即位の前、サンマリーノにて 王族からの正式な手紙というのを初めて見た。
レイドックの兵士と文官らしき男がうちの家にわざわざやってきて、ハッサン殿へお渡しいたします、とオレに直接、うやうやしく差し出してきたその手紙の宛名には、ずいぶん立派な、いっそ大げさなほど仰々しい字で、確かにオレの名前が書かれている。
オレは物珍しさから、受け取ったその手紙を何度もひっくり返し、ためつすがめつ、まじまじと見てしまった。
差出人の名はレックだった。
レックから手紙をもらうのは初めてじゃない。旅の最中に恋人同士になって、そして、デスタムーアを倒して旅を終えてから今まで、なかなか思うようには会えない日々を過ごしながら、何度も手紙のやりとりをした。
でもいつもは商人に頼んでいたし、何より、こんなに上等そうな封筒を使っていたり、レック自身の名前の周りに、国名やら、王子の称号やらが書かれていたり、レイドックの国の紋章が押されたりして、しかも封蝋までついた手紙なんか、今まで一度も受け取ったことがなかった。
「……何の手紙なんだ、これ」
オレが思わずそう問うと、レイドックからやってきた文官はにこりと笑ってこう答えた。
「レック王子様が王位に就かれる即位式、及び戴冠式の招待状でございます。かつての仲間の皆様には是非来ていただきたいとの王子様のご意向で、皆様にお渡しに参っている次第でして」
それを聞いて、オレの傍らで一体何事かとなりゆきを見守っていたらしい親父とおふくろが騒ぎ出す。
「あっ、あんた、聞いたかい!? あのレックさんがとうとう」
「王様になっちまうのか!? そりゃあめでてえ話じゃねえか、おいハッサン、レックさんに会ったらちゃんとおめでとうございますって伝えてくれよ」
「あーっもう、わかったよ! うるせえな!」
なぜか手紙を受け取った張本人のオレより盛り上がっている親父とおふくろに思わずそう叫んでから、オレはレイドックの使者に向き直る。
「すまねえな、わざわざ届けてもらって。……必ず行くって、レックにそう伝えといてもらえたら」
「はっ、お返事、確かに承りました。きっとお喜びになられることと存じます」
そう言うと、突然やってきたその2人はこちらに深くお辞儀をし、それでは、と言って早々に去っていった。きっと、他の皆にも手紙を配りに行くんだろう。レイドックの城からは、オレがいるサンマリーノが一番近いだろうから、もしかしたら、この招待状を受け取ったのは、仲間内ではオレが1番かもしれない。
「どうしよう、即位のお祝いに何かお贈りした方がいいかね? でも王様になるような方に一体何を贈ればいいんだろうね」
「うーん……? レックさんが好きそうなもの、とかか……? でも王様になるってんだから、中途半端なモンじゃ逆に失礼じゃねえのか? そうだハッサン、お前何か思いつかねえか」
「ああ、そうだよ! ハッサン、何か知らないかい? あんた、レックさんと今でも仲良いんだろ? たまに一緒に出掛けてるしさ」
いつになく興奮気味に話しかけてくる親父とおふくろにため息をつく。何をどう足掻いてもただの一庶民でしかないうちの両親からの祝いの品なんて、大国レイドックの王様になるレックに贈ったところで、困らせそうな気しかしない。まあ、あいつは人のいい奴だから、逆に、どんなものでも喜んでくれるかもしれねえけど。
「いや、わかんねえよ、そんなの…」
とオレが言うと、まだ興奮冷めやらぬといった風な親父とおふくろから文句を言われ、知らねえっつってんだろ、と思わずこっちも文句を垂れてしまう。
ダメだ、このままじゃ喧嘩になっちまう。
そう思ったオレは、ちょっとそのへん散歩してくらあ、と言って、家を飛び出した。
さっき渡されたばかりの、立派な手紙を見ながら、通りを歩く。港の桟橋のあたりに着いてから、しばらく迷った末に、意を決して、封蝋を砕いて手紙の封を開けた。
中に入っていたのは、外の封筒に負けず劣らず、立派な字で書かれた豪華な招待状で、何やら小難しい挨拶の文と、即位式と戴冠式の日時が書かれている。
そうか。
レック、とうとう、王様になっちまうのか。
いつかそういう日が来るだろうと思ってはいたが、こんな形で知らされるとは。いや、まあ、招待状を送られるってのは、これ以上ないほど正式な知らせ方なのかもしれないが。
確かに、少し前、レックからもらった手紙に、これから少し忙しくなりそうだから、しばらく会う予定が立たない、すまない、と書いてあった。
レイドックの国で、レックの即位を皆が心待ちにしていることも知っている。いつだったか会った時に、レック自身も、そろそろ本当に即位しないといけないと思ってるんだ、と冗談めかしながら言っていた。
だから、そう遠くないうちに、即位するんだろうな、と、ぼんやりと思ってはいたが。
ハア、とひとつため息をついて、何気なく招待状の裏側を返して見てみると、何か、紙の端の方に、走り書きのようなものがあることに気がついた。
『式前日、17時、サンマリーノの港の桟橋で』
たぶん急いで書いたのであろうその歪んだ字は、でも、確かにレックの字だった。いつもの手紙で見慣れた、レックの。
……ひょっとして、式の前日に、ここに来るつもりなのか? そんな忙しそうな時に、わざわざオレなんかに会って。
ひょっとしたら。
別れ話を、するつもりなんじゃないか。
王様になったら、王子様だった時よりも、色んな自由が、もっときかなくなるだろう。付き合う相手も身を固める相手も、これからは今まで以上に気を使うだろうし、……やっぱり、オレなんかじゃ自分には釣り合わねえって、本当に即位すると決めた時に、改めて、そう考えたのかもしれない。
あいつが本当にそうしたいって言うんなら、オレは、それでも構わないって、ずっと、一緒に旅をしてた時からそう思ってる。オレよりふさわしい相手なんかいくらでもいるだろう。もしオレと付き合ってることであいつの足を引っ張ることがあるんなら、潔く身を引こうって、そういう覚悟だけは、してるんだ。
でも、やっぱり。
あいつと別れることを考えると、どうしようもなく、胸の奥が痛んで。
表の豪奢な招待状の文面と、裏の走り書きの文字を交互に見ながら、またため息をつく。
……こんなの、レック本人がいないところでうじうじ考えても仕方ねえのに。
レックの即位が本当に現実味を帯びて、これまであまり考えないようにしていた不安が頭の中をぐるぐると回ってしまって、オレは辟易した。
目の前をカモメが滑るように飛んでゆく。レイドックへの定期船が出たらしい。定期船の乗客から餌をもらえることがあるから、カモメは定期船が動くのをめざとく見つけ、すぐに追いかけていく。
呑気でいいな、あいつらは、と思いつつ、定期船に群がるカモメを見るともなしに見る。
あれくらい無邪気に、レックと夢の世界で旅をしてた頃が懐かしい。あの頃に戻りたいとは別に思わないが、思い返すと少し泣ける気がした。
◇
「は? 別れる? そんなわけないじゃん」
何言ってんだよハッサン、と呆れたような口調と顔でオレにそう言うレックを見て、オレはほっとしたのと気が抜けたのとで、はああ、とおもわず情けない声を出してしまった。
走り書きに指定された日時に港の桟橋へ行って待っていると、確かにレックはやってきた。忙しいのか、いつもより少し疲れた様子のレックが、それでもオレを見てひどく嬉しそうに笑ってこちらに駆けてくるのを見て、オレはおもわず、内心で胸を撫で下ろした。
ああ、きっと、別れ話をされるわけじゃねえな、これは。
そう確信して、オレが、別れ話をされるんじゃないかと思ってた、と正直にそう告げると、レックは目を丸くしてオレを見て、「そんなわけないじゃん」と言った。
「何だよ、オレ、これでも結構頑張って公務の合間に手紙書いたり会ったりしてるつもりなのに、ハッサンにはオレの愛がまだ全然通じてないってこと!? 今日だってやる事まだいっぱいあるけど頑張って時間やりくりして会いに来たってのに!」
心外すぎ、と口を尖らせるレックに、すまねえ、と謝って、そして、目の前のレックを引き寄せて腕の中に閉じ込めると、うわ、と声が上がった。
「ちょ、ハッサン、誰かに見られるって!」
いいのかよ、と慌てた様子で言うレックに、いいんだよ、と答える。
いいんだ。もうすぐ王様になるお前がこんなに頑張ってオレに会いに来てくれてたってのに、恥ずかしがってちゃ何もできねえし、それに。
こんな時くらい、……わざわざ、大変な時にオレに会いに来てくれた恋人を抱きしめるくらい、したっていいだろ。今抱きしめずにいつするってんだよ。
お前の迷惑になりそうならすぐやめるけど、オレが多少何か思われるくらい、どうってことねえよ。そりゃ昔はちょっと気になったけど、もう、今は。
オレはそんなことより、目の前のお前の方が、大事だからな。
「嬉しいぜ、わざわざ会いに来てくれて。……頑張れよ、お前なら絶対大丈夫だ。レックならいい王様になるぜ、オレにはわかる」
「うん、……うん」
レックはそう言うと、少し遠慮がちにオレの背中に手を回してきた。そして、ひとつ息を吐いてしばらく沈黙してから、また口を開く。
「ありがとう、オレ、ハッサンにそう言ってもらいたくて、……きっと即位の直前にもそう思うだろうなって思って、あれ書いたんだ。気づいてもらえてよかった」
今は隣にハッサンがいないから、デスタムーアに挑んだ時より緊張する、と言って、レックはオレに抱きつく手に力をこめてくる。
最初に会った時とは比べるべくもないほど逞しくなったが、オレと比べたらやっぱりレックの体は細っこい。こんな体でこれからお前は、あの大きな国を背負って立つのか。
すげえな、お前は。
どんどん、オレの手の届かないところに進んで行っちまうみたいだ。
でも、そんな、すごいお前が、不安な時に、他の誰でもない、このオレに頼ってくれるっていうのなら。オレが支えてやれることがあるのなら。
お前のためならなんでもしてやる。だから。
「……もし辛くなったらちゃんと言えよ。オレが、絶対なんとかしてやるからさ」
「ほんと? えっ、じゃあ、オレ、できたら、これからハッサンと宿屋で朝までイチャイチャしたい…もう明日の準備やること多すぎてやだ…!」
そう言ってオレの胸に頭を擦り付けてくるレックの頭をオレは思わず叩いた。レックの、いてえ、という声を聞きながらオレは口を開く。
「そんなのできるわけねえだろ! 王になるための最初の仕事ほっぽり出してどうすんだ、バカ!」
「そんなあ! なんとかしてくれるって言ったじゃん! ……ちぇっ、もう諦めて城帰ろ、あーあ、無理矢理城抜け出してきたから、戻ったら絶対母上と大臣にどやされるだろうな……」
情けない声でそう言うレックにオレは思わず吹き出す。そしてオレは、しょんぼりするレックの顎に手をかけて、その顔を上げさせると、にっと笑って、素早く口づけを落として。
「なあレック、全部終わって落ち着いたらまたゆっくり会おうぜ、……王様になったお前を抱くの、想像しただけで結構燃えるな」
そう言われたレックの顔は、だんだんと血が上って赤くなっていく。しまいにレックは真っ赤な顔でこちらを睨みつけてきた。
「ううーっ、ハッサンのバカ、そんなこと言われたら本当に今すぐやりたくなっちゃうだろ……!」
そう言って、頬を染めて恨みがましい目でオレを見てくるレックを見てオレは笑う。そして、笑い事じゃないっての、と情けない声を上げるレックを、オレは力一杯抱きしめた。