甘い カロン
柔らかそうなほっぺたがポコンと膨らんでいるのに、つい目がとまった。
コロコロと、歯に当たる小気味よい音と一緒に移動している膨らみを見る。たしか飴は甘味がしつこく舌に残るから苦手だと言っていたような気がするが。招いた自室のソファに腰掛けた彼の膝に頭を乗せる。屋敷で飼っている猫……もとい獅子が、景元よりも丹恒に懐く。自分たちよりも巨大な短い前脚から猫じゃらしを逃がす丹恒に、徹夜明けで寝ぼけた声で尋ねた。
「飴かい? 珍しいね」
「ん、三月の土産だ。江戸星へ任務で行った時のだと」
丹恒の手に小さな色とりどりの飴がラッピングされた透明の袋を掲げられる。その中で、青緑色の一粒に自然と目を惹かれた。
「食べるか?」
「いや、私は甘いもの苦手なのを知っているだろう?」
「――ふっッ!」
思わずうなずきそうになった首を無理やり横に向け目線をはずした。我ながら愛想の悪い反応に丹恒が噴き出した。何だ、失礼な。
「だったら、そんな物欲しそうな顔はやめてくれ」
「っ!?」
思わず丹恒に抗議しかけたが、相変わらず獅子を遊ばせる青年はクツクツと喉で笑い蒼い綾目を細めた。最近見せてくれるようになった柔らかい笑顔に背中を擽られる。普段は無口に愛想なく振る舞う彼が、今は珍しく景元で遊んでいるらしい。つい子どもっぽく反応してしまう。
「欲しくないさ」
「だが、口元がムズムズしてたぞ?」
「っ!」
ぱっと思わず手の甲で口元を隠すと、今度こそ丹恒は声を上げて笑った。その笑い声に反応したのか、一緒になってギャオ!と鳴く獅子を、猫じゃらしを放り出した両手で大きい体躯に掬うように抱きついて同じ目線で笑いあう。
「どうしようか? お前は食べたいか?」
「グル…ミャウ!」
「だから、俺は別に……いい加減からかわないでくれ、丹恒」
怒鳴っている仕草をみせても聞きやしない。笑うと一層可愛らしい顔が、愛獅子に頬を擦り寄せた。あぁ、それはズルい。私も彼に頬を擦り寄せられたい。
「だが不味くはない。お前の好きそうな味だな」
「……なら、」
「あははっ!」
よっぽど景元の反応がツボに入ったのか。笑う横顔に、文句を言う口元も頬もゆるゆると筋肉がほぐれていく。自分は怒っているはずなのに、丹恒が楽しそうに笑うと勝手に嬉しくなる。悔しい。ここはキュッと口角を引き締める。
「君が食べていれば、何でも美味そうに見えてしまうんだ」
「……フッ、くくく……」
「だから、笑わないでくれ」
「ギャーウ」
雪獅子は2人の会話に飽きたのか、すっかり猫じゃらしを繰る手がおろそかになった丹恒からそれを奪い取り、意気揚々とくわえて隣のソファに移り一人遊びをはじめた。
まだクスクスと笑うのを止めない丹恒が、空いた両手を景元の頭に絡めて、ふわふわと撫でる。布越しに触れ合う体温が温かい。丹恒は、彼が乗る列車の仲間以外には誰に対しても無表情で線を引く。しかし、想いを伝え合い寄り添うようになった景元に対しては少しずつだけれども距離が無くなってきた。それでも彼の仲間との差は天と地ほどもあるのだが、それは特別だ。全くの他人である、さらに過去の瑕疵がある自分にこうも完全に気を許してくれていると、本当に丹恒の特別になれたのだと、高揚する想いで胸がいっぱいになってしまう。
ふと、丹恒の呼吸が近くなった気がした。顔に影が落ちる。
「そんなに……食べたいか?」
撫でられていた頭をそっと抱え込まれる。
「別に?」
彼の膝の上か景元も手を伸ばし、少し癖の強い綺麗な黒髪に指を絡める。すぐに嫌がって逃げられると思ったが、素直に振れさせてくれる。どうやら今日は本当にご機嫌のようだ。滑らかな髪の感触を楽しんでいると、不意に湖の色が濃くなった。甘い香りが強くなる。
「神策将軍はすぐに遠慮なさる」
「っ!?」
濡れた感触が口に触れたかと思うと、歯列の間に生暖かいものが滑りこんできた。それが何かと考える間もなく、ちゅっ……と小さな音を立てて何かが口から離れた。柔らかいものが唇だと気付いたのは舌いっぱいに甘い蜂蜜の味が広がったところで。
何が起きたのか。広がる味に反比例して、理解する頭が追い付かない。きっと間抜けな顔で茫然としているだろう自分の目の前で、丹恒がにっこりと笑った。
「お前の好きそうな味だろう?」
「丹恒、?」
影が消え、太陽の光りをたっぷり浴びた瑞々しい蒼色の瞳が楽しそうに笑う。悪戯が成功した時のような彼の無邪気な様子に、瞬きするのも大変なくらいの衝撃を受けた景元もようやくピクリと指先が動いた。わななく唇がまだ湿っている。
「丹恒、なにをーー」
『丹恒ー! どこぉー! ヨウおじちゃんのお迎えきたよー!』
「……ん、呼ばれたな」
突如けたたましい声が傍らの通信機から鳴り響く。丹恒を呼ぶ三月の高い声に、すぐ反応した丹恒がサラリと立ち上がった。膝に載っていた景元の頭の重力は無視して。
「痛っ」
「将軍も休憩は終わりじゃないのか?」
硬いソファに後頭部をしたたかにぶつけた景元を気にせず、振り返りもせず部屋から出ていってしまった。
心なしか、喜んでいる様子の丹恒の背中を見送る。
「……」
静かになった広い部屋で、自分の心臓の音だけが大きく響く。唇の湿った感触と甘い飴の味に、呆然とした頭が少しずつクリアになる。それと同時に、火が上がりそうに熱くなる自分の頬。
「ちょっと待ってくれ……これは可愛すぎて困る」
思わず両手で顔を抑え、羞恥に耐えながら口移しされた飴玉をカロンと歯に飴を当てて転がす。
彼から突然与えられた蜜は、驚くほどに舌を甘く痺れさせた。
飴玉の名残を舌の上で溶かす。
甘い味よりも、乾燥した柔らかさが舌を痺れ刺す。やっぱり乾いてたな……厚いカサカサした感触の男らしい唇を思い出し笑う。手入れのされてないそれは、誰にも触れていない証拠のような気がして、本人の前なのに気分が大層高揚した。顔に出てなければ良いが。
彼は知っているだろうか?今、口の中に含んでいる飴玉の色を。
添えられたリボンが可愛らしい小袋から、もう一つ飴玉を取り出す。丹恒が食べたいのは一つの色だけ。あとはベロブルグに寄った時にでも孤児院の子供たちにプレゼントしよう。
「お前ばかり平然としていては、なかなか癪だからな」
たまにはいいじゃないか。いつも自分ばかり恋人に心を乱されるのだから。
とっておき甘い琥珀色の飴を舌の上で転がし、丹恒は鼻歌を歌いながら仲間の元へ向かった。