日本式バレンタインデーあなたが甘い物をあまり好まないのを知ったのは、この数か月のこと。
そもそも、あなたの母国ではあまり浸透していないらしい習慣なので、わざわざやらなくてもいいんじゃないかと悩み始めたのは1月の終わりごろ。
ちらほらとテレビでも、そのイベント特有のコマーシャルが流れ始め街もそのイベント用のディスプレイが増えてくる。
まあ、あなたはお菓子売り場にそもそも近づくことも少ないけれど、周囲の雰囲気が変わったことは何となく感じられるだろう、と察した。
じゃあ、いっそ思い切り俗っぽくイベントを過ごすのもいいかと思いながらイベントの特設ホームページやお菓子売り場の専用コーナーを覗いたり、レシピ本を読んでみたりしていた2のは月のはじめごろ。
いやでもしかし、それはそれでドン引きされないか?とかでもせっかくのイベントなのにしないのも勿体ないとか…。
そんな風に思い悩んでいるうちにその日は来てしまった。
いわゆる日本のバレンタインデー。
鞄の中にはこの部屋に来る前に買ったちょっとだけ高級なチョコレート。
イベントうんぬんはともかく、この日は先生がお休みということで、アルバイトあがりに先生のお宅に伺うことを約束していたボクは夕飯には少し遅い時間にインターフォンを押して来訪を告げる。
「手が離せないから勝手に入ってくれ」
そう言われて仕事か何かで忙しいのか、やっぱり日本のバレンタインデーには興味がなかったのだなと思い、鞄の中のチョコレートはどうしようかと考えつつ玄関をあけると、思いがけずふわりと美味しそうな夕飯の匂いがした。
その香りを辿るように廊下を進んでダイニングに入ると、照明を落としたダイニングのテーブルにおかれた小さなな火が灯されたキャンドル達。
細長いシャンパングラスと質の良いカトラリーが並べられた食卓、そしていつもの部屋着よりはお洒落な装いの先生。
「荷物は片づけておいてやるから、風呂入って着替えてこい」
そう言われて、ボクがもっていた荷物を受け取って片付けると先生は再びキッチンに向かっていった。ボクは意外過ぎた光景に頭がついて行かず、取りあえずシャワーを浴びるために浴室へ向かった。
体の汚れを落として、先生の部屋に泊まる時は一応準備をするのでそこも念入りに準備して、そして体を温めてから脱衣所にでると、着替えと小さな小瓶がおかれていた。
小瓶のラベルを読んで、ボクは苦笑いししつつも先生がバレンタインデーを日本ではどんなイベントかきっと調べたであろうことが察せられて嬉しくなってしまった。
温かい体と嬉しい気持ちでダイニングに戻ると、料理が準備されていて、ボクのグラスにはペリエ、先生のグラスにはシャンパンが注がれた。
「乾杯だ、You are my valentine.」
顔から火が出るかと思った…意外過ぎてもう脳の処理能力が追い付かない。
「先生って意外とロマンチストなんですね」
「サプライズは最初しか出来ないからなぁ、それに」
それに、日本がこんなにバレンタインデーを盛大にやるとは思ってなかった…との事だった。そりゃそうか外国人の先生から見たら街のいたるところに掲げられた「ハッピーバレンタイン」の幟やディスプレイを見たらそう思って当然か。
「坊やが何も言わないから、こっちで準備してやったんだがお気に召さないか?」
「そんなわけないですよ…もったいないくらい贅沢です」
先生の手作りのディナーと最後に出てきた完璧なフォンダンショコラ。
ボクが来た時ちょうど焼き上がったとこだったんだ、この国はチョコレートを贈るものなんだろ?と、そのフォンダンショコラを頬張るボクを見ながら上機嫌な先生に、ボクは鞄の中に仕舞っておいたチョコレートを思い出して慌てて持ち出してきて渡した。
「先生ほどのものはではないですけど」
そういってベルギーで有名なショコラティエの名前の記されたチョコレートの包みを渡せば、先生は嬉しそうに包みをあけるとブランデーを持ち出して1つだけ口に入れた。
「ちゃんと俺の為に選んだんだな」
ビターでお酒のあてになるとネット調べた、そのチョコレートに先生はちゃんと気付いてしまった。もし今日渡せたら甘いものが得意ではない先生でも楽しめるようにと選んだものだった。
「悪くない。酒のあてにちょうどいい」
「良かった…先生あまり甘いもの好きじゃないからバレンタインデーはスルーするかと思ってて。」
「コマーシャルみてはため息、街ののぼりを見てはソワソワしてたからな、そんな可愛い恋人を見たらスルーするわけにはいかないな」
「…なるほど」
結局バレてたのは自分のせいだったのか。
「さあ、坊やデザートもそろそろ仕上げにしようか」
フォンダンショコラの最後のひと口を飲み込んだボクを椅子から立ち上らせると。そのまま子供を抱き上げるように持ち上げた。
落ちないように抱きついた先生の首筋からは、風呂上りにいつも先生がつけているパルファムの甘いムスクのラストノート。
たどり着いた場所は思った通りに寝室で。
「ちゃんと甘いチョコレートになってきたか?坊や」
ベッドサイドのチェストの上には脱衣所にあった香水の小瓶。
そしてその香りはチョコレートの香り。
ベッドにボクを下ろして自分の上着を脱いでボクに覆い被さった、その先生の首に腕をまわして頭を引き寄せた。先生の耳元に小さな声で答えを伝えた。
「それは先生が自分で確かめて?」
そして先生が楽しそうにボクのシャツを捲れば甘いチョコの香りが漂った。