のろいのおんがくかの慌ただしい午後 作曲は、インスピレーションが大事だ。
士気を鼓舞する歌詞にぴったりの旋律と、それを引き立てる伴奏をつけるイメージを持つ。ピアノの鍵盤に指を置くと、水のように音が渾々と湧き出てくる。
その一音も零さないように、今度はペンをとって書き留める。
譜面台に置いた五線譜に、休む間もなく手を動かして。
「……完成したな」
できあがったばかりの譜面を持ち、オレは椅子から立ち上がった。その足でアトリエを後にし、作品を依頼者に持っていく。
地下深くにある悪魔教会の扉をノックする。月明かりが柔らかく差し込む教会内に、ギィと扉の開く音が響く。
来客に気づいたのだろう、通路に置かれた棺桶の前にしゃがんでいたあくましゅうどうし様が、すっと立って振り返った。
「ああ、のろいのおんがくか。頼んでいた軍歌ができたのかな?」
「はい、新作ができましたので、確認をお願いします」
譜面を渡し、念のため通信玉に録音したものを聞かせると、あくましゅうどうし様は微笑みを浮かべて頷いた。
「うん、よい曲だね。これで式典に華を添えられる。魔王様の威光を皆にアピールできそうだ」
穏やかな口調だが、部下の仕事を認め、心から魔王様を慕い、敬い、尊ぶ。こういう姿を見ると、魔王城参謀役の理想像だなと思う。
「ありがとうございます。では、オレはこれで」
褒められたことへの感謝を伝え、オレはあくましゅうどうし様に一礼した。そのまま向きを変え、悪魔教会を後にする。
―ウチの上司は、あの姫のこととなると無様に心を乱しているが、仕事では異なる一面を見せる。たまにミスもするが、それをカバーするだけの経験を積んでいて非常に頼りになる。
マルチな才能を持つオレも勤続年数の割には頼られていると思うが、あくましゅうどうし様のそれとは比べものにならない。
いつかオレも、魔王様に全幅の信頼を寄せられるほどの存在になりたいものだ。
でも、過去に飛んだときのような扱いはナシで。アレは負担が大きすぎる。魔王様の辛気臭い顔を見るのは、もう懲り懲りだ。
悪魔教会から出たオレは、アトリエに戻ろうとしたものの、唐突に空腹感を覚えた。時計を見ると、昼食の時間はもうとっくに過ぎていた。
部屋に戻って何か作ろうかと考えをめぐらせたが、さっとメニューが浮かばない。仕方ない、今日は食堂で気楽に済ませることにする。
食堂へ赴くと、集客のピークはすっかり過ぎていて、席についている者はまばらだった。
だが、端の方に目を向けると、夏限定の冷気の出るホリ=ゴ・ターツに入り、雑誌を読んでいる姫の姿があった。
邪魔しないでおこうと思ったが、タイミングがいいのか悪いのか、近くを通り過ぎるときにたまたま姫は雑誌から目を離し、オレに気づいたようだ。
「あ、鳥ボーイ。元気?」
こちらを気遣う言葉とは裏腹に、いつも通りと言ってはなんだが、姫はあまり興味のなさそうな顔を向けている。まぁ姫の通常運転だ。だが、オレはそのけだるそうな表情よりも、ちらりと目に入ってしまった、姫が手にしている雑誌のタイトルに引き寄せられてしまった。
色遣いが鮮やかな表紙には、デカデカと『魔界マガジン増刊 魔界★名言集~耳元で囁いてほしい100の言葉~』と書いてある。
またよくわからない読み物を。城内の売店か城下町で入手したのか、それとも誰かから借りたのか。なんでもいいが、それはどんな代物なのか。
「姫、その雑誌おもしろいの?」
ついうっかり声に出てしまった。取り繕おうとしたが、姫は怪訝な顔をこちらに向けている。
「おもしろいところもあるけれど。例えばここ」
あまりおもしろいと感じているようには見えないが、姫はペラリとめくって、見開きのページをオレの前に差し出した。そこには、読者の興味関心を盛り上げるようなレイアウトで文言が踊っていた。
『世界をあげる系名言集☆No.1 もし私の味方になったら、世界の半分を君にあげる』
「これって、どういう場面で使う言葉だろうね?」
小首をかしげる姫に、オレはふっと笑いが込み上げた。この言葉を知らないなんて。
「ああ、これは有名なゲームの一場面だね。敵がプレイヤーを惑わすために言うセリフだよ。うっかり提案に乗ったら悲惨な結末が来るけれど、跳ねのけるのが醍醐味かな」
「……君、詳しいね」
オレを見上げる姫の瞳がらんらんと輝いている。しまった。余計なことを言って、姫の好奇心を刺激してしまった。
「じゃあ、これは?」
姫は次のページをめくり、再びオレの前に差し出す。
『世界をあげる系名言集☆No.2 俺の世界を半分あげるから、おまえの世界を半分くれ』
ご丁寧にも、長い髪を束ねた男性がサラサラロングヘアの女性と向き合うイラストが載っている。
「これは有名な物語の最後の求婚場面では? さっきの言葉とはひどく違うテイストだね」
「きゅうこん?」
「プロポーズだよ、姫」
はぁ、と気のない返事をし、姫はページを眺める。そして何枚かめくると三たび雑誌を差し出し、短く言った。
「これと何が違うの?」
腑に落ちないような様子の姫が寄こしたページには、双角を持つ魔族のイラストを添え、一面にこう書かれていた。
『魔王様に言われたい系名言集☆No.1 我輩とともに、新しい世界をつくってはくれぬだろうか』
「ハァ!? ちょっと見せて!」
オレは反射的に、姫が持っている雑誌をつかみ取った。素早くめくって確認すると、『魔王様に言われたい系名言集』はNo.5まであり、どれも目を覆うような求愛シーンばかりだった。
「……これ、魔王様に見せないでね、姫」
抑えた低い声で念を押すと、姫はコクコクと頷く。オレはさらに怪しい言葉がないか、前後のページをめくってざっと確認する。
あった。やっぱり見つけてしまった。
「『旅の勇者に言われたい系名言集☆No.1 あなたをお慕いしています! 私と結婚してくれませんか?』……姫、このページも読んだの?」
「まだだったけど、今聞いた。それ、言われたいの?」
「というか、誰が編集したんだこんな雑誌ー!!」
姫に雑誌を返却すると、オレは発行元を呪いたくなった。まともそうなのは最初だけで、姉さんみたいな恋バナ好きの女子の妄想から飛び出したような内容じゃないか。
魔王様の件は、上層部に言って出版差し止めも検討したほうがよいかもしれない。後であくましゅうどうし様に相談してみよう。
片づけなければならない仕事もできて、昼食を注文するべく立ち去ろうとした矢先に。
「ねぇ鳥ボーイ。このページって……」
懲りずにパラパラと雑誌をめくっていた姫が、またもや差し出して見せてきた箇所に、オレは釘付けになった。
『魔王軍の参謀に言われたい系名言集☆No.1 あなたの背負っているものを私に背負わせてください』
先ほどの見開きとは違い、小さな扱いのものだった。誰とは書いていない。特段目立つイラストもない。けれども、はっきりと声をつけることができる。あの、一聴すると穏やかだが、その底に主への忠誠心や慈愛、庇護愛などの熱を隠し持つ声が。
「これって、誰を想定して書かれたと思う?」
声がいつもより低い。恐る恐る姫の顔を見る。目が据わっている。
「えっと……」
「No.2 私がずっとあなたのおそばにいます。
No.3 私があなた専属のヒーラーとなって、あなたを癒し続けます。
No.4 私とともに、長き生を歩んでくれませんか」
姫は滔々と読み上げる。まったく感情のない声が、余計に戦慄を呼ぶ。
「No.5 もし許されるのならば、あなたを永遠に愛し続けます」
文章を読む声が止まる。ここで名言集は終わったらしい。
「……ひとの気持ちを勝手に憶測して、決めつけて」
姫は雑誌を大きく開き、間に顔を埋めた。心なしか全身が小刻みに震えている。
「本人が言っていないのにまとめないで」
バリバリバリと、背表紙が裂ける音がして、あっという間に雑誌が真っ二つになった。姫は二つに分かれた誌面を重ね、さらに縦に切り裂いた。
渾身の力をかけられて破られた紙は、無残にもバラバラになって床に落ちていった。
「……姫、雑誌がめちゃくちゃだよ」
オレが小さくつぶやくと、姫はにやりと笑って左手の親指を上に向けた。
「お掃除隊を呼ばないとね。鳥ボーイよろしく」
「ちょっと! 自分で片づけてよ!!」
もはや用をなさない紙を投げ捨て、さっぱりした顔ですたすたとその場を立ち去る姫を、オレは慌てて呼び止める。しかし、瞬く間に姫は行ってしまった。なんて逃げ足の早い。
元・雑誌だったものをひとつ拾ってみると、驚くほど鋭利に裂かれていた。はさみまものの二つ名を彷彿とさせる所業に、ある意味感心したが今ひとつ納得できなかった。
普通、そこまで怒るか……?
オレはぐるぐる考える。オレが魔王様についての創作物を読んで焦ったのは、預かり知れないところで勝手に名前を出されたらイメージが崩れると危惧しただけであって。でも姫の怒りは、あくましゅうどうし様のイメージが崩れるから怒ったわけではなくて。むしろ勝手に会話を想像して話題にしたことで怒っていて……。
―勘のいいオレは、この姫の感情に思い当たった。
つまりは「たとえ妄想でも、思いのうちを誰かに言ってほしくない」ってことか。おそらくは「私以外」に。
なんだ、姫にも脈があるじゃないか。
結局、姫がバラバラにした雑誌の後片付けをしていたら、さらに昼食が遅れてしまった。
早めの夕食を注文する者すら現れた食堂で、ひとりテーブルについて食事をとりながら、オレは取り留めもなく考えてみた。
姫は勝手に憶測するなって言ってたけれど。きっと、今のあのひとなら姫にこう言うんじゃないかな。
日頃の功績を加味して、少しくらい自分の気持ちを言ってもいいんじゃない?っていうオレの願望も入った、あくまでも勝手な憶測だけど。
「どこにいても姫の幸せを祈っているよ。でも、もし許されるのなら、姫の隣にいたい」
って。