オーバードーズ 傑は基本的にどんな依頼でも断らない。知らない男が部屋の隅に見えて困っているっていう事故物件のような軽いものから、山中に打ち捨てられた土地神のような、郷土史を調べて挑まねばならない入り組んだものまで、彼はどんな依頼でも断ることがなかった。俺はそれをアメコミの超人的なヒーローの正義感のような、完璧なもののように、つまり欺瞞のように思っていたし、傑もそう見られていると分かっていただろうけれど、それでも彼は自分のスタンスを変えず、俺はそんな彼を一番側で見るのをやめなかった。
だって傑は不安定だったのだ。もう俺たちはその頃をとっくに通り過ぎてるっていうのに、彼はまるで自我が出来上がり、それを疑い出す思春期の少年みたいだった。俺はそんな彼を見ずにはいられなかった。
でもそれは普通じゃないか? 不安定な恋人の、少しでもいい助けになれたらいいと思うのは、普通のことじゃないか?
「傑開けるよー」
昼過ぎまでの授業が終わって自由時間になった頃、俺は食事をすませ、一応声をかけて傑の部屋の扉に手をかけた。でもそれはほとんど確認みたいなもので、俺は問答無用にドアを開けてしまったのだが。
するとそこにはベッドに腰掛け、壁に寄り掛かり、猫の、具体的にいうと少し顔がへちゃばった、ペルシャ猫のぬいぐるみを手の上で転がす彼がいた。手ずから作られただろうそれは、きっと夜蛾先生によるものだろう。こればかりは疑いようがない。先生は何かを考える時、呪力を込めてぬいぐるみを作る。どうしてぬいぐるみなのかは知らない。もっと観念的な、例えばボールか何か簡単なものだって構わないだろうに。強面にファンシーなぬいぐるみたちは不釣り合いだったが、かといって傑に似合っているかと言われればそうでもなかった。俺たちは高専生だ。そろそろ大人になる頃だ。ぬいぐるみを抱いて寝る、幼い少年じゃない。
「何してんの?」
俺は扉に頭をコツンと寄せて言った。すると傑は俺を見て、そして次にぬいぐるみを見て、そして何かを考えるようにこう説明した。
「あぁ……これか……。これはえぇと、薬を飲むより、まずはぬいぐるみを触ってろって夜蛾先生がね」
夜蛾先生がね、そう言ったんだよ。私のことを気にかけてくれてるからさ。
「薬?」
「最近、ちょっと疲れててさ。お医者さんに診てもらってるんだよ」
珍しい、傑が俺に弱音を吐いた。俺のことなんて、何も分かってない子どもだと思ってるくせに。でも薬ってなんだろう。精神的なもの? これから任務はどんどんきつくなっていくっていうのに、彼が学生の時分からそんなものに頼るとは思っていなかったけど、ここのところ面倒な任務が続いていたから、それも仕方がないことなのかもしれない。そんなふうに自分をコントロールしようとしている彼と比べて疲労も感じない俺だったが——ここで比べるのもなんだが、やっぱり俺が異常なのだろう。ずっとみんなにそう思われてきたし、医者に処方される薬も、安らぎも、何もなしで善悪の方針を傑に任せて、それで自分が強くなった気になっているなんて、傑にとっては俺はきっと重い存在に違いない。
「任務の数を減らしたらいいじゃん。夜蛾先生はそう言わなかったの?」
「いや、私が頼んだんだよ。少しでも多くの呪霊の力が欲しくてさ」
傑が言った。夜蛾先生は傑を心配しているのか、していないのか分からないな。でもきっと、傑が無理を言ったんだろうな。それも彼の術式では仕方のないことなのかもしれない。強くなりたいのなら、呪霊を取り込まねばならないのが、彼の弱みでもあったから。けれど俺はそんな恋人を助けたくて、「薬飲む時は俺も呼んでよ。俺も飲むからさ」なんて舌を出して馬鹿げたことを言った。
「駄目だよ、それにトリップする薬じゃないんだから、悟が飲んでも楽しくないからね」
傑が笑って手のひらの上の猫のぬいぐるみを、ペルシャ猫のぬいぐるみを揉む。そうだな、薬に頭を征服されて、それで楽になった気になるなんて傑らしくない。でもたとえらしくなくたって、それで彼が少しでも楽になるのなら、俺はそれでいいと思った。どんな薬なのか、俺はそれすら知らされていないけれど。
「ハグされると、薬とおんなじくらいリラックスできるって知ってる?」
俺は傑のベッドに歩み寄りながら言う。すると傑は笑って、「知ってるよ」と言った。俺はそれに満足しながら、彼の一筋だけ長い髪を触って、彼からぬいぐるみを取り上げそれにキスをして、壁に寄りかかる恋人を抱きしめた。彼からは甘い匂いがして、俺はそれを吸い込み、後でもっときつく抱いてやろうと思った。
これは傑の携帯のアラームが鳴る少し前のこと、彼が単独で任務に行き、そこで俺のハグじゃなくて、薬に頼る少し前のことだった。