相澤さんちの日常小話「んっしょ、んっしょ」
ダイニングテーブルで書類を書いていると、美月がプープー鳴る椅子を運び出した。自分の体の半分くらいはある赤い椅子を反り返って運ぶ姿は危なっかしくて目が離せない。
横目で美月の様子を確認していると、テーブルを挟んだ向かい側に椅子を置いている。その上に美月が登ると、ぷーう、と気の抜けた音が鳴った。最近すっかり口達者になってきた娘の顔がテーブル越しにぴょこんと現れる。不器用な緑谷が結んだ髪は左右で高さが違うがそれも可愛く見えてしまうから末期だ。後で結び直してやろうか。けどそうすると緑谷が少し不貞腐れるんだよな……。
「美月、椅子の上に立つのはいけません」
「はあい」
お返事だけは良い。
テーブルに両肘をつきまあるいほっぺたを小さな手で包んだ美月がにこにことこちらを見上げてくる。緑谷譲りの翠色の瞳がキラキラ輝いていた。
「遊んで欲しい?」
「んーん、ちがうの」
「おやつが欲しい?」
「ちがう。パパはおしごとつづけるの」
何だろう……。
文字に興味があるとか。
万年筆が珍しいとか。
後もう少しなので先に書き終わらせてしまおうとペンを走らせるが、その間も美月は何をするでもなくただただにこにこしていた。
正直とても気になる。
「美月は何をしているのかな」
たまらず聞いてみると、うふふ、と楽しそうに美月は笑った。
「あのね、こうしてるとみつきのかわいいおかお、ずっとみてられるでしょ」
「え、せんせ、パパ、何があったんですかっ?」
机に突っ伏している俺とそれをにこにこ眺めている美月を交互に見て、緑谷が驚いている。
んふー、と気を良くした美月はぴょこんと椅子から飛び降り緑谷のところへ駆けて行った。
「みつきちゃんがかわいーからなの」
ぴょんぴょん飛び跳ねる美月を抱き上げた緑谷は、ああ、と合点がいったように眉尻を下げた。
「何か大体察しがついたような……」
「さっしってなあに?」
「わかったっていう意味だよ」
「美月、ママにもやってあげて」
「はあーい」
同じことをされた緑谷もまた可愛い愛娘によって撃沈されたことは言うまでもない。