からだのいみ「本当にお前はしかたない」
どのような呪いを掛けられたものかその黒龍は。少なくともこれの魂は確かにルカだと感じ取ってしまうソウルイーターが今は少し煩わしい。
知ってしまったら殺してしまうこともできないではないか。
城に外敵の侵入を許しただけでも愚かだと思うのに、ジルを庇って…本人は全力で否定するだろうけれど…結果このような姿になろうとは更に愚かだ。
「ルカのばか」
ルカは居なくなったのだからこの城にもう用は無いと、出ていこうとしたリオの前に立ちはだかり。
泣くものかと、それでも涙を湛えた目でこちらを睨みつけるように依頼してきたジルの姿があまりに凛として美しかったから。
意思の強さがルカとの血の縁を確かに感じさせたから、うっかり引き受けてしまったのだ。
姿を探す。
出来れば連れ帰る。
それから方々手を尽くすもなかなか結果を得られず、面倒になったのでソウルイーターに「お前の食べたい魂はどこだ」と少し勝手を許した。
つまみ食いを繰り返しながらも彼方なのだと湧くソウルイーターの意思に従い足を運んでみれば。
制御の効かなくなってしまった魔物に、これ以上暴れない様に毒餌を与えるのだというとんちきな事態に遭遇した。
全てを無視して魔物のいる場所への侵入を試みたが、シンダルの遺跡を利用したというその壁はリオの侵入を拒み。
どうにでもなるがいいと、わざと生贄候補として捕まってみせたのだ。
疑われない様に少しだけ抵抗の真似などもし、その甲斐あって「この子供がいいだろう」と無事(?)贄として選ばれた。
手はともかく足と首にも枷を嵌められたのは許しがたく、今度は本気で暴れたら贄を捧げる日をかなり前倒しされることになったのは良かった。
こんな場所に何日も居たくない。
暴れて傷ついた手足と首には白い包帯を巻かれ、衣装も目立つように真白く整えられた。
生け贄らしく。
頭には魔物を呼ぶ魔力を込められた冠を乗せられ、やっと遺跡の中へと入る事ができて内心息を吐く。
長かった。とても長かった。
最後の水だと慈悲深さを装って渡された猛毒を気にせず一息に飲み下し、毒では死なない体を自負しているがさすがに意識を明瞭には保てず、くらりと体制を崩したところでその魔物は現れた。
黒い翼、黒い角、黒い鬣に、体。
威風堂々と、日の光の下でなお黒いその姿は中空にあって、素晴らしく美しかった。
人の頃のようにとても。
どのような姿になろうとも人の目を奪わずにはいられない、ルカ・ブライト。
「そんな、早い!」
どうやら手違いがあったようだがそんなのはどうでもよかった。どうせルカが全部殺すだろうと思っていたのだし。
ただ、手足に首の枷までつけたままでは自分まで食われてしまうかもしれないとは、今さらではあるが思い至り、少しだけ困ったなあと考える。
ここまでしてみせて、結局ソウルイーターでルカまで食べ尽くすのは勿体ないなとそんな風に。
骨折り損だとため息を吐き、まだかまだかと疼く紋章を解放しようとしたところで、空で待機していたかに見えた魔物が動いた。
言葉にはできない唸り声を上げて、怒っているのだけは否が応でもわかってしまう。
面倒だ。とても面倒だ。
これ以上毒で朦朧とする前に、全部食べてしまおうと決めた瞬間、ひとつ、またひとつと周りの命が血しぶきをあげながら消えていく。
トランの竜洞の、初めて自分を背にのせてくれた黒い竜に似ているのだと。
自分を守るように近い距離の命から狩っていく物騒な姿を見て何故だか思い出した。
捕食の姿さえ見苦しく見えない高貴さに、少し心を動かしてしまったからだろうか。
竜にはしゃいでみせたテッドみたいに。
でも、もう……。
あの大きな体のために計算された致死量は、さすがにこの身には多かった。
テッド、ちょっと寝るから危なそうなら全部たべてね。
守ってくれるのならば食べるのは待とうと、それだけ判断して意識を手放した。
クルル
そんな声と冷たい鱗が触る感覚で目を覚ます。
まだむせ返るくらいの血の匂いが充満しているから、何分も意識を手放したりしていないだろう事はわかった。
目を開けたら金の目が覗き込んでいて、自分はその首元に乗せられていた。
どうやって?と一瞬考えたが、乱れ脱げかけた自分の着物に、布を咥えられて確保されたのだろうと想像する。
床に転がしておけばいいのに。
執着されていると勘違いしそうになるではないか。
「ルカ?」
呼べば顔をぐっと近付けてきたので、このドラゴンがあのルカだと結論づけられて笑ってしまう。
「なんだこの状況。本当にお前はしかたない」
顔に触れるとひやりと冷たく。
お前に触れて冷たいなどと。
「いつもの逆だね。ルカのばか」
本当にルカと確かめてしまったなら殺せない。
ああもう本当に、どう転がっても面倒な男だ。
それに、撫でる度にじゃらじゃらうるさい鎖は途中で引き千切られていて、ドラゴンの力の強さを知るはめになった。
顔の横の鉄の音がどうにも気に入らないのか、残りの枷を睨んでいる気配がするので。
「ルカ、僕の手足は食べちゃだめだ」
服の乱れ具合といい、多分このドラゴン、細かい事まで考えていない。
手足が欠けても不快な音が無くなるならいいか、くらいの軽さだ。
元より倫理観など有していない男だ。それが加速しているなら制御など、かけらも出来なかったことだろう。
これを画策した者の、浅はかで愚かで哀れな思考回路に同情する。
どこの誰とも知らない愚か者へ。
もしジルに同じような呪いをかけてみろ。
強くなったジルを見て弱みは無くなったと、すぐにでもルカは世界を壊し始めただろう。
逆効果にも程がある。
それとも二人、同時に翼をその背に刺されてしまったのなら。
世界などどうでも良いと、その果てまで飛び立ったろうか。
ただの二匹で。
全てのしがらみを脱ぎ捨てて、人の手の及ばないどこかに。
それはとてもしあわせな想像に思えて、リオは自嘲した。愚かは自分の方なのだと。
「それにしてもルカ、この姿は元の身が転じたものか?それとも魂だけを魔物の体に封じられているのか?」
ソウルイーターは魂にしか興味がないのだ。
元の体の行方となるとちょっとわからない。
グルルと唸るだけのドラゴンは、きっと腹が満たされて些事がどうでも良くなっている。
その証拠にデザートかな?くらいの勢いで頬を舐められた。
「こら、僕の顔も食べちゃだめだ。
ねえルカ、僕は正直この体の方が好ましい。強そうだし空も飛ぶ」
言葉が通じないだけあって、餌さえ絶やさなければ元より穏やかではないか?とさえ思う。
「……このまま帰ったらジルは泣くかな?」
今度こそ涙を流して。
それもきっと美しいと口にしたら、一口でドラゴンに食われるだろうから心の中でだけ。
「さあ愚か者。寝る前に人の心を手繰り寄せかき集めろ。僕がお前を見限るその前に」
そうしないと僕は気に入ってしまう。
この壮麗な姿と翼を、欲しくなってしまう。
「フッチより先に竜を、しかも黒龍を手懐けてしまったらダメだろう?」
だから元に戻さないといけないと自分に言い聞かせる。
旅人に、これと一緒に戻る事などしてはいけない。
それがどんなに魅力的であっても。
それはとても。
「うん、とても。とてもざんねんだね、ルカ」