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    7章の京都組+朝日奈
    傘を忘れた朝日奈に貸してやる浮葉。
    東京へ向かう新幹線の中の大我と浮葉。
    弟子への想い。

    #金色のコルダスターライトオーケストラ
    #御門浮葉
    gomenUkiyoe
    #堂本大我
    danganomics
    #朝日奈唯
    asahiNayoi

    地獄に降る雨「今日は、これで仕舞いといたしましょう」
     やわらかな声が、けれど有無を言わさずにひとつ線を引く。
     浮葉と源一郎の三人で練習や街頭演奏をするとき、たいていは彼のこの一言で終わりになった。源一郎が異を唱えるはずもなく、朝日奈ひとりがすこし物足りない顔をするのが最近のお約束となっていた。
     この言葉を聞くたび、浮葉はスタオケの仲間ではないのだと思い出させられている気がして、朝日奈の胸の奥にある焦燥が鳴りを大きくするのだ。
    「もう……ですか?」
    「ふふ、名残を惜しむあなたはいとけなくて、私にできるすべてをしてあげたくなるようだ」
     冗談とも本気ともつかない微笑みも、わずかに低められた声も、あわい甘さをまとっている。彼の庭で大輪の花を見せてもらったときに香ったあの、あるかなきかのほのかな甘さともすこし似ていた。月夜に香る寒牡丹――見たこともない光景が朝日奈の心に浮かぶ。きっと、彼のこの声と同じように静かに心の奥深くへ染みわたり、蕩けさせるのだろう。
    「ですが、ほら……」
     天を仰ぐ浮葉の優雅なしぐさにつられて朝日奈も視線を上へやる。
     先ほどまで高く澄んでいたはずの空が、いつのまにか灰色の雲に覆われつつあった。演奏をしているうちに天候が崩れたのだろう。雲の腹に抱えこまれた黒の深さが不吉に思えるのは、御門家の窮状を知ってしまった心のうちを知らずのうちに重ねあわせているせいだろうか。
    「あなたも、楽器も、濡れては障りがありましょう。降り始める前に……、ね?」
    「……ですね」
     自分はともかく、ヴァイオリンを濡らしてしまうわけにはいかない。色々なことをはぐらかされたような気持ちを抱えながらも、朝日奈は素直に片づけを始める。
     クロスを畳み、弓をゆるめながら見やる先で、浮葉もクラリネットの手入れをしていた。身に染みついた流れるような手つきはやはり舞の一部のようにうつくしく、楽器を見つめる伏せられた瞳にはどこか慈しみさえ感じさせる。
     この表情を見て、彼がクラリネットを愛しているとわからないものなど、いるはずがない。
     屋敷も楽器も手放すつもりだ、などと浮葉は言っていたけれど。
     彼が、音楽を手放して良いわけがない、と思う。
     だからこそリーガルになど行くべきではない、とも思う。
     見つめる視線に気づいたのだろう、浮葉がゆったりと顔を上げる。
    「ああ、待たせてしまいましたね。申し訳ありません」
    「あ、いえ。ぜんぜん」
     待ってないですと口のなかでつぶやきつつ朝日奈は首を横に振る。なんとなく、つまみぐいを見咎められた子どものような気持ちになって、肩をすぼめてしまう。
    「御門さんのお手入れ、綺麗だから見ていて楽しいです」
     言い訳じみて聞こえてしまっただろうか。おずおずと視線を向けると、どこまで察しているのか穏やかな微笑みが返ってくる。
    「ふふ、ありがとうございます。あなたはひとの美点を見つけるのがお上手だ。さすがはスターライトオーケストラのコンミスですね」
     そのまなざしにも、やさしい声音にも、どこか線引きを感じてしまう。そう感じるのは色々と気がかりなせいなのだろうか。
     源一郎からコンミスと呼ばれても、こんな気持ちにはならない。
     銀河から言われた線引き、という言葉を引きずりすぎているのかもしれない。
     だけど、たぶん。
     浮葉から最初に引かれた線はいまだに消えていない。そんな気がする。
     最後にキイのひとつまで丁寧にぬぐってからケースに収めていく浮葉の、繊細な睫毛の影のゆらぎまで見えるくらい、こんなに近くにいるのに。
    「……朝日奈さん。そう熱心に見つめるものではありませんよ」
    「すみません……」
    「あなたのように可愛らしい方に注目されては、悪心を起こすものもおりましょう」
     案じる声には、わずかに笑みも混じっていた。
     気分を害したわけではないようだ、と安堵する朝日奈の前で、浮葉がケースの留め金をかける。前後して源一郎もオーボエをケースにしまい終えた。
     それを待っていたように、空からぽつぽつと冷たいしずくが落ちてくる。
    「間に合って良かった」
     つぶやく浮葉が、己の鞄から折り畳み傘を取り出す。朝日奈も自分の鞄を探り――ぴたりと動きを止める。
     傘が、ない。
     必死に記憶をたどる。横浜を出発するとき、たしかに荷物のなかに折り畳み傘を入れた。そのあとどうしたのだっただろう。
     そうだ。
     昨日、ホテルで荷物を整理するときに机の上に出して、……それから。
    (鞄に戻し忘れてた……!)
     自分の迂闊さを呪う朝日奈をあざ笑うように雨脚はしだいに強まっていく。
     髪を、肩を濡らしていくしずくが、不意に遮られた。
    「どうぞ、お使いください」
     見上げると、浮葉の手が傘をさしかけてくれていた。
     躊躇う朝日奈の手に、浮葉の手が一瞬、添えられる。秋の空気に似た、心地よいけれどひんやりとした体温を感じたことに鼓動が跳ねる。
     動揺に開く指のあいまに傘の持ち手が渡され、反射的に受け取ってしまう。
    「でも、御門さんが」
    「心配してくださるのですね、やさしい方……。ですが、お気遣いは無用です。源一郎がおりますので」
     浮葉の言葉に応えるように、源一郎が広げた傘を持って背後に従う。上背のある彼は折り畳み傘も大きなものを用意していたようだ。たしかに、詰めれば浮葉をその翼のもとに収めるくらいはできそうだった。
    「すみません……」
    「あなたにはヴァイオリンもありますし、ひとりで使えた方がよろしいでしょう。……それとも、ケースを源一郎に預けて、私とひとつ傘の下、ともに歩いてくださるのでしょうか」
     ひとつかさのした、と耳慣れない単語を復唱したあと、朝日奈は息を詰まらせる。
     女友達とならひとつの傘をさして歩くのも楽しいけれど、異性の、それも、こんなに見目麗しいひとと同じ傘に入るというのはあまりにもハードルが高い。
     思わず全力で首を横に振ってから、おずおずと浮葉を見上げる。
    「……ケースを預けて、私が濡れて帰るというのは」
    「いけませんよ」
     完璧な微笑みとともに、穏やかな声が告げる。
     なんでも言うことを聞いて甘やかしてくれそうだと錯覚するほどやさしい声音なのに、よくもここまで自分の主張を退ける気はないと明確に表現できるものだ。思わず感心しながら朝日奈は、謎の敗北感と深い感謝とともに傘をありがたく拝借することにした。

    ***

     あの日、本降りになった雨のなか、彼女の弾むような足音だけが妙に浮かび上がって聞こえた。
     そう、彼女はいつも楽しそうだった。……御門の家の話を聞くとき以外は。
     源一郎から話を聞いた彼女は、いまごろ怒っているだろうか。泣いているだろうか。
    「……あぁ、……」
     そういえば、あのとき貸した傘はコンサート直前のあわただしさに紛れてまだ返してもらっていなかった。
     窓の外には、夜の帳の降りた、何処とも知れない風景が広がっている。そこに映る己の顔は幽鬼のように青白い。そう思うのはきっと照明の加減だろう。
     いつのまにかまどろんでいたらしい。
     昨夜はよく眠れなかったから、そのせいだろう。
     わずかに強張った体を座席の上で起こしながら、浮葉はようやく現状を思い出す。
     ここは、東京へ向かう新幹線のなかだ。通路側の座席に腰を下ろす不愉快な男は、暇を持て余しているのかどうか、スマートフォンを眺めているようだ。
     己の頬にしずくが落ちているように見えて、浮葉は思わず指先で頬に触れる。なめらかな肌はさらりとしていて、濡れた跡は微塵もない。そのことに心から安堵して知らず溜息が落ちた。
     今更、落とす涙などあってたまるものか。
     窓にぽつり、ぽつりとしずくが落ちては振り落とされ、飛んでいく。京都でみぞれを降らせた雲が追いかけてきているのだろうか。
    「お目覚めか。早速ホームシックかい?」
    「ご冗談を」
     窓に映る大我の、どこかひとを見下したような目つきと笑みに無機質な視線を向け、吐き捨てるように呟く。
     面白がるように笑うその声を無視し、浮葉は窓に映る己の瞳を見つめる。
    「ただ、……地獄にも雨は降るのだな、と」
    「へぇ? ……お坊ちゃんは、傘をさしてくれる供のものがないと歩けないか?」
     悪意を揶揄にくるんでさしだす大我の声は、毒々しい色の砂糖衣をかけられた菓子に似ていた。
     溜息をつき、浮葉はゆっくりと座席の上で体の向きを変え、大我を正面から見据える。
    「まさか。あいにくと傘は預けてまいりましたが、雨に濡れて歩くのも悪くありません」
     告げる己の声も、浮かべる微笑みも、完璧な優美さを保っている。
     大我が呼気を一瞬揺らしたのは、矛先をかわされたせいだろうか。かすかな動揺のしるしを見て取って浮葉はかすかな笑みをくちびるににじませる。
     嫌な男だが、愚かではない。
     お前ごときが私を容易く扱えるなどと思いあがるな、ときちんと伝わったことだろう。
    「雨のなかのそぞろ歩き、ぜひ、おつきあいいただきましょう」
     地獄の釜の底まで、と言外にひそませた言葉に、大我がちいさく笑う。
    「上等だ」
     獰猛な笑みを、極めてうつくしい笑みで受け流しながら、浮葉は願う。
     もしもあの子が雨に打たれて凍えていたら、そのときはどうか、今度は彼女が傘をさしかけてくれるように、と。



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