オロルンが来ない。
別に気にしてるわけじゃない。
こっちだって忙しいし?あっちだって畑仕事が忙しいんだろうし?別に?どうでもいいっていうか…
「イファ…」
「ん、あぁ…寝るか」
医学書に目を通すも目が滑って全く頭に入ってこない中、無駄に時間は過ぎていて、カクークが眠気を訴えかけてきた。
ここ数日続く雨が窓に打ち付けられている。
普段なら子守唄のように眠くなるそれも、ただの雑音にしか感じられなかった。
二日前、大した事ないことで口喧嘩になった。すでに内容は忘れた。普段なら翌日に何事もなかったかのようにオロルンは来て、俺も何事もないようにして。それで終わり。
…別にそこまで怒らせるようなことをした覚えはない。でも、わざわざ足を運ばなくなるほど怒らせちまったのか?とか。いやいやあいつのことだから納得できなかったら翌日にも問い詰めに来るだろ。とか。
じゃあなんで来ないんだ。いや、そもそもが来ること前提になっているのがおかしいのであって…
「おはようイファ」
「……おはょ」
全然寝れねぇ。今日は午後休診だからその時にゆっくり休もう…
そう思いながら、重症患者がいなかったことに感謝しつつ午前を乗り越えた。
「おつかれさんカクーク」
「おつかれさん!」
ふと空いた時間が出来ればまた考えてしまうから、その前にベッドに潜り込みたかった。
「イファ!オロルン、行く!」
「あ?えぇ…うーん…」
「イファ!素直になれ!」
それを許さなかったのは他でもないカクークだった。
「はぁ…わかったよ。悪かった。たまにはこっちから行ってやらねぇとな」
頭をわしわしと撫でてやると嬉しそうに笑った
◆
「やっと晴れたな」
「よかった!」
キャベツや大根の葉からこぼれ落ちる雫。日光が当たりキラリと光る。
その土の間には雑草が生えていて、嫌な感じがした。
ドアをノックする
「オロルン。いるかー」
木々の擦れる音、鳥の鳴き声。返事はない。
鍵はかかってる。ドシンと音がする。
…え?
「おいっオロルン?大丈夫か?オロルン!」
返事がない。
「くそっ」
ほとんど使ったことのない合鍵を、すぐに取り出せる所に入れてあるのはなぜなのか。
そんな事は今どうでもよくて、ガチャリと開いた鍵とともにドアを開け放つ。
「入るぞ!」
バタバタと靴を揃える余裕もなく上がり込んで、カクークと別々に動く。
居間、いやにきれいだ。キッチン、いやに雑多になっている。
「イファ!いた!」
その声に返事もせずに向かった先は寝室。上半身がベッドから落ちている状態のオロルンを見つけた。
「オロルン!おい大丈夫…あっつ」
「…ごめ、動けなくて…ごほっ」
「いい動かすぞ」
確実に発熱している体温と、枯れた声。
ひとまずベッドに横たえて診察バッグからマスクを取り出してつける。
「じっとしてろ。少し冷たいぞ」
そう言いながら聴診器を当てていく。
咽頭音、ゴロゴロと痰の溜まる音。
肺音、下葉に雑音あり。…軽い肺炎だな。
心音、問題なし。
腸音、微弱。ほとんど食ってねぇな。
「お前体重は?」
「こほ、…最近、計ってないけど…67、くらいかな…」
そう言うとまたひどく咳き込んでしまい背中をさする。
「となるとそうだな…ユムカ、クク、コホラ…平均で行くとコホラか。…の、抗生剤と…錠剤でいいな…解熱剤、去痰薬、鎮咳薬…たしか漢方ならあったはず…あと整腸剤もいるか…あ、あとショコアトル水残ってたな…」
ブツブツと独り言を呟きながら左手でメモ帳に書き起こしていく。
「カクーク悪い、診療所のコホラの棚からこれら持ってきてくれるか?」
「もちろん!」
「あ、あとそれ持ってきてくれたら悪いけどばあちゃんに知らせてくれ」
「がってん!」
「それどこで覚えた…まぁいいや頼むぞ」
カクークが飛び去って、オロルンが咳き込む音だけが残る。
「お前ほとんど食べてないだろ。水分も」
「食欲、なくて…取りに行くのも…辛くて…」
一人で耐えてたのか。そんな中俺はガキみたいな事考えて…
「…悪ぃ。遅くなった」
思わず抱きしめた。
「うつっちゃうよ…」
「そのためのマスクだろ。大丈夫。…うし、」
布団をかけ直し、立ち上がる。
「寒くないか?シバリングは起きてないから多分上がりきってるんだろうが…これ、体温計脇に挟め。」
「うん」
「薬飲むからな、なんか腹に入れねぇと…米あるか?」
「うん」
「んーまずはクーリングだな。タライ借りるぞ」
「うん」
あまり回数は来たことはないがどこに何があるかは何となく把握しているから自分で探す。ただでさえ辛いのに煩わせたくはない。
かばんに入れてあった乾燥させたスライムのピュレを冷たい水で戻し水気をタオルで取ってガーゼで包む。それを三個つくり両脇と首に当てる。
「は…気持ちいい…」
「そいつぁよかったよ。とりあえず粥作ってくるから。なんかあったらこれで机叩け。」
と、ペアンを渡す。
「ぅ…ごめ」
「あやまんな。ちょっとまってろな」
頭を軽く撫でて台所へ。
ざっと鍋に米と水を入れて火にかける。カンカンと音が聞こえて走っていくと気まずような顔のオロルンが横たわっている。
「どした?」
「…ごめん、寂しくて…」
「ははっいいんだよそういうので呼んでも。…もう少しかかるからごめんな」
マスクを少しずらしてちゅ、と額に。
少し横に座って、台所に戻るとちょうどボコボコと沸いていた。塩を振って、薬包紙に包んであるオオバコとシソの粉末を少々。…こんな時に何でもかんでも持ち歩くクセがあって良かったと思う。
かなり煮込んで舌で潰せるくらいまで柔らかくする。
あと…台所の隅に置いてある壺。前にもらって顔が中心によるかと思ったくらい酸っぱかったばあちゃんの梅干しを一粒。
「待たせたな」
「あ」
「はは、もう大丈夫だよ」
また机を叩こうとしていた所に出くわして笑ってしまう。
起き上がろうとするのをデコピンで制して、
「こっち向いて横になれ」
と伝えると素直に従ってくれる。
「こういう時くらい目一杯甘えるんだよ」
「なんだか恥ずかしい」
「いいじゃねぇかたまには」
普段から甘えられてはいるが、こういう時には強がって無理しちまうから。
1人分の鍋から木のスプーンにひとすくい。
「あーん」
「…」
「ん、食欲ないか?」
口を開けてくれずにそう聞くと間髪入れずに
「ふーふーしてくれてない」
「えぇ…」
甘えろとは言ったがそこまで幼児化しろとは言ってない。
「イヤじゃね?」
「キスしてるのに?」
「ぅぐ…」
まぁ確かに虫歯菌うんぬんの前に直接してるわけだからそうか…
「と、とりあえずこれは食え。もう冷めた」
「む」
「食えって」
ひとすくい目のお粥は不満そうなオロルンの口の中に消えていった。
「おいしい」
「そーかいそいつはよかったよ」
…ふーふーって意識すると恥ずかしくねぇか?
小鍋の中でスプーンをぐるぐるとかき回しながら考えていると小鳥のように口を開けて待っているオロルン。
「…くそ」
恥を投げ捨てて熱い一塊に息を吹きかけ口元へ運ぶ…が、
「なんで閉じてんだ」
何も言わずにじとーっとした目でみられる。
まさか…
「…あーん」
「あーん」
あーくそこいつマジか
顔が熱くなって直視できない
「手が止まってる」
「なんなんだお前は」
一口ごとにあーんと言わされる幼児以下の事をさせられて数口後、玄関からコトンと音がした。
「あれ、カクークか?寄ってきゃいいのに」
「僕らに気を使ったんだろうか」
「いや普通にお前さんが心配だから早くばあちゃん呼びに行ってくれたんだろ」
「そうか」
つい笑ってしまう
「どんだけ俺といたいんだよ」
「ずっと」
「…お前ほんと恥ずかしげもなくよく言えるよな」
「ほんとのことだから」
「わかった聞いた俺が悪かったって…ちょっと取ってくる」
立ち上がって背中を見せる。まるでこっちが熱があるみたいな熱さだ。
ドアを開けるとノブにカクークのリュックがかかっていた。それを取り寝室に戻る。
中身を確認し机に並べていく。
「ほんとはな、竜にやる時は粉末にするんだが人間は錠剤の方が飲みやすいからな」
コトリと、最後の一瓶をおいて手を止める。
「…悪かった」
「え、何が?」
「その、喧嘩してそのままだったろ。もっと早くくればここまで悪化しなかったのに。結局これたのもカクークに突っつかれたからだからな…」
「僕も、ごめん。でも何でケンカしてたか忘れてしまったんだ。教えてもらえるだろうか?」
「いや、俺も忘れた」
2人で顔を見合わせて、笑い合った。
「はぁーあ、ほんとカクークには助けられてばっかだよな、俺ら」
「うん」
「…凄くねぇか、俺のメモ。1個も間違わずに持ってきてくれてるんだぜ」
オロルンも嬉しそうに微笑む。
「もうとっくに充分大した助手だよ全く」
「ふふ、それカクークに言ってやれよ」
「こういうのって本人に言わないんじゃねぇ?」
「嫌な先生だなぁ」
「うるさいな…ほら」
まず鎮咳薬、去痰薬、解熱剤を渡し飲んでもらう。そして、
「これ抗生剤。相当苦いがスイートフラワーの粉末混ぜてある。…んだがコホラは味覚が薄いから、ショコアトル水と一緒に飲んだほうが更に緩和されるはずだ。」
「わかった…」
粉末と混ぜる以上抗生剤の方も粉末になっていて不満そうな顔だ。
「うぅ…やっぱり飲まなきゃだめか?」
「口移しされたくなきゃな」
「それはダメだ…イファにうつっちゃうから…」
ふっと笑ってしまう。そっちかよ。
「おら、飲め飲め」
ぐいっとショコアトル水で流し込んだ。
「苦…」
「はは、頑張ったな。いい子だ」
その姿を見て、つい。
は、とオロルンの頭を撫でていることに気付き慌てて手を引っ込める
「何故やめる?」
「子供扱いすぎるだろ」
「別にいい。撫でられるの好きだ。苦い。撫でて欲しい。」
「撫でても変わんねぇだろ」
じっ…と見られる。かなわない。
はぁ、とため息をつきながらぽんとオロルンの耳の間に手を置いた。
「…お守り、持ってるか」
耳に薄く生えている髪の毛とは違う硬めの毛を撫でながら。
「え、あぁそこに置いてある」
気持ちいいのかふにゃと目を閉じていたオロルンが少し驚いた様子で答えた。
「持っとけ。…頼むから。」
返事を待つ前に、オロルンの胸元に押し付け、無意識にオロルンはそれを受け取った。
「…お前の魂が見えりゃどんだけいいんだかな」
「…だからカクークにばあちゃんを。」
「念の為な」
不安定な魂…ったって、俺にはよくわからん。
でも、意図せず他人に魂を入れられたり、乗っ取られたりと、聞けば恐ろしい事が多くて。だいたいこういうものは体調が悪化すれば悪くなりやすいだろ。
「でも、もし君に魂の色を見られたら…ふふ、それは恥ずかしいな。君をどう思ってるか一目でバレてしまう」
「なんだよ、どうせ好きとかそういうやつだろ?」
「そうだよ」
「ー…っ恥ずかしいやつ」
でも、こいつはそんな事って笑うんだよな。
それでも、いつかふといなくなってしまいそうで。
ギシリとベッドへ移動してヘッドボードに背をもたれる。
「オロルン」
「なに?わっ」
「…寝ろ」
「…寝れないかも」
「うるさい」
ぎゅうとオロルンの頭を包み込むように抱きしめて、きっと心臓の音も聞かれてる。
…これでも、俺だってお前が大切なんだ。伝わってないかもしんねぇけど。いなくなるなんて、考えられないくらいには。
「ふふ、幸せだ」
「そーかい。そりゃよかったよ」
オロルンが動いて膝を乗っ取られる。俺はそれを受け入れて、そのまま頭を撫でていた。
そしていつしか寝息になった頃、誰もいないことなんて知っているはずなのに顔を赤くして、
「…好きなんだよ。不安にさせんなばか」
起こさないようにトンと額に指を置いて、その後にキスを落とした。
◆
静かに、ドタバタと。きっと寝室ね。
カクークのたどたどしい言葉からオロルンの体調が悪いってことがわかった時は驚いたわ。だって一昨日ケンカしたって話直接聞いてたんだから。確かにその時から咳してたケド、あーもうワタシったらなんで気にかけなかったのかしら。
「オロルン!あんた秘術で教えなさ…」
我が子の部屋のように一直線に寝室へ向かいドアを開ける。
そこには、
「…まったくわざと教えなかったわね」
布団から出るオロルンの手と、それに繋がれるイファの手。
お互いすぅすぅと寝息をたてて。
腰に手を当ててため息をつく。
この二人はケンカなんてなんのカベにもなりゃしない。お互いがお互いをとっても大切にしてるんだから。
二人の間にそっと降り立つカクークからは「ありがとう」と小声で。
「世話のかかる孫どもだわマッタク」
イファの背中に毛布をかけて、そっとドアを閉めた。