こんな寒い日は「寒い……」
家で独り言を呟かずにいられない程、今日は寒さを感じていた。
床は氷の上を歩いているかのように冷たい。普段はスリッパなどいらないと思っているが、この時ばかりは鍾離の買ってきた鳥の顔がついているふわふわのそれを履いて廊下を歩いた。
荷物を部屋に置き、リビングの暖房を入れる。仙人であった頃は暑さや寒さなど気にしたことはなかったが、凡人の身に寒さはとても堪える。風邪を引くわけにもいかないのでこたつの電源も入れ、しばし身を潜らせて部屋が暖まるのを待った。
今日は鍾離が帰ってくるまでに晩御飯を作らねばならない。何か身体の温まるものが良いかと、今日は鍋を作ることにした。材料さえあればあとは放り込んでおくだけで良く、あまり失敗の少ない料理だ。
しばらくすると鍾離が帰ってきた。今日は鍋を作ってみました。と伝えると、鍾離も「今日は丁度それが食べたいと思っていた」と言っていて嬉しくなってしまう。野菜の切り方も大雑把で不揃いであり、煮る順番など気にせずとにかく一緒に煮込んだ自分の作った料理を、美味しく出来ているな。と箸をつける鍾離を見ているだけで、部屋の温度が二度程上がる気がした。
「今日は一段と冷えますね」
「そうだな。夜は共に眠るか?」
「いえ……そのようなつもりで言った訳では、ないのですが……」
一緒に暮らしているが、寝室は別だ。しかし、鍾離と眠るのはさぞ暖かいだろうと思う。
「なぜだ? いつでも来ればいい。それとも魈が自分の部屋で眠りたいのなら、俺が行こうか?」
「いえ、滅相もないです」
即座に断ってしまったが、鍾離は腑に落ちないような顔をしていた。
寒いから。そんな理由で鍾離を寝室に招くのは気が引けた。ではどんな場合に呼ぶのかという話だが、そもそも基本的には魈が誘いを受けて鍾離の寝室へ行く方が多かった。これと言った重要な事柄でもないので、尚更言えなかった。
器を下げ、食器を片付け各々風呂も済ませ、リビングでまったりとした一時を過ごす。この時間が一番暖かいと感じる。このままこたつで眠ってもいいくらいだ。
日付が変わる頃には部屋に戻り、就寝する。部屋には暖房がついているが、あとは寝るだけの為、暖房はつけていない。
「寒い……」
布団に入るも、布団の中が冷たい。はぁ、と息を吐くと白い吐息が零れる。眠ってしまえば暖かいのだが、それまでの間は末端の感覚がない程に寒さを感じる。それ故に、眠るまで少々時間がかかる。
暖房くらいつければ良いじゃないかと鍾離は言うが、そもそもこの家に関わる光熱費は鍾離が払っており、魈は1モラも払っていない。お金のことは気にするなと鍾離は言うが、多少なりとも気にはなる。バイトはしているのでせめて何かは払いたいと思うのだが、鍾離が受け取らないのだ。
きっと鍾離は暖房をつけて眠っているのだろう。鍾離と眠れば暖かいのでは。冷えた指を擦り合わせそう思うが、やはり気が引けた。
「魈。そろそろ起きないと、学校に遅れてしまうのではないか?」
「……う……」
鍾離に揺り起こされ、目を覚ます。中々寝付けなく寝坊してしまった。ここのところそうだ。しかし布団から出れば、室温の低さに一瞬にして目が覚めた。
「お前の部屋は寒すぎではないか? せめて晩と朝だけでも暖房を入れておけば良いと思うのだが。タイマーの機能があるのは知っているだろう?」
「存じてはおります……すみません、学校へ行ってきます」
バタバタと朝食を食べる時間もなく家を出る。私生活に影響が出てしまうのならば、いっそ便利な道具に頼った方が良い。そうは思うのだが、毎日の事となると、まだ我慢出来る寒さではないかと思ってしまうのだ。
これが季節の底の気温か。と思っていたが、更に下があった。いよいよ部屋の暖房をつける時かもしれない。まるでドラゴンスパインにいるようだな。いや、あそこの方が寒かったかもしれない。などと思いながらザクザク鳴る地面を歩き、バイトから帰宅した。
リビングのドアを開ければ暖かい。鍾離が待っていてくれて、温かいご飯を用意してくれる。バイトの日はご飯を食べて風呂からあがれば、もう眠る時間になってしまう。折角湯に浸かり温めた身体も、あの部屋に戻ると瞬時に冷えてしまうだろう。
「鍾離様、おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
「その……」
「ん? どうした?」
「…………いえ、おやすみなさい」
鍾離様、今日は一緒に眠っても良いでしょうか。
そう言えば、鍾離は快く迎え入れてくれるのであろう。今更尻込みするような関係ではないし、そう言えば良かったのだ。
氷に包まれているかのようなベッドは、一瞬にして体温を奪っていく。もう暖房をつけてしまおうか。リモコンに手を伸ばし掛けて、やっぱり止めた。
「ん……」
「すまない。起こしてしまったか? まだ寝てるといい」
鍾離の声がした。自分の身体が揺れてふわふわしている。まだ寝ていても良いと言われたので、開けかけた瞼を閉じる。
(あたたかい……)
夢の中にいるようだ。とても暖かい。次第に揺れは収まり、鍾離の匂いがした。こんなに暖かいのなら、やっぱり鍾離に一緒に寝て欲しいと言えば良かった。明日こそはちゃんと言おう。
そんなことを考えながら意識が薄れていく。鍾離が迷惑だと言わないことくらいわかっていた。ただ自分の為に鍾離を利用するのに気が引けて、言えないだけだ。
「魈、そろそろ起きる時間ではないか?」
「ん……」
半分微睡んだまま薄っすら目を開ける。今日は起きても寒くはない。むしろ暖かくてまだ布団の中にいたい。部屋も明るく、まるで季節が巡ったかのようだ。目の前には高い本棚と、その前にいる鍾離に声を掛けられている。
「!」
ガバッと勢い良く起きて辺りを見回す。いつの間にか鍾離の部屋で寝ていたらしい。
「わ、我はもしや、夜中のうちに鍾離様の布団に潜り込んでしまったのでしょうか……!? 伺いも立てず、も、申し訳ございません……」
「いや、違う。俺が勝手に運んだんだ」
「えっ」
「お前の部屋があまりに寒く感じたので、体調を崩す前に手を打たせてもらった。俺の方こそお前の許可も取らず、すまない」
「あ……ご配慮いただきすみません……お陰でとても……あ、暖かく、良く眠れました……」
「俺も暖かかった。冬の間は共に寝るのも悪くないな」
「はい……そうですね」
魈は素直に頷き、自然と笑みが零れてしまった。
「あ……鍾離様が良ければですが……狭く感じられたり、邪魔になるようでしたら帰ります」
「今悪くないと言ったばかりだ。良いに決まっているだろう」
「すみません……では……その、今日も一緒に眠っても……良いでしょうか」
「勿論だ。お前がそう言ってくれるのを、俺は待っていた」
石珀色の瞳を見ながらおずおずと伝えると抱き寄せられた。鍾離は、魈の意思で伝えてくれるのを待っていたのだと知り、申し訳なくなる。
朝の口付けを交わす。冬の寒さなど忘れてしまう程にあたたかい。このまま布団の中へ逆戻りしてしまいそうな雰囲気に、はっとする。
「あっ、鍾離様、そろそろ用意をしないと遅刻してしまいます!」
「そうだな。続きは夜にしよう」
再度軽く口付けをされ、バタバタと朝の用意をして家を出る。外はまだ日が登り始めた頃で、今日も凍える程寒い。
しかし、夜は暖かく眠れることを思えば、心做しか少しくらいの寒さは気にならなくなっていたのであった。