わたしのため耐熱カップへ生地を注ぐ。ここまでくれば後はもう焼くだけだった。焼き上がりがどうなるか多少の不安はあるものの肩の荷が下りたようで張遼は静かに息を吐く。
後片付けは残っているが急ぐ必要もない。先に温かい飲み物でも淹れて休憩するのも悪くない。
「あ、でも生クリームを先に用意して欲しいな。混ぜているところとか格好いいし」
「構いませんが、郭嘉殿」
「なぁに」
「い、いつまでそれは続くのですか」
妙に力が入ってしまう理由、それは張遼の向かいで郭嘉がこちらを撮影しているからに他ならない。向けられているのはスマートフォンで立派な機材ではないにしろ、レンズがずっと己を記録していると思うとどうにもぎこちなくなる。
やんわりとカメラの拒否を口にしても郭嘉は微笑むばかりだ。
「誰かに見せるつもりはないよ」
「なら何故……」
明るい電子音が鳴った。一旦撮影を止めたようで彼のスマホはテーブルの上に置かれる。暗くなった画面を隠すように裏返しにすると郭嘉はカウンターで頬杖をついた。
「私のため」
何か深い意味があるのか。張遼の想像力では及ばない、特別な事情があるのかもしれない。しかしいくら尋ねても郭嘉がそれ以上答えを重ねることはなかった。
「だって、本当に私のためのムービーなんだもの」
「レシピが必要でしたらお教えしますが」
「うーん、いらないかな」
笑う郭嘉は背後のオーブンを指さした。予熱が済んでいるからさっさと入れろという催促だろう。
「出来上がりは楽しみだけれど、貴方が作っているという過程も楽しみたくて、ね」
「はぁ、然程手際も良くありませんし参考にはなりませぬぞ」
「ふふ。エプロン姿が好きなだけだよ」
いまひとつ、彼の趣味が理解できなかった。
天板ごとガトーショコラの生地をオーブンレンジへ入れる。斜めになった瞬間に動いてしまったため位置を直し、整えてから扉を閉めた。
「郭嘉殿がご機嫌なら、よいか」
振り返れば再びカメラがこちらを捉えていた。画面越しに嬉しそうに微笑む姿を見ればそんなひとり言も自然と出てくる。
ふとスマートフォンを介さずに目が合えば甘い瞳が揺れてウインクが飛んで来た。