ただ、呟いただけ(言えるはずがない) 佐々山を亡くして以来、狡噛は人が変わってしまった。潜在犯堕ちして執行官になったのもそうだが、彼はあのお人好しな男を、猟犬として有用だった男をトレースするようになってしまった。煙草も酒も、もしかしたら女も。それでも俺が落ち着いていられるのは、彼とまだ寝ているからだった。もし寝ていなかったら、全てを共有していなかったら、それこそ発狂していたかもしれない。そんなものにすがるなんて、馬鹿げているのかもしれないけれど。
セックスを終えて狡噛の部屋を持する時、俺は何も言わない。狡噛は俺に何も言わないし、これまでのように甘い言葉もくれない。それどころか俺を突き放そうとする。なのに俺を抱く。執行官は不自由な身柄だからかもしれない。理由などないのかもしれない。これまでの地続きで抱いてくれているだけなのかもしれない。それでも、俺は狡噛が寝てくれていることに救われていた。
「明日は朝から出勤だぞ。あまり酒を飲むなよ」
「俺の勝手だろう」
セックスを終えて、タバコを吸って、俺がシャワーを浴びて出てきたら狡噛は上半身裸のまま酒を飲んでいた。佐々山が残したものだ。そして手元には標本事件のファイルがある。俺は叫び出したくなった。もう忘れてくれと思った。父が帰って来なかったように、このままでは狡噛も帰って来れなくなる。俺を残してどこかに行ってしまう。事件を解決したら、きっとどこかに行ってしまう。それは勘だったけれど、当たっているような気がした。この先きっと何かが起きる。何かが起こって、俺たちは離れ離れになる。そうしたら、この男は帰って来ない。父のように。
「煙草臭いのに酒臭いのが混ざると面倒なんだよ」
狡噛にそう言って、俺は服を着た。そして部屋を出る扉に手をかけた。お前の身体が心配なんだ、それは声にならなかった。俺はただ小言を呟いただけだった。誰に聞かれてもいい小言を呟いただけだった。そして俺は日常に戻るのだ。愛しているとも何も言わないで、身体だけを繋げて。