虹を待っている 第1章 (3/3) そんなまま続いた。金髪の男はカウンターから顔を上げ、飲み物のおかわりを要求し、グラスが空になったらまたカウンターに下ろし、何度も何度も繰り返す。やがて、頭を上げることも完全に止まった。
花村は慌てた様子で日向を見た。
「注ぐのを止めろって言っただろう?」
「そ、そうだけどぉ…」
花村は言葉を失い、不安げに見知らぬ男の腕を揺すった。
「お客様?大丈夫ですか?」
金髪の男は体を起こし、ゆっくりと頭を上げた。花村の顔に安堵の色が浮かんだが、青年のまっすぐな指差しに対してまた消えた。
「テメー…」
花村は明らかに動揺していた。
「は、はいっ?」
「あのなぁ」
「はい…?」
見知らぬ男が焦点の定まらない目でコックを見つめたまま、しばらく沈黙が続いたが、やがてつぶやいた。
「テメー…いい男だなぁ」
そんな言い方に、日向は花村が淫らな冗談を言うの期待しかけたが、明らかに混乱して、いつもの思わせぶりな花村ではなかった。
「あ…どうも…?」
「ああ」
金髪の男はカウンターに頭をもたげ空になったグラスをいじっていたが、もはやおかわりを要求することはない。
「未成年げ酒を飲むクソガキが多すぎうし、それを放置してるクソバカも多すぎう。けどよー。テメーはいいやつだ、身分ちょ…んん…あんなもんぉチェックしてんのぉ。よぉやったなぁー」
そんな状況にもかかわらず、日向は面白くて仕方なかった。その男はあまりにも無愛想になって、ただ友好的な態度にループしてしまうようだった。
「人間なんてくそ食らえだぉ。バカヤローが多すぎう。マジで腹立っつんの。あとテメー!」
日向は、今度は自分に声をかけられていることに驚いた。背の低い男は体を持ち上げ、席を一つ移動して日向のすぐ隣に座った。もっともっと近くに寄って、直接日向の瞳を見つめた。日向はうずうずして、顔をそむけないようにしなければならなかった。自分の目をとても意識していて、見ず知らずの人にじっと見られているのはやっぱり気まずくなった。
「いい目だなぁ」
…は?
日向は、まだ引き下がらない小柄な男を見下ろして、瞬いた。いい目、って…日向の?嘘だろう?そんな虹彩の異様なストレス線はまだ薄くなっていないのに?日向はぎこちなく顔に手をやりながら、胸に不思議な温もりを感じていた。その温もりは…感動?嬉しさ?そういうことか?
金髪の男はまだ動かず、目の焦点も合っていない。この状況は時間がたつにつれて、ますます居心地が悪くなっていた。ついに、日向は沈黙を破ろうとした。
「あの…もう下がって…くれませんか?」
その男は最初は反応せず、もう完璧に状況を掴んでいないようだった。ようやく視線を再び日向に向け、眉根を寄せた。
「吐きそう」
「はーいはいはいはい!」
相手の胃の内容物がシャツに付着する前に、日向は素早く気まずい体勢から脱がし、席から飛び降りた。
「ここから出ようぜ、な?」
見知らぬ男の腕を掴み、大きく身を屈めて肩で支え、ポケットから札束を取り出してカウンターに叩きつけた。
「ほら、花村。俺とこいつの分をまかなえるはずだ」
間髪入れずに日向は上着を手に取り、居酒屋の外へと男を連れ出した。
ーーーーー
居酒屋から出ると、日向はありがたいに新鮮な空気を吸いながら、相手の体を支えるために少し肩を寄せた。
「おい、気分はどうだ?自分で歩けるのか?」
苛立つようなぶつぶつしか返ってこないので、日向はまたため息をつきながら大通りまでの道程に心の準備をした。
「タクシーを拾ってあげよう」
「何をしているのだ」
日向はわずかに飛び上がり、肩越しに誰が声をかけてきたのか確かめようと奮闘した。
街灯に照らされた眼鏡をかけ、銀色の髪を一本の三つ編みにして、黒いスーツを着た女性が颯爽とこちらに歩いてきた。
「あの…」
「言わなくても分かる」
女性は二人に追いつくと、小柄な男に一通り目を通しながらながらため息をついた。
「酔いつぶれてしまったか。やはり一緒に入れば良かったのだろう…」
日向はその女性をぼんやりと見つめた。背中に刀袋のようなものをぶら下げているように見えたので、衝動的に登録証を持っているかどうか聞きたかったが、それよりも重要の問題があると判断した。
「この男知ってるか?タクシーを呼ぼうと大通りに連れて行こうとしたんだけど…」
「その必要ないぞ」
女性は鋭く答え、一挙にスマートフォンを取り出した。彼女は一瞬、二人に背を向け、電話に向かって耳に届かない言葉を発した。電話を切ると、日向を厳しい視線で見据えた。
「お迎えの車を呼んだ。ぼっちゃんの面倒を見てくれてありがとう。ここから私達に任せてくれ」
「車!?」
日向は思わず声を上げてしまった。希望ヶ丘で車を運転する人はほとんどいなかった。ここで普通車一台が通れる道幅があるかどうかも疑問を持っている。それに、「ぼっちゃん」と言ったか?一体どうなっているんだ?
1分も経たないうちに、日向は角を曲がったところからモーターの唸る音が聞こえてきた。案の定、黒光りする車が通りを突っ切り、居酒屋の前でぴたりと止まった。日向はその光景に目を見張りあまりの衝撃に、酔った男を押さえきれなくなりそうになった。あれは…ベンツか?正直なところ、日向は車にはあまり詳しくないが、高校時代の友人は詳しく、昔、こんな車に載っている自動車雑誌でよだれを垂らしているのを見たことがある。間違いない。
日向は頭がくらくらするほど混乱していた。こんなことは、希望ヶ丘ではありえない。十神のやつは時々、家業の投資先を調べに来るが、それはこれと違う。それはもっと…健全なこと?
日向は小柄な男を車に乗せながら固まり、女性を見つめると、いぶかしげな表情を浮かべた。見知らぬ二人の間に目をやり、自分の体が自動操縦で動きながら、少しずつパズルピースが重なっていくような感覚を感じた。こんなスーツ、こんな車、そしてこの二人が放つこんな雰囲気…
何か怪しい。
男を無事に車に乗せ、ドアを閉めると、日向は慎重に後ずさりした。女性は、もう一度日向を注意深く見てから、軽くお辞儀をして車の反対側に姿を消した。しばらくして、その車は角を曲がって見えなくなった。
日向は車が消えた先をじっと見つめながら、頭の中で歯車を回していた。あれは…
今起こったことを説明するものは、他にあるのだろうか?
きっとあるに違いない。
あるはずなのだ。
だって希望ヶ丘は静かで、平和で、はっきり言って退屈なところだ。
それなのに、一体どうしてヤクザがいるんだ?