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    満ツ雪

    @32_yu_u

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    満ツ雪

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    🍡さんに捧げるアパート相出。
    古いアパートで同棲しているふたりの夏のお話です。

    #相出
    phaseOut

    或る夏の日 その日は朝からよく晴れていて夏らしい一日だった。東向きのアパートは午前中をやり過ごせば何とかなると思ったら大間違いだ。西側にある台所の磨り硝子からはまともに西陽が入り、眩しさと暑さで台所に立つ気を失くしてしまう。アパートの古いエアコン一台ではおよそ太刀打ち出来ず、扇風機は部屋から台所へ、台所から部屋へと日に何度も移動した。けれど二人とももう一台扇風機を買おうとは言い出さなかった。扇風機が移動したなら一緒に人間も移動したら済むからだ。
     辺りが薄暗くなってようやく気温が三十度を切った頃、僕たちは最近買ったばかりの揃いの草履を引っ掛けて部屋を後にした。荷物は先生が持つエコバックひとつ。ここに越して来た時に町内会から贈られた、地元の商店街のマークが入ったバックだ。耐水性もあって大きさも丁度良い。バッグの中には二人分の着替えとタオルが入っている。徒歩十八分という絶妙に遠い距離にある銭湯へ向かって緩く手を繋いで歩いていく。
     アパートから続く下り坂は西側は住宅、東側は崖に面しているため眼下の町並みが良く見下ろせる。車が行き違うのがやっとという狭い道路は住民しか利用しないのでほとんど往来は無い。太陽の光が遮られた薄暗い道を電柱に取り付けられた頼りない外灯がぽつぽつと照らし出していた。崖側のガードレール沿いにはこの時期立葵が並び立って、僕たちの背を追い越して風に揺れている。赤やピンクの花の横を歩くとジャリジャリと砂を踏む音が立って、草履と素足の間に砂が入り込んでくる。それでも僕たちは立葵の横を好んで歩いた。時折互いの肩を借りて足裏の砂を払い、また手を繋ぎ直して歩き出す。
     坂を降り切った辺りでもう背中に汗が流れてきて、繋いだ手は汗ばんで熱が篭っている。吹いてくる風もまだ生温くて僕たちはふうふう言いながら銭湯を目指した。
     明治だったか大正だったかの創業という歴史ある銭湯は商店街からも十分という好立地のため客足が途絶えることも無いが混雑することも無い。いつもニコニコと座っている番頭のおじいちゃんがトレードマークの地元民に愛されている銭湯だ。熱めの湯温、シャンプーのボトルキープ付き、石鹸使い放題、瓶の珈琲牛乳完備、夏はラムネもお目見えする。僕の目当てはこのビー玉入りのラムネ瓶だった。汗を流してすっきりした身体にシュワシュワと沁み入るラムネの味とビー玉が立てる夏らしい音。縁日を思い出させる風情があって瓶を片手に持って歩くだけで何だかわくわくした。
     帰りは商店街に寄って「ふるさと」という名前のお弁当屋さんで焼肉弁当をふたつ買う。当たり前のように右手にエコバックとレジ袋をぶら下げる先生に僕はすっかり甘やかされているし甘やかされることにもう慣れてしまった。年上の特権だろ、なんて目尻を下げられたら断れる訳が無い。甘やかされているのはどっちなんだか。
     くん、と繋いだ手が引っ張られて先生が立ち止まったことに気付いた。二歩戻って先生の隣りに立ってその顔を見上げる。
    「先生?」
     僕とは反対方向に向けられた顔。視線の先を追うとそこには店仕舞いを始めた小さな花屋があった。今は旦那さんが大きなレモンの木を運んでいて奥さんが店の前を箒で掃いている。
    「ちょっと待ってて」
     そう言って先生は僕の手を離した。急に置いていかれた僕はぽかんとしたままその後ろ姿を見つめる。
     調子に乗って切り過ぎた先生の、ひとつに束ねられた髪が雀の尻尾みたいにぴょこんと飛び出ていた。銭湯でさっぱりしてきたばかりなのにその首筋にはもう汗が滲んでいて、僕は結露でびちゃびちゃになったラムネの瓶をぎゅっと握り締める。
    「お待たせ」
     すぐに戻ってきた先生は左手に持った一輪のミニヒマワリを隠すことも無く僕にそれを差し出した。その明るい黄色は一輪でも存在感があって自ら光を放っているように見える。太陽の花とはよく言ったものだ。
    「えっと、」
     梱包もされていないそのままのヒマワリを受け取って僕は混乱していた。先生は今日が僕の誕生日だと知っていたのだろうか。何も言わず歩き出した後ろ姿を慌てて追ってその横に並ぶ。
     左手にラムネの瓶、右手にヒマワリの花を持ってまた、立葵の並ぶ坂を上った。すっかり日も暮れた道に二人分の足音とビー玉のカラカラと鳴る音が響く。帰りは上り坂だから余計に汗が流れるが、夜気を孕んだ冷たい風が僕たちの背中を押してくれた。ラムネの瓶を頬に押し付けてももうすっかりぬるくなっていて役に立たなかった。
     家に花瓶なんて気の利いたものは無いので、ミニヒマワリはラムネの瓶に差すことにした。瓶は銭湯に返却しないといけないけれど、少しの間くらいなら拝借しても構わないだろう。
     食卓に並んだ二人分の焼肉弁当と氷入りの麦茶、それから真ん中にヒマワリの花。水色の瓶と黄色い花のコントラストは夏らしくて、花瓶をこれにしたのは正解だったなと一人満足する。
    「いただきます」
     正座をして二人で手を合わせたら、先生がいただきますの挨拶を言うようにさらりと「誕生日おめでとう」と言った。
     麦茶の氷がカランと音を立てる。ヒマワリの花が扇風機の風に吹かれて揺れていた。

     番頭のおじいちゃん、ごめんなさい。ラムネの瓶を返すのは、少し遅くなりそうです。
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