愛の才能「「ただいま我が家!」」
少しばかりの留守の後、現在の我が家に帰ってきたスノウとホワイトに弟子たちが駆け寄ってくる―などといったことはありはしなかったが、自分達の姿を確認し彼らがわずかばかり表情を変えたことには少なからず教育の手応えを感じた。教育とはいえ真似事にすぎないのだが、これでも試行錯誤を繰り返してきたし、総合的に見れば上手くいっているとは言い難い有り様なので、少しでも変化があると報われたような気持ちになってしまう。何年生きてきても単純なところは単純らしい。
「おかえりなさい。ご無事で何よりです」
フィガロが見本のような言葉で迎えるその傍らで、オズは唇を結んだまま佇んでいるだけだが、姿を見せるということは自分達の動向に少なくとも興味を持っているということなので、スノウとホワイトは外出の疲れも癒されるような思いで破顔した。
「うむ。留守中困ったことはなかったかのう?」
「問題ないです。相変わらずともいいますね」
「上等じゃ」
何事もなくて上等、たとえ何か良くないことがあってもおおよそは些末なことである。相変わらずという言葉は、少なくともこの場には日常が保たれたという証明であるということで、双子は揃って満足げに頷いた。
「ふたりとも、留守番ご苦労じゃった」
「偉い偉い! いいこいいこしてやろうな」
「別にそういうのはいらな……」
「「いいこいいこ~」」
そうしてフィガロを有無を言わさず撫でくりまわし始めるが、留守番ができて偉いからというよりも、自分達が心身消耗したので補給をしたいがゆえの行為であることをフィガロは知っていた。もちろん、留守を預かりオズの様子をみていたことへの労いもあるだろうが、一番は彼ら自身の癒しの為である。
とはいえ減るものでもなし、少なからず疲れていることには間違いないので、まずは好きにさせてやるのがいい。後のことはそれから、二人の気分や機嫌次第だ。
「ほら、オズも」
フィガロは、この場から離脱しようとしていたオズの腕をすかさず掴んで笑いかけた。感情の起伏や表情の変化が乏しいオズが一瞬焦ったような目をしたが、彼だけ逃がすのは嫌だったので、道連れにするのである。
「いらない」
「我ら疲れておるから、可愛い弟子をいいこいいこして癒されたいのじゃ」
「オズもフィガロも我らもみーんな偉い!」
「よーしよしよし! 我らがいなくて寂しかったじゃろう。我らも寂しかったんだからー!」
「……」
寂しいだなんてまったくそんなことはないし、そっちも本当は別に寂しくなんかなかっただろう―といった様子の物言いたげな表情で、オズはスノウとホワイトにされるがままだ。しかし、おかげで少し解放されたので、フィガロは二人に撫でられ乱れた髪を整えると「お茶の準備をします」と言ってそれとなく離脱した。
「フィガロは要領がいいのう」
「でもちょっと薄情じゃな」
「俺ばっかり誉められてちゃずるいでしょう?」
スノウとホワイトは、しらっとした表情を見せただけのフィガロに対し特に気を悪くすることもなくオズを構い倒した。このところはこうして絡んでも魔法を発動させることもなくなってきた。良い傾向である。
「あ~癒された! 続きはまた後にするとしよう」
「我らちょっと着替えてくるからのう。フィガロと待っててくれぬか」
良い傾向ではあるのだが、オズの我慢の限界も何となく察しはするので、二人は指先にぱちぱちと電気が走り始めたところでぱっとオズから手を離し、揃って自室へと歩き出した。
すれ違い様にオズが苛立ちと困惑が混ざった目を向けていたが、視界の端に留めて見ないふりをして、きゃっきゃとはしゃぎながら。
着替えた後はフィガロが淹れた温かい紅茶を四人で飲んで、それから少し眠って夜の食事をしてその日はさっさと休んだ。家を空けたのはほんの数日だったが、少なからず心身を消耗していたし、眠るまではやはり非日常だ。帰ってくるまでが外出であるのと同じように、眠るまでが今日一日なので、区切りをつけたかった。
「あ~疲れた。よく眠れそうじゃ」
「……眠れぬ」
「えっ? 嘘でしょ?」
眠りに落ちるだけだと充足感に満ち満ちて瞼を閉じたスノウだったが、ホワイトが言ったのを聞きぱちりと目を明け振り向いた。ホワイトは仰向けになったままスノウを見ない。
「我もそう思ったけど、全然眠くないのじゃ」
「え~じゃあ先寝るね! おやすみホワイトちゃん」
「そなたも大概薄情じゃな。まあよい、おやすみスノウちゃん」
言葉を交わしあって程なく、ホワイトはベッドから降りた。このまま横になって眠気を覚えるのを待っていようかとも思ったのだが、スノウの安らかな寝息を聞いていたら眠れないことに腹が立ち、ますます目が冴えてきてしまったのである。
示しあわせたわけでもないのに同時に眠りに落ちるのが常であったが、こんな夜もある。ただ、こういうときはどうしたところで、どう思い信じたところで二人は個別の二人であるということを思い知る。それが苦しかった。
しかし、共有したい相手は夢の中なので仕方がないし、諦めた方が早く、楽なこともあることくらいは知っている。
そうして自室から出たホワイトは、居間へ足を向けた。
居間には、揺り椅子がある。いつ頃だったかは忘れてしまったが、庇護していた集落の者から献上されて以来手入れをしながら使い続けているのだが、手入れと修理を繰り返しすぎてそろそろ別物になってきているような気もしていた。しかし、ここまできてしまえば結び付いている思い出が確かならばそれで構わなかった。
ホワイトは、ごく稀に自分だけ眠れない夜はその揺り椅子にかけて過ごすことにしているので、今夜もそのつもりで部屋を出てきたのだが、無人の筈の居間から気配がする。
「……?」
スノウ以外となると、フィガロかオズのどちらか、或いはふたりでいるか。彼らの方が早く自室に引き上げていったのでそれから戻ってきたということになる。しかし何の用事や目的があろうとなかろうと、屋根を吹き飛ばしたり壁に穴をあけたりといったことをしないのであれば、好きな場所で自由に過ごしてくれていて構わないので、ホワイトは特に身構えることなく居間のドアを開けた。
中では、オズが揺り椅子に座っていて、暖炉の火を見つめていた。寝支度を整えた後らしく、髪をおろし夜着を身につけ、そして裸足だった。
この家の中はあたたかさが保たれているので、薄着でいても何ら問題はないし、自分も然して変わらないいでたちなのだが、裸足なのはいただけない。
猫のように振り向いて椅子から降りたオズを「いいから」と宥めて座らせると、ホワイトは魔法で自室の箪笥の中から毛糸の靴下を手元に持ってきて履かせてやった。
「眠れないのかのう?」
「……」
「そうか」
「まだ何も言ってない」
紅い目をゆっくり瞬いてオズはそう言ったが、何となく口にした問いへの答えが聞きたいわけではないホワイトは、それに対して笑みを浮かべるのみだった。眠れないのは自分だ。オズがどうなのかはどちらでもよかった。眠れなくても、ただ眠りたくないだけでも、眠いけれどもここにいたいだけであっても。
明かりを灯さない居間を、暖炉の火が照らす。日常と非日常の間くらいの曖昧な時間を、ホワイトとオズはなんともなしに過ごしていた。
「……いない間、ここにいた」
自分達が出かけている間のことを言っているのだろう。少し意外に思いながら、ホワイトはオズが言葉少なにゆっくりとした調子で話すのを聞いていた。
日頃から何を考えて生きているかよく分からない子であったし、彼は自身の思いや考えを殆ど口にしてこなかったので、こうして彼から自発的に何か話そうとしているのなら妨げたくないのだ。
「我らがいない間は、そなたとフィガロがこの屋敷の主人じゃからのう。ゆっくりできたろう」
「……分からない」
オズはそう言っているが、フィガロが特に何も話してこなかったので、本当に問題はなく相変わらず、つまり別段報告するようなことは何もなかったのだろう。
オズの場合は自分自身の気分や感情を言い表すのが不得手といった面も影響しているだろうが、今夜は言葉にしづらいことを諦めてしまわず、向き合おうとしているように見えた。気のせいかもしれないが確かめるつもりもないので、ホワイトはひとりで完結させてオズが座っている椅子をゆっくりと揺らした。
「いいこじゃのう、オズ。我らが家を空けている内に出ていくことだってできたものを」
「…………思い付かなかった」
「そうか」
今回に限らず、スノウと共に屋敷を空ける日はいつでもそうだ。帰ってきて我が家がある保証はない。我が家が残っていてもそこがもぬけの殻になっているかもしれないと思いながら帰宅する。
フィガロもオズも、その気になればこんな屋敷など消し飛ばせるだろうし、簡単に出ていけるのだ。彼らとこんな関係になる前に多少の力をもって色々と教え込みはしたものの、二人には自我がある。家だって関係だって容易く捨てられるはずだ。
律儀なのか諦めているのか、あるいはそれなりに使えると思われているのかどうかは知らないし確かめるつもりもないけれども、考えてみれば不思議ではある。猫だって、家も人間も捨てるというのに。
絶対はないし、永遠もない。こんな時間にも終わりが来て、いずれ変わっていくのを、自分は許せるだろうか。そんな風に思いながら、何ともなしに椅子を揺らしていると、不意にオズがホワイトを見上げて言った。
「……ホワイトがいる」
「うむ。ここにおるぞ」
「……いる」
「……?」
確かにいるが、それがどうしたのだろう。言葉が感情に対して足りないことやついてきていないと思われることの多い子なので、ホワイトは出てくるのを待っているという意思をもってオズに微笑みかける。
しかし、オズは深紅の目を瞬いて視線をそらしてしまった。
「もういい」
「えっ? なに? なに? どうしたの?」
「どうもしない。寝る」
「そうか……? よく分からぬが、おやすみ。オズ」
もしかしたら、自分が試すようなことを言ってなにか気を遣わせたかもしれない。ホワイトは省みながらもやはり心当たりはないので、自己完結させてしまったらしいオズをただ見送った。毛糸の靴下をはいた足で音も立てずに歩いていくその姿が見えなくなって、揺らしていた椅子が止まってしまうまで。
◆◇◆
早朝の談話室は、昨夜最後に出ていった誰かが火の始末をして時間が経っているので冷える。スノウとホワイトはそこに火を入れてゆっくりとあたためるのをおおよそ日課にしていた。思いついたときや気が向いたときだけなのだが、今朝は来てみれば先客がいた。
暖炉前のソファにかけたオズは長い髪を結いもせずおろしていて、軽装だった。ここで夜を明かしたのかどうか、痕跡はなにもないので分からないが別段訊きたい気分でもない。ホワイトはオズがかけているソファと向き合うように配置されている暖炉近くのソファに腰かけた。けれども、オズはホワイトを一瞥しただけだった。
「……暖炉の火をみていると、ごくたまにあの頃のことを思い出すのじゃ」
「……」
「憶えておるか? 居間にそなたがひとりで……聞いてるー?」
「聞いている。思い出すのだろう」
疑っているようなので、オズがしかたなしに話の大筋を振り返ると、ホワイトは大袈裟に喜びながら座ったばかりのソファから降りて場所を移動してきた。移動先は、オズの膝の上である。
「よかった~。てっきり無視されているものかと思ってあやうく泣くところじゃった」
自分を無視している相手に話をし続けることができるとは、よく言えば精神が強靭、悪く言えばどうかしているのだが、そういったところは姿と同様に昔と変わっていない。オズは膝の上で泣き真似をしているホワイトを好きにさせたまま思う。
大体一方的だった。いつも双子両方かどちらかがよく喋って、自分は黙ってばかりだった。言葉を返す隙がないこともあったが、おおよその場合は適切な言葉を探すのに時間がかかりすぎていた。
これは、自分の変わらない点だ。いまは若い魔法使い相手に言葉探しに時間をかけ、反応が遅いと怒られている。それを思えば、あのころのスノウとホワイトは相当気が長かったのかもしれない。
「スノウは」
「まだベッドでぐだぐだしておる」
「……」
「ちょっと、迷惑そうな顔しないでくれるー? 傷つくんですけど」
そんな顔をした覚えはないのだが、ホワイトは大袈裟に悲しそうにしてみせている。強靭でどうかしていて、それでいて器用だ。遊びで済んでいる内は。とはいえ、こんな風に絡んでくるのは少なからずなにかがあったときである。オズはホワイトの様子を見ながら思い当たる節を探した。あの頃を思い出すと言っていたので、おそらく『あの頃』のなにかなのだろうが―。なにぶん昔のことだから、ほとんど憶えていない。
しかし暖炉をみていて思い出すことなら、ないわけではなかった。
とうに色は失せた記憶のなかの、そろそろ思い出せなくなりそうなくらい前の出来事だ。いまは捨てられたスノウとホワイトの何軒めかの屋敷で暮らしていたある日の夜のことである。その日は確か、しばらく屋敷を空けていたふたりが帰ってきた日で―そのこと自体が特になにかあったというわけではないが、とにかく眠れなかったことと、そんな夜をなぜかホワイトと過ごしたことを憶えている。
夜は与えられた部屋に戻ればそれきりで、朝までの間に誰かと顔を合わせることはほとんどなかったから憶えているだけかもしれない。しかし、それにしては焼きついた影のように痕を残しているのだ。
燃える暖炉の火
誰にともつかない言葉を口にする、ゆったりとした声
心地よく揺れる椅子
夢か幻のように曖昧で、けれどもこれだけ生きてもまだ不意に思い出される不思議な記憶だ。あの時間はとうに失われて、スノウとホワイトの関係も変わってしまったし、自分もフィガロもあのころと同じふたりではない。……それでも。
「しかし、いまでも分からぬ。あのときオズが言っていた……」
「私は覚えている」
「えっ!? 何を?」
「……分からないならそれまでだ」
「いまの教えてくれる流れじゃなかった?」
「知らん」
たとえ、憶えているが自分だけでも構わない。あの時間は、かけてくれた言葉は、そして、自分の思いは確かにあったのだから。オズは、ぐいぐいと迫ってくるホワイトから顔をそむけながら眉根を寄せた。本当に変わってしまった。あのころのホワイトはこんなことはしなかったはずだ。……たぶん。
「教えてくれないと拗ねるぞ。泣くぞ。不貞腐れるぞ。あっ、そうじゃ! おはようのキスでもしてやろ……ふがっ」
「いらん」
「あろうことか師匠の可愛いお顔に何たる仕打ち!」
仕打ちも何も。オズは近づいてきたホワイトの顔を手のひらで押し返しながらため息をつく。スノウがいないのは幸いだったが、フィガロがいれば少しはマシだったかもしれないのに。しかし彼は離脱するのが上手いから、結局逃げ遅れた自分がもみくちゃにされるのだろう。昔からそうだ。
「……我ら、親になるには苦労するのう」
「まだ、親になるつもりでも?」
「もういいかなあ。でも、人生何があるか分からぬものじゃろう。互いにな」
悪ふざけはやめにするのか、ホワイトは急におとなしくなってオズの体に身を預けて目を伏せた。
別に、彼らと出会うことはなくても生き延びることはできたし、出会わなければ出会わないなりの生き方をしていたのだろうし、そうでなければどこかで死んでいたかどうかというだけの話なのだが、出会ってしまった。
そのときが、自分の運命の最初の分かれ目だった。
当時の自分がいったい何を思い考えていたのかは、記憶が曖昧すぎてもう思い出せない。しかし、彼らと出会うことで生き方を学ぶ機会を得たのは確かだ。
言葉によるコミュニケーションや、文化的な生活、その他多くのことを教わり、いまの自分の礎としたのである。面倒なことや厄介なことも多くあったが、それ以上に得るものがあったのかもしれないと、いまならそう感じるところも少なからずある。
だから、何があるかわからないものだという言い分には同調できた。頷いてはやらないけれども。
頷かなかったその代わりに、オズはホワイトを見下ろして細く軽い体にそっと手を置いた。暖炉の前にいたからか、ほんのりと熱が移っているがあたたかいとはいえない体はどこか現実感はないが、この手に触れるのならホワイトはいる。『いる』のだ。
「眠るなら自室へ戻れ」
「嫌じゃ。ここで二度寝するって決めたもん」
「決めるな。考え直せ」
膝を動かして揺らしてみても、ホワイトは瞼を閉じたままくすぐるように笑うだけだった。
<おわり>
以
下
メ
モ
(蛇足ともいいます)
ホワイトがいる とは、「要る」と「居る」で、オズは「要る」って言ったつもりだったけど、ホワイトは「居る」だと思っていて会話が失敗した という話でした。
自分で書いたことの説明をするのは無様ですが、これは解答をおいておかないと絶対わからないな…と思ったので許してください
子オズはまあまあの決心をしたというか、それなりに考えて頑張って言葉にしたのに、会話が噛み合わなかったことをちょっと根にもっているんですが、最後の方の「いる」は昔のホワイトが言ったのと同じ「居る」です。いま「要る」と思うかというとあのときとはまったく気持ちが違うので。でも、居るんだなっていう。
あとこれは完全に私の幻覚なのですが、オズが気持ちの言語化がうまくいかないときに一番正解に近いところに着地してくれるのはホワイトなんじゃないかな~ すみません、幻覚です
だからフィガロとふたりで留守番でちょっと苦労して、ホワイト要る……(意訳)って感じてたっていう そんなことを考えて書いたような気がします。
タイトルについて
これもふんわりなのですが、フィガロもオズもスノウとホワイトから愛情因子継承だけはしていて、それがそれぞれ南の子やアーサーに対して奇跡的に発動して、彼らは自分自身でそのヒントレベルを上げていく……という幻覚を私は見ていて、その一部を書いた形です。
でも、スノウとホワイトもまだまだヒントレベル自らあげていけると勝手に信じています。賢者への接し方とかみてるとそんな気がして……終始幻覚です、終わります。