抱き上げる「お前はどこから来た?」
「それは、我のことか?」
モラクスは木陰で休んで目を閉じていたが、ふと目が覚めると目の前に翡翠色のふわふわの髪をした小さな子供が不思議そうな瞳でこちらを覗いていた。
「お前以外に誰がいる?」
「木の上にはヤマガラがいる」
子供のフリをして襲いかかってくるタイプの魔神かと思い警戒していたが、どうやらそうではないらしい。きょとんとした琥珀色の瞳は、まだ戦のことなど何も知らなさそうな純新無垢の子供そのものに見えた。
「我は、あっちの村から来た。修行の最中だったのだが、知らぬ人が眠っていたので、気になって見にきたのだ」
「一人で修行を……?」
「ああ。我は夜叉だからな」
こんなに小さな子供が一人で修行するなど、鍛えられる技量はたかが知れているだろう。そう思ったが、ぺこりと頭を下げた夜叉は手を空に翳し、槍を取り出した。
「夜叉は強くなければいけない。例えば、お前が今から村を襲おうとしている魔神ならば、排除するために武器だって持つ」
「ふ。やってみるか」
モラクスはくつくつと笑って、そして立ち上がった。左足を一歩踏み出し、構えを見せ、鋭い眼光で夜叉を睨みつける。夜叉は一瞬怯んだように目を見開いていたが、ぐっと奥歯を噛み締め槍を構え、モラクスに向かって突進してきた。
「度胸は認めよう」
「わっ」
槍を手刀で払い、夜叉に足払いをかけた。槍は宙を舞い地面に突き刺さり、夜叉は派手に地へ尻もちをついていた。
「まだやるか?」
「う……まだまだ……うぅ」
琥珀色の目に涙を浮かべつつも、キッとモラクスを睨みつけている。これだけの戦力差を感じながらもその目は敗北の色に染まっていなかった。あと百年もしたら、さぞ立派な戦士になるだろうと思う。しかし、腰が抜けたようで夜叉が立ち上がることはなかった。
「戦えない夜叉など不要……ここは自害するしか……」
「まて、待て待て」
「う、うぅぅ……」
夜叉は思いっきり舌を噛もうとしていたので、慌てて指を突っ込んだ。口に手を突っ込まれたことでついには恐怖心が勝ってしまったらしく、夜叉は声をあげてわんわん泣き出してしまった。
「俺はお前を殺さない。村も襲わない。何もしない。だから泣き止め」
夜叉は首を振りながらも空に向かって泣いていたので、モラクスはどうすれば良いかわからなかった。このまま放置してこの場を離れても良いのだろうが、それでは後味が些か悪いような気がしてならない。
「立てないのだろう? 抱き上げてやるから、村の近くまで送ってやる」
「魔神に食べられる……」
「俺は夜叉を食べる趣味はない」
なんだか面倒なことになってしまった。とりあえずこの場を離れようと夜叉を抱き上げ、胸に抱える。随分と軽い夜叉の子だった。夜叉はまだ泣きながら暴れていたが、子をあやすように少しだけ縦に揺らし背中をリズム良く叩いていると段々泣き止んできたので、モラクスは他の夜叉のいる気配の方へ向かって歩き出した。
「俺の名はモラクスと言う」
「モラクス……」
その名を呟くと、夜叉は腕の中で小さくなり、大人しくなっていた。
「モラクスは、こちらが攻撃を仕掛けない限り襲ってこない魔神だと聞いた」
「しかしお前は攻撃を仕掛けてきたな」
「う……殺されても文句はない」
「無闇に殺しをするのは好かん」
なんとなく面白くなってきたので、はは。と声を出して笑っていると、夜叉の肩がビクンと跳ね、パチクリと瞬きをしていた。
「お前は立派な戦士になるのだろう? その時、俺が敵であるか味方であるかはわからないが、その時はまた手合わせでも願おうか」
「わかった」
鍛錬を怠らないようにする。と夜叉は言い、その内に段々目がとろんとしてきて、ついには眠ってしまった。それは、先程まであんなに警戒していたというのに、些か心を許すのが早すぎではないのかと心配になるほど、早い気の許しようであった。
優しい者は、戦乱に巻き込まれると命を落としやすい。
いつかまた会えたら良いと思いながら、夜叉の村近くの茂みにそっと夜叉を下ろし、モラクスは誰かに見つかる前にその場を後にした。
「も、モラクス様! おやめください!」
「はは。俺は昔こうしてお前を抱き上げたことがあるのだが、覚えていないのか?」
「覚えておりませぬ」
手合わせし、モラクスが勝ったので膝をついていた魈を抱き上げた。高い高いをするように抱えあげると、羞恥でいっぱいになったであろう魈の頬が真っ赤に染まっている。
再会した時にはかつての面影もなく死んだように虚ろな目をしていたが、数年掛けてやっとここまで回復していた。それに気を良くしてつい構ってしまうのだが、魈はいつも戸惑ったまま震えているばかりだ。
「あの頃のように敬語もなく話し掛けて来ても俺は構わないぞ、魈」
「幼い我の数々の無礼は、早くお忘れください……」
「いいや。覚えている」
「うぅ……」
魈は困ったように眉を寄せている。敬語もなく話し掛けてくれて良いのは本当の話ではあるのだが、どう言えば魈に伝わるのだろうか。