ダブルデートは突然に「サンドラよ、今日は魔王城の外に行くから、着いてくるのじゃ」
本日は仕事が休みだ。
お嬢ルームの中に作った自室で、クーロン島時代から愛用している芋ジャージのままゴロゴロしていると、隣の部屋からお嬢が顔を出した。
「え? 今日ですか。どうしたんですか。 一体どこに出かけるんです?」
「城下町じゃ。栖夜と会う」
もはや人質の姫が自由に外出していても、誰も何も言わなくなっている。
「それにどうして私が?」
「タ、タソガレの話を聞くのじゃが、どうしても恥ずかしくて一人で聞けんのじゃ!! それでサンドラについてきてほしくて!!!」
語気を強めながら、お嬢は頬を赤く染める。かわいすぎる。
だが……。
複雑だ。
その話を聞くのに私を連れていく!? あの姫に何かをこじ開けられた私を!!
かわいいお嬢とデリカシーのない姫を目の前にして、私は自分を抑えられるのだろうか??
でも……。
「はい、わかりました。準備しますから、少し時間をください」
動揺してずり落ちた眼鏡を直しながら返事をする。多少醜態を晒すことを覚悟しても、やっぱりお嬢には逆らえない。
「ありがとう、サンドラ」
お嬢は満面の笑みを浮かべて、自室へと姿を消した。
……そんなうれしそうな顔を見せられたら、何も言えなくなってしまうじゃないですか。
以前、皆の怠惰ゆえに魔王城が倒れたとき、DIYモンスター(姫)が敏腕をふるい、城の近くに町を整えた。今ではおしゃれな場所として雑誌で特集されるなど、魔界中で話題となっている。
さて、何を着ていこうか。あれやこれやと思案したものの、結局いつも着ている服に着替える。動きやすい服が一番だ。
あと、不本意だが割ってしまうだろう眼鏡のストックも、大量に用意して鞄に詰める。
「お嬢、準備できましたよ」
「うむ」
呼ばれて顔を出したお嬢も、いつもの格好だ。少し異なるのは、小さなショルダーバッグを肩にかけているところか。
お嬢は私の足先から頭の触覚まで目を遣り、服装が整っていることを確認したのか、
「ちゃんと着替えは済んだようじゃな。では行くか」
と、すっと窓から飛び出していった。その迅速な動きに、私は慌てふためく。
「あっ、お嬢、待ってください!」
まるで鉄砲玉だ。気を抜くと置いていかれそうだ。着いてきて、と言った割にひとり突っ走っていくのがお嬢らしい。
決して見失わないように、私は全速力で追いかけた。
上空から眺めてみると、城下町は創建当初よりもかなり店が増え、たくさんの魔物が所狭しと歩いていた。人気があるのは本当らしい。
「おった、栖夜ー!」
賑わいの中に姫を見つけたのか、お嬢が町の入口にすとんと降り立つ。当初の遅れを取り戻し、お嬢と並んで飛んできた私も、続いて下りる。
「あっ、お嬢! 砂風呂くんも!」
どこから現れたのか、人質の姫が手を振って駆け寄ってきた。いつも着ているパジャマや、砂風呂にやってくるときのジャージ姿ではなく、身軽な旅装束姿だ。なんとなく見慣れない。
それだけではない。
一瞥して気づく。姫の傍らに誰かいる。
質のよさそうなジャケットを羽織り、ストールを巻いた、細身の男。
あれは、見間違いでなければ。
「お嬢、こちらレオくん。ほとんど話したことなかったでしょ」
「こんにちは。君のことは姫からよく聞いているよ」
少しはにかみながら、穏やかに話す男は、見慣れた同僚だった。魔王城に古くから仕える悪魔。魔王様の側近、あくましゅうどうし。
ただ、纏う空気が全然違っていた。いつもは聖職者の笑みを湛えているが、いや笑ってはいるのだけど、なんというか、完全プライベートの顔、といった感がする。
「おお、そなたが『レオくん』か。栖夜からよく聞いておるぞ! 今日はいろいろと頼むのじゃ」
前から知っている人に会ったかのように、お嬢はうれしそうだ。
「じゃあ、さっそく城下町の中に入ろうよ! スイーツを出すお店をタソガレくんに頼んで作ってもらったの!」
珍しくはしゃいだ様子の姫。目的地に案内してくれるのか、城下町の中心部を指さして、
「早く行こうよ!」
と足取り軽く歩き出した。
とてもさりげなく寄り添っている同僚と、何やら楽しそうに話しながら。
あれ?
いろいろとおかしい。
そもそも。今日は、姫から魔王様の話を聞くはずでは? 魔王様のお世話係がいるということは、あの人から話を聞くということ?
お嬢、言葉足らずですよ!
そして、前を行くあのふたり、魔王城の中にいるときよりも距離が近すぎじゃないですかね!?
逃げ回る男と追いかける姫のイメージしかない私は、ふたりが並んで歩いているという、わが目を疑う状況に混乱していますよ!!
「おーい、サンドラよ。何をしておるのじゃ。遅れるぞ」
情報処理が追いついていない私に、先に歩いていたはずのお嬢の声が近づいてくる。
「ほらほら、突っ立ってないで行くのじゃ」
「えっ!?」
不意に、お嬢が私の腕をぎゅっと掴む。抵抗できない私は、そのまま引きずられる形で町の中に進むことになってしまった。
触れているお嬢の手があたたかい。ふわりとした髪が揺れて、いい匂いが漂ってくる。
パリン。
本日1回目の眼鏡が割れた。
「えっとー、私は魔ほうじ茶におはぎをつけようかなー。レオくんは?」
「私は魔玄米茶にするよ。寒天フルーツゼリーもおいしそうだね」
「そっか、頼むなら一口ちょうだい。お嬢は何にする? タソガレくんこだわりのこしあんスイーツがおすすめだよ」
「そ、そうか! うむ、わしも栖夜と同じ、魔ほうじ茶におはぎにするのじゃ」
「砂風呂くんは?」
「わ、私はクーロン茶のホットに杏仁豆腐を」
姫に先導されてやってきたのは、城下町の一角にある甘味店。
行き慣れているのか、全て把握済みといったような姫は流れるように全員分の注文を終え、テラスにある4人掛けのテーブル席に近づく。
お嬢は姫と向かい合わせに座り、私はお嬢の隣に、姫の隣に同僚が腰を下ろした。
店内を見回すと、カップルが多いようだ。ふたりだけの世界に浸っている様子が、傍から見てもわかる。
ふっと気づく。
な、なんというか、4人で同じテーブルを囲んでいると……。
仲良しの女の子ふたりが、それぞれの彼氏を連れてきたような、ダブルデート的なものに見えないだろうか……?
「で、お嬢。タソガレくんのことだっけ? レオくんを呼んだから何でも答えられると思うよ」
運ばれてきたおはぎをほおばりながら、姫が話を切り出す。
そうだ、今日の本題は魔王様について聞くことだった。
デートという言葉にときめいた心は、現実に戻されてあっけなくしぼむ。
「そ、そうじゃ、が……、え、えっと……」
途端に言葉に詰まるお嬢。
……いつもの勢いはどうしたんですか!?
もじもじしたお嬢は、私の服の袖を掴んで引っ張り、
「サ、サンドラ……」
と、助けを求めるかのように、横目で見つめてきた。
頬が赤い。かわいい。正直かわいすぎる。
パリン。
眼鏡のレンズが欠けたが、すぐさま取り替えて何とか堪える。
ここは、お嬢に助け舟を出さなければ。だが……。
「え、えっと……好きな食べ物とかは……」
絞り出した質問は、非常にありきたりのものになってしまった。
「そんなのレオくんが答えるまでもなく、私でも知ってるよ。レオくんがつくるおはぎだよ!」
姫が間髪入れずに答える。
「本当においしいんだから! あ、このお店のおはぎもおいしいけれど、明日はレオくんのおはぎが食べたいな」
「そっか、それじゃあ魔あずきがまだ残っているから作っておくね」
「ありがとー」
明日の約束をしながら、ニコニコと見つめ合うふたり。
……私は何を見せつけられているだろうか?
バリン。
またレンズを粉々にしてしまった。おずおずとスペアを取り出す。
今、流れるように、いろんな意味で甘い会話を聞いた気がする。
お嬢のかわいさに精神疲労が激しい中、このふたりのイチャイチャは、じわじわと身体を蝕む毒のように効いてくる。
「サンドラ、どうしたのじゃ? 何か気に食わぬことがあったかの?」
お嬢が私の顔を覗き込む。先ほどの照れからか、少し瞳が潤んでいるように見えるお嬢と目が合う。
ち、近い。かわいい。でも、心配させてはいけない。
平静を装い、手に取ったままだった眼鏡をすっとかける。
「い、いえ、大丈夫です」
落ち着こうと、さっき運ばれてきた杏仁豆腐を口に運ぶ。舌の上に乗せると、ふわりととろけて喉を通っていく。後味はさっぱりしていて、私好みだ。湯気が出ているクーロン茶を一口飲むと、気持ちがほぐれていく気がする。
「この杏仁豆腐とクーロン茶は上品なお味ですね」
ひとりごとのように甘味の感想を言い表す。うん、もう大丈夫。何が起ころうとも、平常心で対処してみせる。
しかしなぜか姫は、私の眼鏡をじっと見つめている。
「そういえば砂風呂くんの眼鏡、たくさんあるよねぇ」
今度は、着席してからずっと微笑んでいる同僚のほうを向く。
「レオくんも眼鏡たくさんほしい? また一緒に買いにいく?」
「うーん、私はひとつでいいかな。ありがとう、姫」
「そっかぁ、残念。また一緒にお出かけできると思ったのに」
「そ、そうかな? ……じゃあ今度はサングラスでも買いにいこうか? 」
「いいね、それ!」
バキバキッ。
盛大にフレームごと壊してしまった上に、バサバサと砂も出てくる。
……いろいろ言いたい。まずは、私の眼鏡を発端としてふたりの世界を繰り広げないでほしいし、姫が『一緒に』と二度も言ったのは一体何のアピール!?
しれっと次のデートの約束もしているし、なんかもうお付き合いされてるんですかね!? 必死でお嬢への想いを抑えようとしている私への当てつけのように見えるんですが!!
「サンドラ! おぬし砂が出とるぞ!」
先ほど食した杏仁豆腐よりもベタベタに甘いふたりに、我慢ならない私の様子に気づいたお嬢が、なぜか血相を変えて近寄ってきた。
「すまんかった、わしが甘えたばっかりに、おぬしの機嫌を損ねてしまって」
どうやら誤解させてしまったらしい。けれど、謝る顔もかわいい。かわいすぎる。そんな憂いを帯びた目で迫ってくると、よりいっそう砂が……!
「いや、ちが……! お嬢は悪くないです!」
あたふたと弁明していると、にやりと笑った不気味な姫の姿が目に入った。
嫌な予感がする。
「ふーん。そんなにくっついているなんて、お嬢と砂風呂くんは、とってもなかよしさんなんだね」
なっ……! 何を言い出すんですか、この姫は!!
「な、なかよし!?」
目の前にあったお嬢の顔が、ぱっと姫のほうに向いた。声が上ずっている。
「栖夜の言う『なかよし』って、確か……。い、いや、サンドラは、幼いときから一緒に過ごした仲で……」
何やら言い訳のように聞こえる。少し照れているようで、ちょっと意外な反応だ。
「いいねぇ、幼なじみ。私にはそんな思い出がないから、大切にしてほしいな」
そう言うと、姫は魔ほうじ茶をすする。
確か、姫は勇者と幼なじみだったと思うが。ふっと同僚から黒い影が出たような気もしたが、深くは考えないことにする。
「そ、そうかのぅ……」
お嬢は、まだ声に動揺が見て取れる。
なかよし、という言葉に反応しすぎだとは思うが、もしかすると、少しは私を意識してくれたのだろうか? だとすると、この叶わなそうな私の思慕にも、少しは望みがあるのだろうか。
……本当にこの姫は。いつの間にか私とお嬢を近づけてくれる、縁結びの神様のようなお人ですね……。
結局、魔王様についてはあまり話さないまま、スイーツを心ゆくまで堪能した。姫が寒天フルーツゼリーの「あーん」をねだる姿を見せつけられたが、先ほどの功に免じて許すことにする。
会計を済ませて甘味店を出た後、まだ回るところがあると言う姫と同僚に別れを告げる。
名残惜しいのか、お嬢と姫の話が弾む。邪魔をしないように少し離れたところに立っていると、
「あ、サンドドラゴンくんちょっと」
と、同僚から手招きされた。名前を呼ばれるのは、今日初めてのことだ。
「な、何かありましたか……?」
恐る恐る尋ねると、仕事でよく見るあくましゅうどうしとしての笑顔を浮かべて、同僚が小声で話す。
「一応注意しておくけれど、彼女の不法滞在は見逃してあげるから、あまり無茶なことはしないようにね」
「!! 気づいていましたか……」
「まぁ、あれだけ姫が話しているとねぇ。でも、姫が楽しそうだからよしとするよ」
同僚は姫に目を遣り、愛おしげにふふっと笑う。
「君も何かと大変だろうけど、陰ながら応援しているよ」
「えっ、それってどういう……」
「レオくん行くよー」
聞き返そうとしたが、タイミング悪く、お嬢と姫のおしゃべりが終わったようだ。
「わかったよ、姫。じゃあサンドドラゴンくん、また明日ね」
意味深な言葉を残し、にこやかに同僚は離れていった。
ふたりが雑踏に消えた後、私とお嬢は城へ戻るために、人気の少ない当初降りた場所まで戻ってきた。
お嬢はかつてないほどご機嫌で、声も弾んでいる。
「タソガレの話は全然聞けなかったが、とっても楽しかったのじゃ。あと、栖夜とレオくんは、本当にいい感じじゃのー」
「ええ、なかよしすぎて、ちょっと引きましたよ……」
率直な感想を漏らす。明日から普通に接することができるだろうか。
「なかよし、か」
声を低めて、お嬢がつぶやく。
「栖夜の言う『なかよし』は、たぶん普通のなかよしとはちょっと違うからの……」
「……え?」
「いいや、なんでもない。とにかく今日は楽しかった! サンドラ、帰るぞ」
そう言って再び曇りのない笑顔を浮かべたお嬢は、またもや鉄砲玉のように飛んでいった……かと思った。だが、今回はちょっと浮かんだところでとまって、私を待っていてくれる。
「はい、お嬢」
ほんの少しでもいい。わずかな変化にうれしく感じる私は、お嬢の隣に進んでいった。
余談ながら。
その夜、ぼんやりと窓の外を眺めていると、お姫様抱っこをして空を飛ぶ悪魔が遠くに見えたような気がした。
次の日の十傑会議は、あろうことか姫も参加し、てんやわんやになった。かの同僚は、いつも通り姫に困らされ、甘い会話などどこにもなかった。
結局、どこまで進んだふたりなのかはわからない。いつか尻尾を出してほしいものだが。
相変わらず魔王城で過ごすお嬢は、何か気になるものがあるらしく、また城下町に行きたいと事あるごとにねだってくる。
今度はふたりきりだろうか。そうだったらいいのに……。
一度こじ開けられた想いは、なかなか強欲にさせるなと思いつつ、今日も私はお嬢に話しかけられるのを待っている。