ある夏の日 蝉時雨が降りそそぐ。障子は開けはなたれていて、温い風が風鈴を揺らした。畳に大の字になった彼を、僕は団扇であおいでいる。彼は眠ってしまったので、あおぐ手はおざなりだ。僕は目も眩むような青空を見つめ、太陽と木陰が作り出す、はっきりとした陰影と、どこにいるかも分からない蝉の声を聞く。まるで絵画を切り取ったような夏の風景だ。
僕はほとんど、あおいでいない、団扇を置き、自分も寝そべる。さっきまで見ていた、景色ががらりと変わって、見慣れた天井になった。蝉の声だけが、どこへいてもついてくる。
「兼さん。」
名前を呼んでも返事はない。本当に寝入ってしまったようだ。僕は寝返りをうって、彼を見る。最初に目に入るのは、長い髪だ。せっかく整えた髪は寝乱れて絡まっている。夕方までには起こさないと、夕飯に間に合わないなあ。僕はそう思った。じっと彼を見る。指先をその髪に伸ばす。何度も櫛いているのだから、今さらその感触は新しいものではないのに、何度でも触れたくなる。そのたびに、僕は安心とも愛しさとも言えない感情におちいる。僕はさらに手を伸ばして、彼の指先に触れる。彼の肌が僕より冷たかったことなんて、数えるほどもない。僕はその手を握った。
「暑いね。兼さん。」
僕は彼の手を握ったまま、再び彼と同じように、畳みに大の字になる。今日のこれからやらなくちゃいけないことも、明日やらなくちゃいけないことも、何もかも忘れて、このまま眠ってしまいたい。僕は目を閉じた。
「眠っても、オレが起こしてやらぁ。」
そんな声が聞こえたような気がした。握った手に力が入る。
「嘘つき。」
僕が笑うと、同じような笑い声が返ってきた。夏はまだ続きそうだ。