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    桜道明寺

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    桜道明寺

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    裁判の打ち上げをする弁護士💚と警官💜

    「諦聴! こっち、こっち!」
     仕切られた個室から半身を乗り出して玄离が手招く。
     週末の居酒屋は盛況で、引き戸で区切られた部屋のあちこちから酔漢の立てる物音が聞こえてくる。笑い声や食器が鳴る音、話し声が高いのは、かなり酔いが回っている証拠だ。私はその喧騒をすり抜けるようにして、目当ての部屋に入った。
     小さな部屋の中央には四人がけのテーブルが据えられていて、入り口に近い方の椅子に玄离が座っている。私は窓を背に向かいあう椅子を引いて腰を下ろし、隣の椅子に鞄を置いた。スラックスのポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭う。まだ五月の半ばだというのに、梅雨のようなじっとりと蒸し暑い日々が続いていた。
    「お疲れ。ビールでいいか?」
    「ああ」
     玄离がテーブルの端にあるタブレットを手に取って指を滑らせる。この店は各部屋一台ずつ配置されているタブレットがメニュー兼注文の役割を果たしている。今時と言うか、いちいち店員を呼んでやりとりをする手間が省けて効率的だし、メニューもその都度選べて非常に便利だ。
    「適当に注文しちまうけど、なんか食いたいもんとかある?」
     希望を訊かれたので、任せると答えた。
     すぐにジョッキになみなみと注がれたビールが運ばれてきたので、互いに手にとって乾杯した。ガラスが白くなるほど冷やされたビールはキンとキレがあり、強い炭酸が気持ちよく喉を滑り落ちていく。
    「っはー、うめぇ」
    「美味いな」
     一気に半分ほど飲み干して息を吐く。今日は午後の仕事が忙しく茶を飲む暇も無かったので、文字通り生き返ったような心地だ。
     お通しの枝豆を口に運びながら、それにしてもありがとな、と玄离が言う。
    「礼を言われる覚えはない。私は私の仕事をしたまでだ」
     うっすらと産毛の生えた莢を指で押す。つるりと出てきた豆のつややかな緑が目に鮮やかだった。噛めばわずかな塩気と素朴な旨味が空腹の舌に染みた。時期にはまだ早いはずだが新鮮で美味い豆だ。あっという間にひとつ食べ終え、口直しにビールをもう一口飲んだ。
    「そうかも知れないけど、やっぱり一言礼が言いたくてさ。おっちゃんが執行猶予取れたのも、お前のおかげだし」
     おっちゃん、と言うのは、先日私が弁護した林と言う老人のことだ。川岸に住んでいるホームレスで、身寄りは居ない。罪状は傷害。支援団体の男と言い争いになり、結果、頭部に全治一ヶ月の怪我を負わせた。財産はないため示談が成立せず、刑事事件となったが、咄嗟の犯行で本人に悪意がなく、前科・酒気帯び・薬物反応のいずれもなし、そして何より、被害者側から減刑を求める声が上がったため、裁判は揉めることなく執行猶予がついて無事終了した。
    「私がいけなかったんです。良い話だからと言って、林さんに無理を強いてしまった。社会復帰を薦めるにしても、本人の意思を尊重しなければならなかったのに」
     被害者は病院のベッドの上で、どうか寛大な措置をお願いします、と警察に深く頭を下げたと言う。
    「検察も被害者の心情を汲んで強くは追求してこなかった。なるべくしてなった結果だ」
    「それはそうかも知れないけどさ、俺、ホッとしたんだ。お前が担当弁護士だって聞いて」
     そう。そうなのだが、実はたまたまその日が私の当番だったと言うだけなのだ。弁護士には当番制度があり、依頼があれば初回は無料で接見ができる。待機している私の元に入った連絡、それが玄离の言うところのおっちゃん――林老人だったのだ。
     警察官である玄离は林老人を始め、管轄内でホームレスをしている人々を以前から見知っていて、パトロールのたびに声をかけたり、時には密かに差し入れなどを行ったりしていた。そんなある日、林老人が支援団体の男と自立を巡って河原で口論となり、カッとなって突き飛ばしたところに運悪く大きな岩があったものだから、事態は傷害事件にまで発展してしまった。通報を受けていち早く現着した玄离に、老人はとんでもないことをしてしまったと涙ながらに語ったと言う。
    「普段は虫も殺せないような気のいいおっちゃんなんだけど、あの日はたまたま虫の居所が悪かったみたいでさ。でもすぐ我に返ったみたいで、俺が着いた時は死人みたいな顔色でぶるぶる震えてたよ」
     失礼します、と引き戸が開いて、店員が入ってくる。後ろに控えたワゴンから、湯気の立つ皿が次々とテーブルの上に置かれた。
     一気に賑やかになったテーブルの上を、しばし箸が行き交う。タブレットで二杯目のビールを頼み、それに軽く口をつけてから言った。
    「それにしても、お前にも立場ってものがあるだろう。ホームレスに深入りすることは、あまり良くないのじゃないのか」
    「うーん、それはそうなんだけどさ。やっぱり、放っておけなくて」
     けろりとした顔で言う。傍若無人な癖に、弱者には優しいのだ、この男は。
    「まあ、おっちゃんも被害者の気持ちを汲んで前向きに検討するみたいだし、良い方に進めばいいなって思ってるよ。今回はすれ違いからこんなことになっちまったけど、元々は互いに悪く思ってる訳じゃないから」
     ホームレスは社会全体の問題だ。一個人が心を砕いたからと言って、どうこうなる問題ではない。けれど、それを知っていてなお、この男はこれからも手を差し伸べ続けるのだろう。公人という枠の中で、彼らの立場がこれ以上悪くならないように。
     弁護士は信の仕事であると言う。依頼人を信頼し、その内側にある真理を詳らかにする。場合によっては、依頼人と最後まで信頼関係を築けないことだってある。それに遣る瀬無さを覚えるほど繊細ではないが、それでもこの男のように生きていけたらと思う。まあ、本人の前では死んでも言わないが。
     玄离は既に三杯目のビールを飲み干していた。さすがに酔いが回ったのか、幾分かとろんとした目をしている。
    「今日の酒は特に美味いなあ」
     気持ち良さげな顔で、嬉しそうに言う。我々の仕事が警官である限り、また弁護士である限り、時に黒く苦い水も飲み下さねばならない。
     それでも今夜だけは、共にささやかな喜びと安堵を享受していたい。
     我ながららしくないと思いながら、残り少なくなったジョッキを傾ける。
     照明に映える美しい金色は苦いのに、どこか甘いような後味がした。
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