俺の為に味噌汁を痛むこめかみを抑えてベッドルームからようようリビングに移動した。
そこに昨日はともにいなかったはずのノヴァの姿を認めて、周りを見渡せば自宅ではなく所帯じみたノヴァの部屋のようだった。
じゃあこれは夢かと、また寝床に戻ろうとしたところで、そのノヴァに朗らかに声をかけられた。
「おはようございます」
「…」
「とりあえず水分を補給してください。きっと声もガラガラでしょう?」
そういって未開封の水のペットボトルを渡してきた。
とりあえず夢の続きではなさそうなので、素直に受け取って一口二口飲み込むうちにようやくぼんやりと昨夜のことを思い出す。
「今朝がたスティーヌさんが心配して電話をくれましたよ。」
そういう声音は少し怒りが感じられ「ああこれは説教されてるんだな」と霞のかかった脳みそで何と言えば、坊やのご機嫌をとれるのか考えてみる。
「ジャンクさんのお店で楽しく飲むのは結構ですけど、正体不明になるまでは控えてくださいよ。スティーヌさんが困るじゃないですか。それにスティーヌさんタクシー呼んでくれたのに、到着待たず帰っていったから、ノヴァ君のお宅に向かったと思って…って言われた僕の気持ちわかります?」
くどくどと小言を続ける坊やに、昨夜の顛末を思い出した。
ジャンクの店で久しぶりにいい酒を飲めて、ツマミも美味くて、上機嫌で夜中まで話し込んだが、最後の方の記憶は確かに朧気だしタクシーを待たずにほろ酔いで歩きだしたところまでは覚えていたが、ここに向かっていたとはな。
夏休み前の試験勉強に集中したいというノヴァのお願いで、ここ最近はろくに会えていなかったが、そこまで切羽詰まっていた覚えもなかったんだがな。
ジャンクの店はノヴァの住む街の商店街にある洋食店で夜は飲むことも出来る店だった。始めはノヴァにランチに連れていかれた。
そこで見たメニュー表のアルコールの品ぞろえにセンスを感じたし、また出てくる料理もどれも美味かったので俺にとっても気に入りの店になった。
夜はBARとしても営業してるとのことだったので、後日一人でふらりと立ち寄ったところ、とてもスティーヌの旦那とは思えない大柄で横柄な男がカウンターの中にいた。
それが店主のジャンクで、ジャンクは話してみれば気のいい男で、昔は皇室の晩餐会でも名を聞くような有名店で働いていたそうだが、上司と反りが合わずにぶん殴ってクビになったという話で意気投合して、ノヴァ抜きで夜にもちょくちょく顔を出してジャンクと飲むことも多くなった。
昨夜もたぶんそんな感じだった。
「ボクがまだ起きていたから良かったけど寝てたらどうするつもりだったんですか。玄関前で寝込んだりしたら夏だって風邪ひくかもしれないじゃないですか」
ああ、結局おれの心配をしてくれてるのかノヴァは。
迷惑と言いつつ、気遣ってるのは俺の体調のことばかりで可愛い坊やについ言い訳を忘れて頬が緩んだが、それを見咎められる前に素直に謝ることとした。
「悪かった、気を付ける」
「まったくですよ!年も考えてください」
そう怒りつつも大学への登校時間が迫っているようで、出かける支度をしながら、なにやら食卓に朝食を並べだす。未だに若干のアルコールが残っているせいで食欲はないので「いらん」と言ったがノヴァは、それを良しとはしなかった。
「じゃあせめてコレだけも飲んでから帰ってください」
お湯の注がれたカップの中はワカメと小さな貝が入っていた。
いわゆる味噌汁だった。
「スティーヌさんがシジミの味噌汁が悪酔いした時は良いって教えてくれたので、さっきコンビニで買ってきたんで。」
正直「ああ、そうかい」としか思わないが昨夜の事は完全に分が悪いのとスティーヌのいう事であれば信憑性も高いかと一口、口を付けた事を見届けたノヴァは満足げに笑って言った。
「今日はインスタントでしたけど、スティーヌさんからレシピももらったので、今後作ってみますね!」
そう言い残して「やばい遅刻する!鍵おいておきますからポストから中に入れておいて下さい」と慌てて出て行ったノヴァの後ろ姿を眺めながら、もう一口すする。悪くはない。
今度作ってくれるというのだから、それはそれで楽しみだと思いつつ、飲み干した味噌汁を片づけて、仕事の為に着替えなければと勝手知ったる恋人の部屋のシャワーを拝借したのだった。
後日、ジャンクにノヴァが最近味噌汁を作ってくれることを話したところ
「日本にはよ"毎日俺のために味噌汁作ってくれ"ていうプロポーズがある」
という有益な情報をもらった。
そうそう、それからスティーヌも感謝せねばならんな。