アドベント・カレンダー ネクの部屋のデスクセットに、4つだけ爪の折られた卓上カレンダーが置かれている。赤を基調にして賑やかなクリスマスの絵柄で彩られたそれは、友人から半ば押し付けられるようにして貰ったものである。
さて今日は何を想って跡をつけようかな、とネクは考える。カレンダーを友人から貰い受けた際に、彼は送り主と小さな約束を交わしていた。
RGに戻って以来、ネクは人との触れ合いを求めるようになっていた。コンポーザーに用意された日常生活 — 居場所を用意された高校に通い、週末になればシキと約束を取り付けるか、そうでなければビイトに声をかけた。ともに街に彷徨いに出るか、そうでなければビイトの部屋にそれとなく現れて何をするでもなく時間を過ごす。その日は一番最後のパターンだった。
「……ビイトがこういうのやるタイプだと思わなかった。意外だな」
不意に声をかけられた部屋の主は、おぉ?と訝しげな声をネクに向ける。その視線が赤と緑のアドベントカレンダーに向けられているのを認め、あぁ確かにな、と声をかけた。
「ライムがどっかから貰ってきたんだ」
「これ、クリスマスまで一日ずつ折るってことか?」
「あぁ。……知らねぇのか?」
「新しいもの、なんじゃないかな」
サンタやトナカイやクリスマスツリーが賑やかに彩るカレンダーを、ネクはしげしげと見つめている。
「俺が新宿に行く前には、こんなのなかったような気がするよ」
「……ネク、もしかしてクリスマスも3年ぶりか」
「そうだな」
ネクは困ったような笑みを浮かべた。彼はよくそう言った表情を浮かべた。気を遣わせてごめんな、おかしいのは自分の方で、おまえは何も悪くないんだ、と。赦すような距離を取るような曖昧な笑み。ビイトにとっては却って居心地が悪くなってしまう表情。有耶無耶に流されてしまうのを拒むように、ビイトは慎重に相手の過去を分かち合おうとする。
「新宿はそういうの、無かったんだよな」
「そうだな」
ネクは部屋の中空に視線を泳がせた。
「でもその辺のソウルが懐かしんでいるのは、たまに分かったよ。恋人とイルミ観に行ったとか、指輪買ってプロポーズしたとか。……そういうこと考えてる時って、ソウルの残骸だけでも何だか幸せそうだったな」
フ、と軽く笑って追想に心を遊ばせている。骨張った線の細い身体、あるかないかのような仄かな微笑。儚さ、というものをビイトは想う。儚くて、— まるで今にもまたどこかに消えてしまうんじゃないか、と感じさせるものがあった。ビイトは無言で、放り出されたネクの手に自らの掌を重ねる。何と声をかけていいのかすら分からなかった。
ビイトの掌の熱を受け取ったネクは、少し間を置いて、ビイトに柔らかな微笑みを向ける。
「ありがとうビイト。大丈夫だ、俺はどこにも行かないから」
「……なら、いいけどよ」
しばらく手を抑えたのちにビイトは立ち上がる。自分のデスクの上に飾られていた卓上カレンダーを持ち上げて、座ったまま様子を見ていたネクにスッと差し出した。
「これ、やる。ちゃんと25日まで数えたら、RGのクリスマスにも少しは慣れるんじゃねぇか」
「……いいのか?ライムに貰ったんじゃないのか」
「ネクならライムも分かってくれるだろ」
カレンダーは既に3日分が押し込まれていた。ビイトはくるりとそれを裏返す。メモ台紙のような白いスペースは、12/1の分だけ書き込みが加えられていた。
“ ライムにプレゼントを貰った”
「……クリスマスまで、その日あった良いことを書き込むんだとよ」
「ビイト、昨日サボっただろ。もう3日だぞ」
「俺はそういうの苦手なんだよ!」
だから代わりにネクがやれ、とやや乱暴に押しつけられるまま、ネクはそれを受け取る。しばらくくるくると手の中で弄んだのちに「ありがとう」と素直にそれを持ち直す。それを見届けてビイトは満足げに頬を緩めた。
「全部埋めろよ。……したら俺がサンタさんになってやる」
「子供扱いするなって」
「いいんだよ!前のクリスマスの時は中学生だっただろーが」
「その時だって流石に卒業してた」
「そうか?」
ビイトの親切は暖かいが、時折酷く大雑把だった。熊が小鳥に触れるような、どこか的を外した優しさ。それは彼が妹との壊れそうな関係の中で身につけたものなのかもしれない。ネクは推測する。推測して、その解像度の低い親切を取り敢えずは受け取ることに決めた。
「そうだよ。そうだけど、何かくれるって言うなら……考えとく」
「おう、考えとけよ」
そう言われたビイトの方が奇妙に嬉しそうにしていた。
デスクセットの上のアドベント・カレンダーは4つだけ爪が折られている。12/2の分だけを空白として、今日 - 12月5日まで裏側に書き込みが加えられていた。さて今日は何を書こうか、と考え込んだネクの手元で、スマートフォンがメッセージの受信を知らせた。ネクは画面を開く。
『シキとは約束できたのか?』
『ガトネのクリスマスイベントで忙しいって』
『まじか』
『残念だったな』
新着のメッセージはそこから少し時間を置いて届いていた。
『代わりが俺で悪いけどよ』
『イルミ観に行かねぇか?』
気を回すようなメッセージに思わず笑みが溢れた。長い孤独な期間を経て自分の性格がすっかり変質してしまったことにはネク自身気付いている。しかしそれと同じくらい周囲もまた変化していた。メッセージ越しの相手についても同じ。かつてのがさつさは少々弱められ、荒々しさの中に隠されていた優しさがよりはっきりと浮き出るようになっていた。
慣れない手付きでスマートフォンを抱えるようにして、ゆっくりと返信を送る。
『良いなら行きたい』
『誘ってくれてありがとう』
間を置いて”OK”のスタンプと2通のメッセージが送られてくる。『よっしゃ』、『行きたいとこあれば合わせる』。それきり動かなくなった画面を見届けて、一旦メッセージを閉じた。
去年のクリスマスは明確に覚えてすらいない。瓦礫が散乱する灰色の街を、ただ一人肩を落として歩き回っていた日々の中に、その一日は埋もれている。 — 今は全てが違っていた。色とりどりの光に飾られた涼しい空気の中、親しい人と二人で顔を上げて歩むことがでいる。イルミネーションの灯りを潜るようにして、3年ぶりの”RGのクリスマス”を分かち合う時間を考えると心がふわりと浮き上がるように感じた。
卓上に据え置かれたアドベント・カレンダーをネクは持ち上げる。ひょいと裏返してメモを書き込んでから、5日目のタブに力を加えて後ろに押し込んだ。赤い鼻をしたトナカイのイラストが、楽しげにメモの中身を覗き込んでいた。
“ビイトと約束ができた”