決まってない(花の名前かな) ───曰く。恋をする乙女ほど、脆く儚いものはないという。
ある日、花を吐いた。
比喩ではない。本当に、口からこぼれ落ちるように花弁を吐いたのだ。
(…………なんで?)
突然の出来事に混乱する。
今まで長い間旅をしてきた。いろんな場所に行って、いろんな人に出会った。それでも、花を吐く人なんて見たことがない。
しかし。熱が出ているだとか身体がだるいと言った症状はない。これなら依頼は受けれるだろう。
早く行かなきゃ、と思いながら身を起こした。
(ダメだ……口からの異物感が……)
剣を振るい、ヒルチャールを薙ぎ払う。時々口を押さえて、溢れ出ていないかを確認する。それでも、呼吸がしづらく頭が痛い。
「……」
瞬間、遠くにいた青い瞳と眼が合った気がした。
(……? あれって……)
いや、今はそちらに意識を向けている場合ではない。平気を装い、二段三段と攻撃を重ねる。
(あと……ちょっと……!)
花と目の前のヒルチャールのことで精一杯だった。そう、背後からの敵は気づけなかった。
「───ッ!!!」
(まずい……間に合わない……!)
「───礼を弁えない虫けら共」
その声とともに、風が吹き荒ぶ。振り向けば、敵は残ってもいなかった。口から出てしまいそうな花弁を飲み込み、彼を見る。
「……ありがとう、放浪者」
腕を組み、その綺麗な顔といつものように挑発的な口調で話しかけてくる。
「別に、ただ通りがかっただけさ。それより、僕に礼を言う暇があったら横になりなよ」
(……バレてる)
放浪者は人一倍、人の些細な変化に気づくことができる人だ。それは私に対しても例外ではなく、私は今まで何度も隠していた風邪を見透かされている。今回も、バレてしまった。
「……ごめ、」
口を押さえ、逆流する異物を口内に留める。危なかった。花弁という比較的綺麗なものではあるけど、口から出るものに綺麗も何もないと思う。人に見せることなんて、なおさらだ。
「……そんなに、辛いのか?」
心配させないように大丈夫、と言いたいのに、この花弁が邪魔をする。ゆっくりと首を横に振ると、彼の綺麗な顔の額に、皺が寄った。
「君……」
ひらり、と手のひらから花弁が溢れる。しまった、と考えるより先に、放浪者がその花弁を拾う。
「これ、君の手から……まさか、口から?」
怖くて、身体が動かない。気持ち悪い、と吐き捨てられたらどうしよう。今まで誰かに嫌われることは珍しくなかったのに、彼にだけは嫌われたくないという自己中心的な気持ちに支配される。
「ねえ君……」
彼が私の腕を掴む。そっと口元から離そうとする力の入れ方に、負けじとこちらも腕の力を加える。口の中の花弁が徐々に面積を増し、口が苦しくなる。
(やだ……)
反射的に、涙が溢れる。そんなつもりはなかったのに、一度溢れたものは簡単には戻らなかった。それが最後の砦だったかのように、ぼろぼろと涙を零しては口からは花弁を吐き出した。
「うっ……うっ……」
「……蛍!?」
手で拭っても拭っても、涙は止まらない。放浪者も流石にその異様さに気づいたのか、慌てて上着を被せる。
「と、とりあえず医者に診てもらおう。いや、知り合いの方がいいか? じゃあ不卜廬にでも……」
こんな時でも周りに見せないように上着で隠してくれる放浪者の優しさが沁みる。思わず彼に寄りかかると、いつもは引き剥がされるのに今はむしろ抱き寄せてくれる。
(今日くらいは、甘えてもいいよね)
ーーー
「花吐き病」
「そのままだな」
七七の言葉を、放浪者はバッサリと切り捨てる。こういう時に頼りになるのだから、やはり彼は心強い。
「僕たちが知りたいのはその原因と治し方。そのためにここまで来たんだ」
そう、たしかにここまでの道のりは長かった。口を押さえる私をお姫様抱っこで抱え、彼は高速で飛んでくれた。お陰で通行人にはすごい目で見られた。
「一応、古い文献に載ってた」
「じゃあ早くそれを……」
七七は、口をキュッと閉じて、チラリと私を見る。どうしてか分からないけど、何故か言いたくなさそうだ。
「……知りたい?」
「当たり前だ」
放浪者はきつい口調で言葉を発する。七七はため息を一つ吐き、意を決したように口を開いた。
「───片想い」
一瞬、世界の時間が止まったかのように思えた。
「「…………は?」」
彼と私の疑問が重なる。思わず私も口を開いてしまったので、花弁が溢れる。どういうこと、と言いかけてまた口を押さえる。
「正式名称、『嘔吐中枢花被性疾患』。旅人、あなたは今片想いしてる。だから、花を吐いた」
───その瞬間、全てを悟った。私が今想いを寄せ、けれど伝えられていない相手。
「片想いって……彼女が誰かを好いているってこと?」
彼のいまいち確証を掴めていないような声が、ただ遠くに聞こえる。私だけが底の無い暗き深淵へ落ちて行くような、そんな絶望だけが心を支配する。
(そんなの、すぐ隣に……)
「放、浪者……」
震える声で、彼を呼ぶ。彼には聞こえていなかったようで、そのまま七七と回話を続けた。
「……それで、治し方は?」
「治し方は、単純。その想い人と両思いになればいい」
放浪者は真剣に、腕を組んで考え始める。ボソボソと聞こえてくるのは人名で、おそらく人選をしているのだろう。
(……だれが、私の好きな人なのか)
胸が苦しい。息がうまく出来ない。花弁が邪魔しているわけでもない。少なからずそれもあるのだろうけど、それ以上に精神的に辛い。
「……分からない。ねえ、君の好きな人は?」
「え、っと……」
ズバリと聞いてくる放浪者に、息が止まる。言うべきか、隠すべきなのか。
「放浪者、デリカシーないぞ」
「しょうがないだろう。これが一番手っ取り早い」
七七と放浪者が会話をしている。その様子を見ていると、また涙が溢れてくる。
こんな病気、酷いじゃないか。私は伝えたくもない想いを伝えないといけない。放浪者は優しいから、もしかしたらいいよ、と言ってくれるかもしれない。けどそれはこの病を治すためだけであり、私のことを愛しているわけではなくなる。
「……い」
「何? 誰だって?」
震える身体を両手で押さえ、声を荒らげる。
「言いたく、ない……!」
「……」
放浪者の顔に皺が寄る。ああ、その顔は嫌いなのに。紛れもない私が、その顔を作ってしまっていると思うと胸が痛む。
「…………分かったよ、君がそこまで言うならね」
彼はため息を吐き、腕を組んでこちらを見る。いつものようにきつい口調のままだけど、心なしか、呆れたような、諦めたような目をしていた。
「でも、そうすると僕は君の役に立つことができない。協力者が居ないのは、君が困るんじゃない?」
「…………いい、の」
彼の袖を掴み、ゆっくりと首を振る。そんな私の額を、彼はデコピンした。
「いっ……!」
今まで口を窄めていたのも今の衝撃で口が開く。その拍子で花弁が床に溢れる。
「放、浪者……!? 迷惑かかるじゃん……!」
慌てて席を立ち、花弁を拾い集める。無言のままその作業を手伝い始める放浪者に、頭が混乱する。
(なんで……?)
すると七七が、驚いて声を上げた。
「どうしたの、七七……」
「思い出した。人間がその花に触ると感染するんだけど……遅かった……」
ひらり、と放浪者の手から花弁が溢れる。あまりの突然さに、彼も動揺したのだろう。
「……言うのが遅くない? 今も触ったし、なんならさっきも……」
「……でも、発病してないみたい」
たしかに、至って放浪者は元気だ。と言うかよく考えれば彼が風邪を引いたり体調が悪くなったところも見たことがない。
「七七も、キョンシーだから大丈夫かもしれない。……触らないけど」
「……じゃあ、僕は感染しないことが確認できた。───なら尚更、君に協力する口実ができたね」
放浪者は腕を組み、にやりと意地悪く笑う。ああ、もう逃げられないようだ。
(でも、言いたくないな……)
彼が善意で私に協力してくれるのは十分に分かっている。それでも、今の私にはこの気持ちを伝えられる勇気がなかった。
「…………ごめん」
「何に謝っているの? 僕はただ、君の力…になりたいだけで……」
この「ごめん」は多分、次の言葉に対してだ。
「分から、ないの」
「何が?」
───分かっている。あなたはいつも、厳しい言葉の割には、優しそうな声色で話してくれることを。
───知っている。あなたがいつも、危なっかしいからと私たちを見守ってくれていることを。
そんなあなたに、恋をした私を許してください。
「……誰が好きな人なのか、分からない」
嘘を吐くことを、許してください。
「…………そう」
放浪者は少し目を見開き、ゆっくりと目を閉じた。もう何も聞かないかのように、そっぽを向いた。
「じゃあ、早く探さないとね」
「………………え?」
さも当然、と言い放つ放浪者。
「誰に聞くのがいいだろうね。各国をよく知る者は……やはり、七神か。今までに行ってない国だとは考えづらい……」
「ま、ま、待って!?」
完全なる善意は、時に凶器となり得る。次々と推理を進めて行く放浪者の袖を引き、それをやめてもらうように念じる。もちろんそんな思いが通じるはずもなく、また花弁を吐き出す。
「うぐっ……」
「君っ……!」
放浪者は私の背中を撫で、幾分か楽にしてくれる。呼吸を整え、その花弁を拾い集める。
「いいよ、別に……放浪者に迷惑、かけたくないし」
「……その病気は、僕に迷惑がかかるわけじゃない。いや、その症状が長引くと周りに迷惑がかかるってこと、分からないの?」
彼の言葉はごもっともだ。反論さえ見つからない。それでも、この想いを隠したい。伝えたくない。だって伝えたら、きっと嫌われるから。
「一人で探すよ」
きっと、一生治らない。けど、少しくらいの慣れも必要だ。だから、彼の助けは必要ない。
「…………はあ、僕がここまで善意で動いてあげてるのに、それを蔑ろにするんだ」
棘の入った言葉に項垂れる。しかしこうしてずっと議論を続けていても平行線である。このままでは水掛け論になることは目に見えた。
「何を隠しているかはわからないけど、それは僕にも言えないようなこと? 君の知り合いの中で、お兄さんとちっこいのの次くらいには関係が深いと思うんだけど」
確かに、今思えば私もわかりやすかったのかもしれない。少し大変な依頼のたびに、放浪者の手を借りていた。何かと理由をつけて彼と居た過去の私は、それで満足していた。しかし今となっては、それで済まなくなってしまった。
「……」
「ほら、口から溢れてるよ」
その細い指で、私の口から一枚一枚花びらを取る。優しく微笑んでは、たまに頭を撫でてくれる。
「ぅ……」