——見渡す限りの銀世界。
雪が降り積もる大地には、僕が歩いた足跡だけが点々と残っている。
……寒い。
どれほど歩いただろうか。
いつまで経っても景色は変わらず、終わりが見えない。
吹雪はますます激しくなり、視界がどんどん悪くなる。
「——ッ!」
寒さに震え、歯を食い縛る。
止まるわけにはいかない。
ここで立ち止まったら、もう二度と歩き出せない。
……それでも、身体は正直だ。
疲労と寒気で次第に歩く速度は落ちていく。
——その時、霞む視界にこちらへ向かって飛来する物体が見える。
「……!」
咄嵯に身を屈めると、頭上を鋭い風切り音と共に何かが通過していく。
顔を上げ振り返ると、そこには巨大な氷柱が地面に深々と突き刺さっていた。
「ギャァオォオオオッ!!」
けたたましい雄叫びが響き渡る。
「……ドラゴン!?」
その姿を見て驚く。
おそらく廃竜の類いだ。
白銀に輝く鱗に覆われた身体。
頭部には二対の角。長い首。
そして翼。
全長は5メートル前後で比較的小型ではあるが、この状況では脅威であることに変わりはない。
……この足場では逃げるのは無理だ。
戦うしかない!
剣を抜き構えるが、竜はその巨体に似合わぬ素早い動きで一気に距離を詰めてくる。
「っ……!」
振り下ろされた爪を辛うじて避けると、そのまま後退しつつ距離を取る。
だが、間髪入れず氷柱が飛んでくる。
「ぐぅ……!」
ギリギリで回避し、反撃しようと試みるもスピードが違い過ぎる。
「ガアアッ!」
ガキンッ!と鋭い音が響き——
「ッ——!!!」
剣が弾き飛ばされる。
そのまま勢いよく吹き飛び、背後にあった木に叩きつけられる。
「——か……っ……ぁ……」
衝撃に息が詰まり、呼吸ができない。
寒気に全身が震え、立ち上がる事ができない。
「……っ」
——竜の腕から氷柱が放たれようとしている。
避けないと……!
そう思うが、手が——足が動かない。
——ステラ……ライト……シロ……。
——ごめん。
僕、もうダメみたいだ……。
目を、閉じる。
———————…………
——痛みが……ない?
「なんとか……ッ……
間に合った、な……ッ……!」
聞き慣れた声に目を開けると、見慣れた大きな白い背中があった。
腹部を貫通した氷柱を握り締め、立ち塞がるようにして立つシロの姿に、一気に意識が覚醒する。
「——シロ……?シロッ!!」
「……おう、待たせたな」
振り返り、不敵に笑うシロ。
「待ってろ……すぐに終わらせてやる」
そう言うと、竜に向き直り一歩前に出る。
「ギャオォォォォッ!!!」
竜が叫ぶと同時に、一瞬で距離を詰め腕を振り下ろす。
シロはその場を動かずにそれを両手で受け止める。
轟音を響かせ地面が大きく揺れ動く。
「ぐあ"ア"ァッ……!」
受け止めた衝撃で腹部から血飛沫が上がり、シロの口から苦悶の声が上がる。
それでもシロはその場から一歩も動かない。
「——はっ、そんなもんかよ?」
シロはそう言うと、竜の腕を捻じり上げるようにして掴み力任せに引き剥がす。
「ギイッ……!?」
バランスを崩す竜。
「ぜやあーーーッ!!!」
怒号を上げると、拳を突き上げ殴りつける。
殴られた竜は大きく仰け反る。
「——くたばれ……!」
シロの鋭い爪が光った瞬間——
「グガァッ……!」
竜の身体が爆散し、粒子となって消え去る。
同時に、シロの腹部に突き刺さっていた氷柱も消滅する。
「——ッ!ガフッ……!」
その場に膝をつき、吐血するシロ。
腹部からの夥しい量の出血で白い被毛が真っ赤に染まる。
「シロ!!!」
「ハァ……ハァッ……!大丈夫、だ……!」
慌てて駆け寄る僕を手で制すると、シロは布袋から包帯を取り出し、手慣れた手つきで応急処置をする。
「……ッ……フゥッ……。
——な?こんなもん屁でもねえ」
立ち上がり、傷口をポンポン叩くシロ。
無理に笑っている事は一目瞭然だったけど、命に関わるような重傷ではないことに安堵する。
「いや……無茶し過ぎだよ……」
「てめえにだけは言われたくねえな……」
そう言ってシロは僕の頭を軽く小突いた。
「いたっ…!まぁ……そうだね……。
——ありがとう、シロ。
本当に助かったよ」
「礼なら後にしろよ。
このままここにいたら2人揃ってあの世行きだ。
とにかく、吹雪を凌げる場所を探さねえと……。
立てるか?」
シロの言葉に首を縦に振る。
正直立っているだけでも辛い状態だが、大怪我をしてるシロにこれ以上余計な負担をかけたくなかった。
「よし、行くぞ。
しっかりついて来い」
シロに促され、歩き出す。
————————
雪が吹き荒れる中を、ただひたすらに歩く。
寒さと疲労で意識が遠退きそうになるが、シロが支えてくれているおかげで倒れずに済んでいる。
「……しっかりしろ、アルク……!!」
「……うん」
「もう少しだ……!」
「……うん……!」
返事をしながらシロの顔を見ると、歯を食いしばり荒い呼吸を繰り返しながらも、真っ直ぐ前を見据えていた。
……きっとシロも限界なはずだ。
それでも、僕の為に気丈に振舞ってくれてるのだろう。
……僕だって、頑張らないと!
2人で協力して、必ず生きて帰るんだ!
「……見えたぞ!あそこだ!」
「……!」
シロが指差す方向には、小さな洞窟があった。
—————————
「ここで待ってろ。
すぐに戻るからよ」
シロに支えられ、洞窟の奥まで辿り着くと隅に座らせられる。
「シロ……」
「絶対にここを動くんじゃねえぞ。
……いいな?」
「……うん。必ず戻ってきてよ?」
不安そうに見つめる僕を見て、屈んで目線を合わせるシロ。
琥珀色の瞳が優しく細められ、震える肩にそっと手を添えられる。
「——んなシケた面すんなよ。
俺は絶対に死なねえ。信じろよ、相棒!」
肩を掴む手に力が込められ、真剣な眼差しで告げるシロ。
その言葉を聞いて、不思議と震えが止まる。
「……わかった。
絶対に2人で生きて帰ろう!」
「おう!言われるまでもねーな!」
安心させるように、力強く笑うシロ。
「うし、行ってくるぜ」
そう言い残すと、シロは吹雪の中へと姿を消した。
——————————
不安を押し殺し、シロの帰りを待つ。
……どれくらい時間が経っただろうか。
——寒い……暗い。
シロがいなくなり、身体の芯まで凍るような寒気を自覚する。
——眠い。
少しだけ……眠っても……大丈夫かな?
疲れ切った身体は休息を求めており、瞼が重くなっていく。
そして、抗う事なくゆっくりと目を閉じた。
——— ——…………。
——…………
「……ルク……!……しろ!
クソッ……んなに冷え……ッ……!
死ぬ……ねえぞッ!」
意識を失う寸前、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
—————————
——暖かい。
身体が、温かい何かに包まれている。
柔らかい感触と、程よい弾力。
……ベッド?そんなはずはない。
僕は今、極寒の地にいるはずだ。
——そうだ!寝てる場合じゃない!
早く起きないと……!!
身じろぎするが、何かに強く抱きしめられているようで動けない。
ゆっくり目を開けると、視界いっぱいに広がる白。
「——やっと起きたかよ」
顔を上げると、呆れたような、安心しているような表情を浮かべるシロがいた。
「……あれ???」
「あれ?じゃ、ねーんだよなぁ……」
僕の身体を包み込むようにして、抱き抱えているシロが呆れた様子で呟く。
「……シロ?」
「おう」
「戻って来てくれたんだ……」
「約束、したからな」
「…………」
「…………」
焚き火の爆ぜる音だけが響く。
「えっと……これ、ちょっと恥ずかしいんだけど……?」
「…………」
「うわっ!?」
急に身体を持ち上げられ、胸元に引き寄せられる。
「ちょっ…… シロ??」
シロは何も言わず、ギュッと強く抱きしめてくる。
「シロ、ちょ、苦し…ッ!」
胸元を叩くと腕の力が緩み、ようやくシロが口を開く。
「お前、死にかけてたんだぞ」
「……うん」
「身体の芯まで冷えきっちまって……。
だからよ——」
「——こうするのが最善だと思っただけだ。
……わかったらちょっと黙ってろ」
ぶっきらぼうにそう言い、再び僕を強く抱きしめるシロの腕には、『最善だから』以外の意味が込められているような気がしてならなかった。
「……ありがとう、シロ。
……でも、ちょっと臭いかも……?」
「うるせえ……我慢しろ」
そう言って、シロは僕の頭を軽く小突いた。