揺れるのは、「あなた、前髪邪魔じゃないですか」
簡単に部屋の結界を破り入ってきた赤髪の男による、脈絡のない発言。
オーエンは、「またか」とため息をついた。
彼が思い付きで部屋を訪ねてくるのはいつものことで、オーエンはその度に振り回されているのだ。まあ、実際は態度に出すほど嫌だとは思ってないのだが、悪態づくまでがワンセットになっている。
「何。勝手に入ってこないで、ミスラ。部屋に来るときは、事前に教えてっていつも言ってるよね」
「はあ、暇だったんで。あと、用事もあります」
ミスラは、悪びれる様子もなく、どかっとベッドに座った。「出てってよ」と睨むオーエンのことなどお構いなしだ。
「さっき、談話室でルチルが絵を描いていたんですけど」
「へえ、呪いの壁画みたいな絵?」
オーエンが、いじわるそうな笑みをつくって尋ねる。ミスラは、視線を斜め上にそらし一瞬考えたそぶりを見せたあと、「ええ、まあそうです」と肯定した。
「そのときに、髪が邪魔だと言っていて、前髪をピンで上げていたんです」
「ふうん、だから?」
「そういえば、あなた前髪長かったなと思って」
オーエンは、つまらなそうに「そう」とだけ相槌を打つ。
「邪魔じゃないんですか?」
「別に。僕は絵、描かないし」
「はあ、そうですか」
ミスラはベッドから立ち上がり、おもむろにポケットから小さい何かを取りだした。細い赤色のゴムだ。
「前髪、しばってあげますよ」
「は?!僕の話聞いてた?いらないから、やめて」
制止も聞かず、大きな数歩でオーエンの前までやってきたミスラは、銀灰の髪へ手を伸ばした。
「ちょっと、殺すよ。おい、ミス……ッ」
頭に向かって伸びてきた大きな手に衝撃を予感して思わず目をつむったが、予想していた荒さはなく、優しく髪を梳かれた。ミスラのことだから、力任せに髪を引っ張って好き放題やるのかと思ったが、拍子抜けだ。
オーエンがぽかんとしているうちに、ミスラはさっさと作業を終えてしまったらしく、髪から手を放して満足そうにしている。
「ははっ、似合ってますよ」
「はあ……?」
顔を動かすと、ぴょんぴょんとしばられた前髪が揺れるのを感じて、オーエンは顔をしかめた。
「ほら、見てください」
ミスラに差し出された鏡をのぞくと、思っていたよりも頭の悪そうな自分が映った。上を向いて楽しそうに揺れる髪に嫌気がさす。
「最悪。馬鹿みたい」
「そうですか?いつもそうしていたらいいんじゃないですか?」
「嫌だよ」
オーエンはそう言って、前髪に手を伸ばしゴムをほどこうとした。
「待って」
ミスラがオーエンの手首を掴む。そして。
――ちゅっ
おでこに可愛いキスを落とした。
「もったいないですよ。もう少し、このままで」
そう言って、目を細め微笑む。
「……意味わかんない。変なミスラ」
いつも気怠そうな彼が、へらりとあまりに嬉しそうに笑うものだから。オーエンはもう少しだけ、馬鹿な自分でいてあげることにした。