メッセンジャーは諦念し「それじゃあよろしく、お願いします」
ぺこりと頭を下げる少年の敬語はあまりに辿々しい。
「……そんなに気を遣わなくていい」
「でも悪いし」
ほらもう外れた。日本語に不慣れだからというよりも生育環境的な話だろう。
自分相手ならどうしたところで構わないが彼はこれから先あの方の隣に居続けるのだ、そういったものも完璧とまでは言わないがもう少し身に付けてほしいところ。
「そう思うなら今度本を数冊持ってくるから読んでくれ。それでいい」
「本……」
少年の目がぐるぐると渦巻き出す。
「あんまり難しいのは……」
「……わかった」
子供向けの棚で探すことにしよう。『かんたんなけいご』的な入門書が見つかればいいが。
車に向かってくる足音はやや弾んでいた。今の今まで目の前の巨大な建物で行われていたそれが楽しいものであるはずがないので、ステップの理由は消去法でひとつだ。
そのまま軽い動きで乗り込んだ主人に「で?」と促されるまま報告を。
「来週会いませんか。だそうです」
「ふむ……」
顎に手を添え主人は横をむく。窓の外を眺め思案しているように見えるが、見えるだけでこれはポーズだ。結果はもう決まっている、何せ誘い主があの少年なのだから。
「いいだろう!」
「来週の予定ですが」
「何とかしろ」
「……はい」
最早詳細を聞くことすらない。何があろうと行くという決意が座席越しに強く伝わってくる。
「どうだった」
「コンディションは良さそうでした。ビーフを挑まれていましたが、難なく勝利を」
「相手は?」
一応名前を出したが主人は片眉を上げるのみだった。仕方ないことだ、あの程度の滑りでは彼の関心はひけない。
「盛り上がりに少々欠けました」
「ああ。それはいいな」
「……いい、とは」
「引き立つだろう。僕と、彼が」
ミラーに映る主人は引き続き窓の外へ目を向けているがしかし、その瞳が捉えているのは風景ではなくきっと未来の光景だ。具体的には来週の週末。
「つまらない前座を見せられた哀れな客を救ってやろう」
そう言って企みの笑いを溢す。きっと何か壮大なことを考えているのだろう。キャップマン達に連絡を取らなければ、来週は嵐だ。
まあ最近はしょっちゅう嵐なのだが。主に少年の誘いを全て主人が受けるせいで。
「……愛之介様は彼の誘いを断ったりは」
「しない」
キッパリと切られた。
「一度でも断って誘われなくなったらどうする」
責任を取れるのか?と真顔で聞かれると「取れません」と返すほかない。
「ですが、その」
「何だ」
「駆け引きと言うか」
「あの子にそんな物通じるわけないだろう」
ぐうの音も出ない。
「何も解っていないな。逆なんだよ」
「逆」
「ああいう子供らしい子供相手なら願い事を全部聞いて好感度を稼ぐ方が早い」
「……つまり」
「察しが悪すぎる」
軽く頭を振って、真実を教えてやるとばかりに主人が言った。
「いいよって言ってればそのうち僕を好きになるかもしれないだろ」
「……」
例えばこれが主人以外の発言ならば、もしくは対象があの少年以外ならば「そんなわけあるか」と突っぱねられただろう。だが現実、数週ごとの誘いの度少年の態度が変化しているのは事実であり。
「確かに……」
「ふん。もう少し考えて話せ」
考えたところでこの二人のことが自分にどれだけ解るのだろうか。自分だけでなく、彼ら独特のそれを理解できる人間が彼ら以外どこに。
走行音に紛れて鼻歌が聞こえる。帰宅後のスケジューリングについて考えると頭が痛いが、親愛なる主人、心に傷を抱え孤独であった彼がこうして日々喜びを表せていることだけで充分なのだと、そう思うことで納得とする。