折、モクマと連絡を取ったルークは、モクマとチェズレイも数日同じ都市内に滞在していることを知る。お互いの都合上、時間を取って会うことは難しそうだったが、ルークが出国する前ならば少しだけ顔を合わせることができそうだった。
ルークとモクマはスケジュールを詰め、ルークが空港へ向かう前、モクマたちの拠点で会うことになった。
――が、しかし。時間になってもモクマは現れなかった。何かトラブルでも、とルークは心配するが、アーロンはおっさんに限ってそんなことねえだろ、と一蹴した。
とにかくルークは待ったが、搭乗時間もある。そろそろ待つのも限界だと、諦めて空港へ向かおうとした。
「おい、それどうすうんだよ」
「あ……そうだ。どうしよう」
ルークをアーロンが引き留めて、ルークの持っていたビニール袋を指差した。
それは差し入れだった。時間がなくて上等なものは用意できなかったが、通話の際、よくモクマが食べていたアイスだ。幸い世界的に展開しているメーカーで、この都市でも買うことができた。よほど好きなのだろうと、少し多めに買い、渡すつもりだった。
処分するには勿体なさすぎるし、今ここで食べきるには多い。ルークは頭を抱えて唸る。
「開いたぞ」
「えっ!?」
ガチャ、と玄関が開いた。アーロンは無遠慮に中へ入っていく。ルークは考えるよりも先にアーロンを引き留めようと追いすがった。というところで、冒頭に戻る。
「だいたい、どうやって」
「あ? 俺が怪盗ビーストだって忘れたか?」
「ピッキングじゃないか……」
振り落とされたルークが弱弱しく言った。アーロンは落ちたビニール袋を拾い上げると、袋のまま冷凍庫に突っ込む。確かに買ったものと同じものが1つ、その中にあった。よっぽど気に入っているのか。アーロンでさえそう思った。
「待ってくれ、アイス以外もあるんだ」
ルークは慌てて袋から別に買ったクッキー缶を取り出し、冷凍庫を閉める。
クッキー缶はカウンターに置き、懐から取り出した手帳を破ってメモ書きを残す。そして既に玄関へ向かっていたアーロンを慌てて追いかけた。
「ふ、不法侵入……」
「いねえおっさんが悪ぃ」
「アーロン、鍵直せるだろう? お願いだ」
がっくりと項垂れたルークは、せめて鍵は元通りにしてくれとアーロンに頼む。心底面倒臭いといった顔をしたアーロンだったが、警官の顔をしているルークに、これは諦めない顔だと思って大人しく話を聞いてやった。ピッキングで不法侵入して、ご丁寧に鍵を閉めていくなんざ、行儀がいいのか悪いのか。アーロンは何度か施錠を確認するルークに呆れていた。
「ありがとう、やっぱり君は――」
「時間、大丈夫なのか」
満足したように頷いて振り向いたルークがまたクセぇことを言いだす前にと、アーロンは腕時計を指差した。ルークは青ざめ、通りへ飛び出てタクシーを拾う。
「アーロン、ありがとう! またハスマリーへ行くよ」
「おーおー」
慌ただしくも、最後はいつもの笑顔でルークは去っていく。
アーロンは呆れながらもその姿を見送り、自身もハスマリーへ戻ったのだった。
***
結局モクマが拠点へ戻ったのは、ルークもアーロンも去ってから数時間経ってからだった。
今日はこの都市での、ニンジャジャンのラストステージだった。午前中のみの公演で、昼までには戻って来れる予定だったのだが、あまりの反響に予定が午後までもつれ込んだ挙句、打ち上げと称してスタッフにも連れまわされてしまった。そうしてルークに連絡もできぬまま今に至る。
非礼を詫びねば、と急いでルークへコールしてみたが、繋がらなかった。しょうがない、後にしようとリビングを見れば、カウンターにクッキー缶が置かれているのを発見する。走り書きで「勝手にすみません。差し入れです。ルーク」とメモがあった。どうやって中に入ったのだろうか、と一瞬疑問に思ったが、アーロンも一緒だったと思い出して、なんとなくの想像がついた。
「戻りました。何ですか、それ」
缶を取ってメモを見ていると、チェズレイも帰宅した。モクマよりは遅くにここを出たが、ルークたちとはバッティングしなかったのだろう。杖を置き、上着を脱いで、モクマの手から缶とメモを取り上げた。
「あァ、ボスがこちらへ? 何故言って下さらないのです」
そういえばルークが来ると言ってなかったと、悲しむような怒りを滲ませるような顔したチェズレイを見てモクマは思い出した。
が、アーロンも一緒だったことを思えば、言わなくて正解だっただろう。モクマはまぁまぁと誤魔化してチェズレイを落ち着かせる。
「まぁ、ボスの可愛らしい筆跡が入手できたので良しとしましょう」
「はいはい。そうね。ところでそれ、何か買ってきたの?」
モクマは話題を逸らすように、チェズレイの持つビニール袋を指差した。
チェズレイはああ、と思い出したように頷き、冷蔵庫の前へ行く。
「ミネラルウォーターが切れていましたので。
では、私はシャワーを」
「はいよ~」
冷蔵庫の閉まる音がして、チェズレイが浴室へ向かう。帰宅後は大体シャワーを浴びるのが彼のルーティンだ。モクマはチェズレイを見送ると、いそいそとキッチンへ向かい、冷蔵庫を確認した。
チェズレイがシャワーを浴びている間、モクマが冷蔵庫の中のあるものを確認するのもまた、ルーティンだった。
冷蔵庫の一番下の段。冷凍庫を引っ張る。ガラガラと音がして、目的のものが目に入った。
「おっ、今日はあったねえ……って、!?」
モクマはお目当てのものがあったことにご機嫌になり、ふとその横にあったビニール袋を中身が視界に入った。その中には、お目当てのものと同じもの――アイスがたくさん入っている。
「え、あれ、うん? どういうことだ……?
え、でも、うーん、いや、そう、そういうことか……やっぱり……?」
挙動不審になりながら、モクマはぐるぐると思考を巡らせる。
さっきチェズレイが持っていたビニール袋。ミネラルウォーターを買ったと言っていたが、これも買ったのだろうか。袋ごと入れるのにはやや違和感があるが、このアイスの意味を考えれば、袋のまま入れるのは分からなくもない。
そう。二人の間でこの“アイス”には特別な意味がある。
「見られるのが恥ずかしかったのかな……。
いや、でも……そうか、チェズレイ……へへ、そうかぁ……」
とにかくモクマはアイスを一つ手に取って外装を外した。開けっ放しでピーピーと警戒音が鳴り始めた冷凍庫を閉じて、軽くスキップしながらダイニングの椅子に座る。にやにやと勝手に緩んでいく頬にアイスを詰め込んで、チェズレイが戻ってくるのを嬉々として待った。
***
「!? あれチェズレイが買ってきたんじゃないの!?」
「……知りませんよ」
裸のままベッドに伏せたチェズレイが掠れた声で返答した。いつまで経っても落ち着かない呼吸は、今までの行為がいかに長く執拗だったを物語っている。
一方のモクマは、久しぶりに頑張っちゃったな~とか、でも誘ってきたのはチェズレイだしいと一仕事終えたあとの充足感で満たされながらも、今日はどうしちゃったの? と相方からの熱烈アピールの謎を紐解こうとしたところで、自分が盛大に勘違いしていることを知った。
「だ、だって、ビニール袋にいっぱいあったじゃん!?
水と一緒に買ったんじゃないの?」
「……だから、知らない」
チェズレイは答えるのも億劫なのか、ようやく聞き取れる程度の声量で言うと、そこからぱったり動かなくなる。よほど疲れているようだった。
彼らの中で“アイス”は夜の行為を示唆する意味を持つ。
冷凍庫の中に特定のアイスが入っていれば今日はOK、入ってなければNO。具体的に何がきっかけだったかは忘れてしまったが、そんな取り決めがいつしか出来上がっていた。アイスを買って来るのはチェズレイだ。どこででも売っているチープなアイスであるのは、各地を転々とする二人にとって手に入りやすいからだろう。そしてそれを食べるのはモクマだ。チェズレイが入浴中にそれを食べる。そこまでがルーティンで、その度に恥ずかしがり屋の恋人の可愛らしい誘い方だと、モクマは頬を緩ませる。
そんな特別な意味合いのあるアイスが、ビニール袋いっぱい、今日は入っていたのだ。
確かに最近はアイスが入っていなかった。というのもここに滞在しているのは簡単な仕事はあれど、トランジット的意味合いが強かった。そのためいつものようなセーフハウスや豪華な高級ホテルではなく、ウィークリーマンション的な賃貸で、近隣が気になるのか、それともただベッドが気に入らないのか、とにかくチェズレイからのお誘いは少なかった。まあモクマから誘う時は拒否しないので、コトが全くなかったわけではない。
そんな折での大量のアイス。そりゃあもう、熱烈なアピールだと判断した。ビニール袋ごと入れていたのは、そんな大胆なお誘いを少しでも隠そうとする恥じらい……。こんなにたくさん……食べてくださいってことか! とモクマは頑張った。頑張りに頑張って、チェズレイはほとんど話せないほど声は枯れ、事後にも関わらずベッドに沈んで動こうとしない有様であった。
が、どうやら事実は違うらしい。ではあれは何だったのだろうか。
解けない謎に脳を回しながら、諸々の後始末用の準備をしようとモクマは寝室を後にしリビングへ向かった。
冷蔵庫からチェズレイの買ってきたペットボトルを取る。適当なフェイスタオルも棚から取り出して、としていると、充電中のタブレットが光った。ルークからのコールだった。
「あっ、モクマさん! 今そっち夜ですよね? ごめんなさい、また後で――」
「うんにゃ、起きてるから大丈夫だよ。こっちこそ今日はごめんね」
モクマからの履歴を見て、慌てて折り返したのだろう。時差を考えていなかったルークは、焦ったような声色で通話を切ろうとしたが、モクマはそれを遮った。
互いに軽く状況を話し、ああなるほどと互いに納得し合う。そして互いに謝罪し合った。
「すみません、勝手に入っちゃって……」
「大丈夫だって。こっちが約束破っちゃったわけだし。
あ、クッキーありがとね」
「はい。あ、あと冷凍庫にアイスも入れておきましたよ。
モクマさん好きなのかと思って」
いつも食べてますよね、とルークが笑いながら言った。意外です。とも。
しかしモクマはルークの話を聞いていなかった。点と点が繋がって線となった快感、その次に、盛大な気恥ずかしさ、罪悪感。
チェズレイは自分とモクマのことを父母、ルークのことを息子だと表現することがある。そんな例えは全くよく分からなかったが、今なら少し分かる。この気恥ずかしさや罪悪感はあれだ。息子に自分たちのセックスを見られてしまった時のあれだ。いや、子供などいたこともないし、実際に見られたわけではないのだが。
そんなことがぐるぐると巡って、モクマはどんな顔をしてルークと会話したらいいのか分からなかった。まさかこんな罠があったなんて。いやルークは全く悪くはないし、罠を張ったわけでもない。むしろこんな分かりずらい独自ルールを敷いている二人が悪い。
「モクさん? お疲れですか? すみません、こんな夜に」
「えっ、あー、いや。違う違う。
ルークの観察眼が流石だな、と思ってたんだよ。さすがお巡りさんだね」
「ええ、そうですか? そんな、えへへ」
素直にほめられたと思って照れるルークに、モクマの罪悪感が一回り大きくなる。が、悟られても困るので、モクマはなるべくニコニコとした顔を崩さないように気張った。
それでも、そんなモクマの内心なんて知るよしもないルークは無邪気に、「また送りますよ」なんて言うもんだから、モクマは焦ってそれを断った。
「いやいやそんなの悪いし、ほら、もうここは発つからさ」
「そうですか。じゃあまたの機会にでも」
「うん。ありがとね。じゃあそろそろ寝るよ」
「あっ、はい。それではまた」
バイバ~イと努めていつもの通りに手を振って通話を切る。ふうとモクマはため息をついて、片手に持ったペットボトルの水を眺めた。
いや、本当に。今日は本当に無理をさせたのだ。その証拠に、5分10分ほど話し込んでしまったが、チェズレイが寝室から出てくる様子はない。終わった後は絶対にシャワーを浴びるのに、そんな気配すらない。きっとベッドに沈んで1ミリも動いていないだろう。そのくらいにしてしまった自覚が、ある。
『だってアイスが大量にあったから』
なんて言い訳、許してくれないだろうなあ、とモクマは今夜の所業の言い訳に頭を悩ませた。
――翌日、真相を知ったチェズレイが、モクマへ怒りのドレミを奏でるのを必死に止めて、その後なぜかアーロンへお礼参りをすると言い出して、ヘリやら何やらを手配しようとするのを止めるのに苦労したのは、また別のお話である。