No.4アコルダール(オクシアSS)※何でも許せる方向け。ストーカー♂出てきます
※司法制度とかは大目に見てやってください
コツコツとブーツの底を鳴らしながら、夜道を一人歩く。
大通りから外れた裏通りは人気もなく、自分の足音だけがただ、虚しく暗闇へと響き渡る。
何時からだろうか、ふと気付くと一つだったはずの足音に、別の足音が不協和音の様に交じり始めた。そしてその音は次第に大きくなり、背後へと近付いて来る。
「……」
足を止めると一拍遅れてもう一つの足音もピタリと止まり、再び歩みを進めると、もう一つの足音もまた歩みを進めた。
明らかにこちらを尾行しているその歩調にやれやれと首を振ると、踵を返し立ち止まる。出来ることなら穏便に済ませたいのだが、上手く行くだろうか。
「まずは話を聞きましょうか。出て来て下さい」
暗闇の中へ問い掛けると、一つの心音が速まるのが見えた。あれだけ解りやすく尾行しておいて、まさか気付いていないとでも思っていたのだろうか?少しの間を開けて、おずおずと姿を現したのは予想に反して、若い一人の男だった。
「貴方ですか、ずっと私をつけ回していたのは」
「……、」
とくとくと、心音が速くなる。何があっても良いよう身構えつつ、じっと相手の様子を窺う。
ここ数週間、こうして夜道を一人で歩いている時に誰かにつけられていることに気付き、どうしたものかと考えていた。パパラッチに追い回されるのは慣れているが、明らかに彼等とは異質な存在は、少なからず生活に支障を来し始めていた。
かといって実害も出ていない内に警察の手を煩わすのもどうかと思い、こうしてわざと誘き出してみたのだ。いざ対面してみると、予想と少し違った犯人像ではあったが。
「理由を教えてくれませんか?何故貴方は私を尾行しているんです?」
「……」
男は何も言わず、俯いたままじっと地面を見詰めている。どうしたものかと考えていると、不意に男が肩から下げていた鞄を漁り、中から何かを取り出した。暗がりではっきりとは見えないが、恐らく刃物の類いだろう。
「やれやれ…私、貴方にそんなに恨まれるような事をしましたかね?」
普通であれば気が動転してしまうような場面だろうが、もっと危険な世界に身を置いている手前、人並みに驚くことも出来ないのが少し悲しい。我ながら感覚が麻痺していると他人事のように自嘲しつつ、肩を竦めて冗談ぽく言えば男が何かを呟いた。
「…の、…に、……さい」
「?」
ぼそぼそと、呪詛の様に何事かを繰り返し唱えながらゆっくりと近付いて来る男から逃げる事なく、真っ正面から見詰め返す。
さてどうしたものかと考えていると、背後からふわりと風が吹き抜け、黒い影が舞う。
男が腰だめに刃物を構え、こちらへ向かって走りながらそれを突き立てようとした瞬間、その身体が重力に逆らって飛び上がった。
まるでアクション映画のワンシーンのように、空中に浮かび上がった男の身体は半回転し、勢いよく地面へと叩き付けられる。骨がコンクリートとぶつかる鈍い音が、何とも痛々しい。
「オビさんよぉ、さすがにちょっとお遊びが過ぎるんじゃねぇか。訓練された人間よりこういう素人の方が案外あぶねぇんだぞ」
「そうですねぇ。ですが、貴方も居るのでつい」
「ハァ…ほんとそういうとこ、直した方がいいと思うぜ」
げんなりと肩を落としたオクタビオは、たった今自分の全体重をかけた跳び蹴りで吹き飛ばした男の元へ歩みより、地面に転がったナイフを回収した。
念のためにこのストーカー調査をオクタビオにも協力してもらっていたのだが、普段はあんなに喧しい彼が完全に気配を消して着いてきていたのには、心底驚いた。
案外探偵の素質があるのかもしれない。そんな場違いな事を考えていると、気を失った男の鞄を物色していたオクタビオの声に我に返る。
「…オビさん、こりゃ早いとこ警察呼んだ方が良いと思うぜ」
「?」
神妙な声色のオクタビオに近付いて、背後から覗き込むとその手には何やら何枚もの写真が握られていた。よく見るとそのどれもがオビを隠し撮りしたようなもので、アリーナの更衣室で撮られたような物まで混じっている。
「おやおや、よくまぁこんな際どい物まで撮影できましたね」
「そういう問題じゃねぇって!あんた危機感なさすぎだろ!」
あーもう、と怒りながら携帯で警察に連絡を入れてくれているオクタビオを尻目に、オビは気を失った男の隣にしゃがみ込む。彼はあの時、何を言おうとしていたのだろう。何を思って、刃を自分に向けたのだろう。オクタビオにはまた叱られるかもしれないが、純粋に彼の動機が気になって仕方がなかった。
「すぐに来るってよ。こいつを引き渡したらさっさと帰ってメシ食おうぜ。腹減っちまったよ」
「そうですね。協力してもらったお礼ですから、今夜は貴方の好きなものでも食べましょう」
「お、マジかよ。そしたらピザ食いてぇ」
「勿論です」
はしゃぐオクタビオを他所に、大通りに面した方角から聞こえる微かなパトカーのサイレンを聞きながら、オビは男の弱々しい心音をただ、じっと見下ろしていた。
「そういえば」
ソファに寝転び最近リリースされたばかりのアプリゲームで遊んでいると、テーブルで何やら作業をしていたらしいオビが、思い出した様に呟いた。何の事かと視線を向けると、その手には一通の封筒が握られている。
「この間、貴方が捕まえてくれたストーカーですが」
「あぁ、あの」
「実刑判決が出たそうです」
あの封筒は裁判所からの通達かと合点しつつ、オクタビオは次いで疑問に思ったことを口に出す。
「そりゃ随分だな。余罪あったのか?」
「ええ。何でも、過去に同じ様にストーカーした人を殺していたそうです」
「…おいおい、シャレになんねーぞ、それ」
アプリを中断し、オビが座るダイニングテーブルの向かいに腰かけた。あの凶刃にオビが倒れていた可能性もあると思うと恐ろしい話だが、当の本人は大して困惑した様子もなく、淡々と話し続ける。
「気になって弁護士に聞いてみたんですよ。何故私を殺そうとしたのかを」
「物好きだなぁ、あんた」
「好奇心が強いんです。なんでも、彼は私に一目惚れしたそうですよ」
「はぁ?」
一目惚れ。ストーカーの動機としては充分なのかもしれないが、なんとも言えないその行動原理にオクタビオは得体の知れない恐怖を感じ身震いした。一目惚れをしたから殺すなんて、どこがどう繋がってその結論に至るのか、理解が及ばない。
アリーナの象徴のような存在である彼には熱狂的なファンが多い。現に行きすぎたファンの過度なスキンシップや、オクタビオからすれば嫌がらにしか思えないようなプレゼントが送られたりすることもしばしばあった。
そんなことに慣れてしまう状況そのものが異常ではあるのだが、昔からどこか肝が据わっているというか、物怖じしないオビはそれを物ともせずに日々を過ごしている。今回のことも、彼にとっては些事なのだろうか。
「アリーナで一目見た時から、いつか私を殺して自分も死のうと思っていたそうです」
「ハァ?なんだよそれ…」
「でも、何となくその気持ちは解ります」
「いやいやいや、解るのかよ、駄目だろそれは」
いよいよオビのことも解らなくなって来て、オクタビオは頭を抱える。彼はクスクスと笑うと、封筒をテーブルに置き頬杖を付いた。吸い込まれそうな青い瞳は、何時もと違いどこか底の知れない冷たさを孕んでいて、知らず息を飲む。
「美しさは何時か消えてしまう。ならばいっそ、一番美しい姿のまま、終わらせてしまいたいと願うんです」
「消えちまうのは当たり前だろ、永遠や無限なんてありゃしねぇんだから。そんなのはただのエゴだ」
「ふふ。貴方のそういう所、好きですよ」
「…そりゃどうも」
「彼は私のことも、自分だけの永遠にしたかったのでしょうか」
うっとりと、まるで何かに取り付かれた様に恍惚と呟く彼のその表情が、オクタビオにはとても嫌なものに見えた。手を伸ばし、頬杖を付くその腕を掴んで少し乱暴に引き寄せると、驚いたように目を丸くした彼へ念を押すように告げる。
「オビさんよ、耳の穴かっぽじってよーく聞きな。俺はあんたが、その美とやらの為に自分勝手に命を終わらせるのは許さないぜ」
はっきりとそう告げれば、オビは目を細めて心底楽しそうに笑う。その笑みは何時もの彼の表情そのもので、オクタビオは内心ほっとしながら握ったオビの手をそっと、離す。
「貴方がそう願うなら、肝に銘じましょう」
そう言うと、彼は笑いながら裁判所から送られて来た封筒を手に取り、おもむろに引き裂いた。乾いた音を立てて細切れになったそれをテーブルに撒いて指先で弄び、見下ろす瞳には今、何が映っているのだろう。
本当は、放っておくとどこか遠くへ行ってしまいそうな彼の手を離すのは嫌だった。けれど、花から花へ舞う蝶を留める事が出来ないように、彼をそうして繋ぎ止める事もまた、間違いのような気がしたから。
なんとも厄介な男に惚れてしまったと、オクタビオは心の中で深く深く、溜め息を吐いた。
(僕だけの、永遠になってください)
・・・
No.4 アコルダール
(足音 耳 一目惚れ)