Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    mori

    @mumu_u_0

    雑多ジャンル
    CP未満やかきかけのものを置きます

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 2

    mori

    ☆quiet follow

    降新になるものとして書いていましたが、先があまりに長くて心が折れている

    #降新
    dropNew

    降新 新一の携帯にそのメールが届いたのは、金木犀の香りがほのかに匂う頃だった。
    「駅前にできた新しいカフェ、コーヒーが美味しいって評判だそうだよ」
     彼から送られてくる文面はいつも非常に簡素だ。「安室透」として過ごす穏やかな日常が綴られている。そのうえで、安室透ならどう考え、答えるかをキャラに徹した文面を送ってくるのだからご苦労なことだ。
     ああ言えばこう言う。コナンから新一に戻っても彼の態度は変わりなく、どこか気の抜けない相手だ。対等な会話ができることや持ち前の勘の良さなどありがたい面も多いが、同時に厄介でもある。かつての江戸川コナンが工藤新一だったことは彼に直接口にしたことはない。しかし、十中八九気づいているのだろう。敢えて指摘してこない点は大人だが、何気ない会話に交えてすぐ新一がコナンであった言質を取ろうとしてくるあたりはいかにも警察らしいと言える。
     元の年齢に戻った以上、作り笑いを浮かべてボク子どもだからわかんなーいという誤魔化しはきかない。それを理解したうえでおちょくられている気がして、年上のくせに大人気ないですよと言ったことがある。しかし安室は悪びれた様子もなく「きみがかわいくないこと言うからじゃない?」と返してきた。これにはさすがの新一も呆れを通り越して絶句した。どうやら食えない相手だという思いを抱いているのは新一だけじゃないらしい。互いに気の置けない友人ではない。共に背中を預け合う仲でもない。それでも連絡を取り合い、軽口を叩きあう。なんと奇妙な関係性だろうか。

     見頃がすぎた桜はすっかり葉桜となり、並木道には休日を楽しむカップルが仲睦まじく手を繋いで歩いてる。枝葉の間から射しこむ木漏れ日がアスファルトを照らす。あちこちから鳥の囀りが聞こえてくる。なんでもない穏やかな休日。そう、穏やかで静かな休日を新一は自宅で楽しんでいたはずだった。つい先程まで。それなのに今は当て所もなく歩いている。新一は隣を歩く男を睨めつけた。
    「それで一体なにが目的なんです?」
    「別に? こんないいお天気なのに外に出ないのはもったいないなあと思って、きみを誘ったまでだよ。嫌なら断ればいいだろ? でもきみはそうしなかった。それが全てじゃないかな」
     あえて刺々しい言い方をしたが、男はどこ吹く風だ。
    「暇じゃないくせに随分お気楽な休日の過ごし方ですね。じゃあ訊き方を変えます」
     安室のほうへ体を向けると、彼も足を止める。薄碧の瞳がこちらを射抜く。
    「あなたは僕に何を求め、どうしたいんですか」
     この男が一体なにを目的として自分に近づいているのか。その目論見を暴いてやろうと思った。我ながら随分あけすけな物言いだなとも思ったが、すぐ煙に巻こうとする男には言葉にしてしまったほうが早い。
    「またひどい言われようだね。なんでそういう結論に至ったのかな」
    「これまであなたとメールをしたり、こうして外で会ったりしてますけど意図が読めないのでもう直接訊いたほうが早いなと思いまして」
    「そこは探偵くん、お得意の推理で謎を解き明かすのがきみの仕事じゃないのかい」
    「ふうん、暴かせてくれるんですか?」
     安い挑発だ。嘲るように安室を一瞥した。すると彼の瞳が猫の瞳孔のようにすうっと細まる。覚えのある表情だ。いつか見た安室でも降谷でもないもうひとつの顔。男は厭味ったらしく少し腰を折り、新一の耳元に唇を寄せた。体臭、はたまた香水だろうか。甘いバニラの香りが鼻孔を擽る。
    「じゃあお手並み拝見といこうか、ホームズくん」
     誤魔化された気がした。けれど、そう簡単に本音を漏らすような男でもないのはわかっている。
    「……上等だ。後悔してもしんねえぞ」
     売られた喧嘩は買う主義だ。安室は仰々しく肩を竦め「怖いなあ」と嘯いた。言葉とは裏腹にその声はどこか楽しげだった。

     元来多忙な男であるから、連絡は不定期だった。二、三カ月に一度ということもあれば、週に何度かやりとりが続くこともある。大体は安室からメールが届いて、新一がそれに返すという形だ。まるで友人のように約束を取りつけ共に食事をしたり、時に安室の運転する車で出かけたりする。果たしてこのおままごとはいつまで続くのかと思いながらも、彼との駆け引きが面白いのも否めなかった。だからあの日も新一はいつも通り返信画面を立ち上げて「あなたが淹れるコーヒーより美味しいのか興味がありますね」と短く返した。
     しかし、その後彼からの連絡はふっつり途絶え、今やなんの音沙汰もない。それから連絡がないままあっという間に二年という歳月が過ぎた。最初はなにかあったのだろうかと訝しんだ。念のため数度メールや電話をしたがどれも応えはなく、次第に長期の潜入捜査に潜っている可能性が高いなと考え始めた。だとしたら連絡は控えたほうがいいのか。そう思案して新一はふと我に返った。友人でも相棒でもない。ましてや相手は手練の捜査官だ。安室から連絡が途絶えたならおままごとはこれで終了という意味だろう。線引をされたのだ。これまでの関係性もただ安室透としてのキャラづくりの一環に違いない。それに付き合わされただけの話だ。安室の内情を知っている新一なら連絡が途絶えたとしても察してくれるだろうと踏んでの人選だったのかもしれない。ならば、自分から連絡することもない。結論はもう出ている。そうだ、もう出ている。なのになぜか釈然としなかった。
     新一は携帯の画面を軽く指で触れ、メールの受信フォルダを開いた。ついと指で液晶画面を下になぞれば、端末が一瞬読みこむ動作をする。しかし表示されるメッセージは今日も同じだ。新着メールはありません。新一はスリープボタンを押して、携帯をパンツのポケットに捩じこんだ。連絡はないようだった。

     チンッと音がしてトースターから焦げ目がついたパンが飛び出す。新一はまだ熱を持つパンを指先で摘み上げて、黄金色に焼きあがった耳に齧りついた。出来立てのパンを頬張りながら何気なくテレビをつけると、巷で人気のお天気キャスターが画面の中で微笑んだ。
    「本日は全国的に猛暑日となります。お出かけの際には熱中症対策に十分お気をつけください。時刻は九時四十六分です」
     新一はパンに齧りついたまま「えっ」と声を漏らした。慌ててテーブルに投げ出された携帯の液晶画面を叩くと画面に時刻が表示される。九時四十六分。今日の講義は一限からドイツ法が入っている。そして一限は九時から十時四十分までだ。つまるところ、完全に遅刻だった。
     新一が籍を置く東都大学は家から歩いて通える距離にある。その利便性もさることながら、学びたい分野である法律系のカリキュラムも充実している。オープンキャンパスに参加した際に実際の講義を体験し、学部の雰囲気もじっくり確認した上でここでなら満足度の高い学生生活を送れると感じた。決断したら即行動が自身の長所だ。そこからの行動は早かった。
     新一は米花にある自宅に帰宅するなり今は海外に居住を移している両親に急いで電話を繋いだ。そして口早に「進路のことだけど、東都大にする」と告げた。電話に出た優作は一瞬沈黙したものの「お前が決めたならそれでいい。でも中途半端なことはするなよ」とだけ言うと、すぐ有希子に電話を代わってしまった。それなりに大きな決断をしたつもりだったので正直言えば肩透かしを食らった気分だ。しかし次に「新ちゃん! なんで大事なこといっつも勝手に決めちゃうの!?」と電話口から有希子の甲高い声が聞こえて思わず携帯を耳から離した。まずい。つい辟易した声が出た。
     このままでは長時間に渡って有希子の小言を聞かされる羽目になるのは目に見えている。新一はとってつけたように「あー、母さん! そろそろ切らないと……ほら国際電話高いからさあ!」と会話を無理くり切り上げるように促した。勢いそのまま通話終了のボタンを押す間際に「新ちゃん待って!」と有希子が静止をかけてくる。
    「進学のことはわかりました。でもこれまで通りとはいきません」
     有希子の神妙な声に、新一は眉を顰めて電話口に耳を当て直す。
    「いい? 学生の本分は勉強です。あなたが入りたいと言って通うのだからまず大学を留年せずにちゃあんと卒業して自立すること! 高校生のときみたいにやれ事件だとそっちばかりを優先して単位が足らないなんていう事態になったらどうなるか……わかってるわね?」
     イエス以外は認めないといった口調だった。全くもってその通りでぐうの音も出ない。稀に母としてもっともらしいことを言うから困る。かくして新一は有希子と在学中は勉強に精を出すことをしっかりと約束させられた。そんなわけで現在、平成のホームズに舞いこむ依頼は警視庁や知人、友人など非常に限られた人物からのみで以前のような大きな事件に関わったりすることは極端に減っていた。

     いくら大学に近いとは言ってもさすがにこの時間から講義に出ても出席扱いにはならない。諦めるかと一瞬で見切りをつけた新一はパンの残りを口に含み、コーヒーで一気に流しこんだ。有希子が知れば約束したでしょ! と激怒すること間違いなしだが、三年生となった今では卒業に必要な単位は大体取り終えており、あとは進級するために必要最低限の単位さえ取得できれば問題ない。
     そうは言いつつも二限以降も講義は入っている。早めに向かって次の時間まで図書館棟で暇を潰すかと考えながら食器を流しに浸す。デイパックに今日の講義に必要な教材一式を詰めると、新一はスニーカーの紐を結び直して家を出た。
     天気予報通り外は真夏のように陽が照りつけている。まだ昼にもなっていないのにこの暑さなら午後には外に出ることはできないんじゃないか。想像しただけで嫌になる。門扉に手をかけてから今日はまだポストを確認していないことに気づいた。この時間なら朝刊も届いているはずだ。次の講義までの時間つぶしに持ってこいだ。新一がポストの中を覗くと、朝刊と何通かのDMが入っていた。その中に混じって淡い水色の封筒に目が留まる。消印はない。差出人は芦原桃子(あしはら とうこ)と記載されている。新一は記憶を遡ったがいまいちピンとこない。しかし宛名面には工藤新一さまと書かれてあり、どうやら新一宛てのものらしかった。
     昨日大学へ行く前に郵便受けを覗いたときにはこんな封筒は見当たらなかった。また、消印がないということから封筒は昨日の昼間から今朝にかけて工藤家のポストに直接投函されたものだろう。新一はしばし考えこんだあと封筒を開封した。今までの経験上これは面倒な事件を持ってくる気配がする。そう思ったが、好奇心には勝てなかった。
     封筒の中には一枚の便箋が入っていた。そこには女性らしい少し丸みを帯びた文字で「工藤新一さま あなたに相談したいことがございます。私の勘違いだったらいいのですが、もしかしたら四年前の事件に関わることかもしれません。どうかお話だけでも聞いていただけないでしょうか。明日の午後二時、米花公園でお待ちしております」と一方的な約束が記されていた。

     芦原桃子からの手紙が届いた翌日、新一の足は米花公園へと向かっていた。厄介そうな気配はするが、ここ最近は警視庁からの協力要請も減っており、ストレスが溜まっていた。とりあえず聞いてみるだけと自身に言い聞かせて、新一は公園に訪れた。土曜ということもあり、園内には子連れの家族や犬の散歩をしているOLなど様々だ。その中で噴水のすぐ傍に立つ女性が目についた。
     肩まである栗色の髪は毛先が緩く巻かれていて、くりっとした大きな瞳、通った鼻筋、桃色の唇が小さな顔の中にパーツよく収まっている。華奢な身体に纏った白いシフォンのブラウスと膝丈のレモンイエローのスカートが綺麗にまとまっていて、一般的に見ても彼女はかわいい部類に入るだろう。周りを気にするようにキョロキョロとしていて落ち着かない。おそらく彼女が芦原桃子だ。迷いなく新一が噴水のほうへ歩を進めると、彼女と視線が交差する。大きな瞳が新一を捉えてぱちぱちと瞬きしたあと「あっ! 工藤さん!」と新一の顔を指差した。周囲の人間の視線が一斉につき刺さる。噴水の水音が園内にやけに響いて聞こえて、新一は苦笑いを浮かべた。
     ばっちり衆目を集めてから我に返った彼女はすみません、大変失礼しましたと耳まで赤くして謝罪してきた。ころころ表情が変わる。まるでポメラニアンみたいだなと脳裏によく吠える小型犬を浮かべながら、気にしてませんよと新一は微笑んだ。その様子に彼女はほっと胸を撫で下ろし「紹介が遅れました。芦原桃子と申します。今日は来てくださってありがとうございます」と頭を下げた。
    「あの、正直に申し上げると僕はまだあなたの依頼を受けるかは決めかねています。ことによっては警察に相談したほうがいい場合もありますし、とりあえず長い話をするようなら場所を移しませんか」
     新一の提案に芦原は頷いた。静かに落ち着いて話が出来る場所と言えば、新一の中ですぐにポアロが浮かんでくる。次いでかつてポアロで働いていた胡散臭い男の顔も浮かぶ。そういえばあの人の淹れるコーヒーをもう随分飲んでいない。ぼんやり過去に思いを馳せていると芦原が遠慮がちに声をかけてきた。
    「あの、ちょっと歩きますけど駅前にあるカフェでお話しませんか? 美味しいお店知ってるんです」
    「じゃあそこにしましょうか。ちなみに芦原さんのおすすめは?」
    「私はベリーがたっぷり乗せてあるパンケーキが好きなんですけど、一番人気はコーヒーらしいですよ」
     芦原は今日もパンケーキにしようかなあと楽しげに呟いた。対照的に新一の喉がひくりと鳴る。美味しいコーヒー、駅前。安室から連絡が途絶えたこともあって店名は聞いていなかった。だがきっとこれから向かう店こそ二年前に安室が言っていた「美味しいカフェ」な予感がした。きっとそうだと思った。

     駅前なこともあり、店自体はこじんまりとした印象を受けた。白を基調とした外壁に緑の木目調の開き戸は南欧を連想させる造りだ。軒先には店名が入れられた緑のオーニングが張られている。
     昨今流行のカフェは女性層がメインターゲットなこともあり、かわいい系統に寄りがちだ。しかし、この店は人を選ばないシンプルな店構えだった。新一は芦原の後に続いて店内へ足を踏み入れた。天井から吊るされた暖色のペンダントライトが室内をほのかに照らしている。昼時を過ぎたからか中には客がまばらにいる程度だった。有線から流れるクラシックピアノの音色は雰囲気によく合っていて気持ちが和らぐ。
     あの人は——安室はこの店に来たことがあったのだろうか。さも聞きかじった噂話を持ち出してきたと思っていたが、公安警察である安室が一度も来たことのない店を話題にするだろうか。そもそも公安は初めて訪れる店では食べ物に口をつけないという話だ。新一は改めて室内に視線を配らせた。都会の喧騒とは離れ、落ち着いた店内では大きな声で喋る人間もいない。
    絶対にあの男、この店に来たことがあるな。おそらく新一の好みを熟知したうえで、店のことを持ち出してきたのだ。そういう男だ。新一は芦原に見られないようにうへえと顔を歪ませた。
     通された席は窓際のテーブル席だった。席について早々に軽食とコーヒーのセットを新一が頼むと、芦原もすでに決めていたようでパンケーキセットをオーダーした。かしこまりましたと店員がメニューを下げていく。
    「工藤さん」
     ふいに名前を呼ばれて、新一は顔をあげた。正面に座る芦原の表情は強張っている。
    「あなたは四年前の事件のことを覚えていますか」
     手紙にもあった四年前の事件。正直言ってしまえば彼女の顔には覚えがない。だが芦原と顔を合わせてから、彼女の名前にどこか既視感があるのは事実だった。
    「その……大変申し上げにくいのですが僕はあなたとどこでお会いしたんでしょうか。色々可能性を考えてみたのですが、あなたとの繋がりがわからなくて……すみません」
     なんとも歯切れが悪い答えだった。しかし芦原は気を悪くした素ぶりもなく静かに笑んだ。
    「仰る通り、私はあなたと直接面識はありません。……思い出していただきたいのは父のことです。芦原啓太(あしはら けいた)という名前に覚えがありますか」
     芦原啓太。その名前を聞いたときようやくひとつの事件が思い当った。過去の記憶が断片的に蘇ってくる。映写機が一コマ一コマのフィルムを送っていくように、事件の概要が頭を駆け巡る。確かにその名前は知っていた。新一が関わったことのある事件だ。
    「芦原啓太。四年前、米花駅前で起きた事件の……」
    「そうです」
     彼女が言う過去の事件。芦原桃子と芦原啓太。言うまでもない。
    「じゃあまさかあなたは」
    「はい。私は、殺された芦原啓太の娘です」
     店内にフランツ・リストの「ラ・カンパネラ」が響く。最終節、荒々しく鍵を叩く音がする。何度も聴いたことのある曲だった。いつもなら跳ねる音が耳に心地いいはずだ。それなのに今日に限ってはひどく焦燥感を急き立てられた。

     その事件は工藤新一が江戸川コナンになる前に関わったもののひとつだった。ただ事件と言えども新一の出る幕はほぼないに等しかった。なぜなら、犯人は現行犯で逮捕されており、犯行についても自供していたからだ。難解な問題はどこにもないはずだった。
     だが、供述調書を取るうちに犯人はどうも虚偽の供述をしているのではないかという疑惑が浮上した。そこで新一の力を借りたいという依頼が捜査一課から舞いこんだ。思い返しても新一が手を貸さずとも彼らなら最終的には自力で真相に辿りついただろうと確信しているが、中々折れない犯人に手こずっていたらしい。勾留期限も迫っていると疲弊した目暮が言っていたのを覚えている。虚偽の供述を覆すための証拠探しという地味な案件に、正直物足りなさは感じたが断る理由もない。新一は僕でよければお手伝いしますよと引き受けたのだった。
     事件の概要はこうだ。清掃会社で清掃員として勤務する新条昌信(しんじょう まさのぶ)が大手製薬会社でMR(医薬情報担当者)として働く芦原啓太を米花駅前で刺殺した。動機は改札口でぶつかった際に口論となり、芦原は新条をひどく罵った。それに逆上した新条は持っていた果物ナイフで思わず刺してしまったということだった。事件発生時はちょうど帰宅ラッシュが始まった午後七時、それも人がごった返す駅前で起きたということもあり目撃者は多数いた。
     目撃者たちの証言は概ね一致し、突然口論が始まったかと思えば新条が鞄から果物ナイフを取り出し、芦原の腹部を一度刺したあと馬乗りになって、何度か胸や腕などを繰り返し刺した。その後、通報により駆けつけた警察官により現行犯逮捕されたとのことだった。死因は複数回刺されたことによる出血性ショック。些細なことから口論になり、カッとなってしまったという事件は割合多い。当初、今回の事件も突発性のものだろうという見解だった。
     しかし、証言の中で気がかりなものがあった。新条本人も改札口でぶつかり口論になったと言うが、ある目撃者によれば新条は最初から迷いなく改札を抜ける芦原のほうへ近づいて行ったように見えたと言うのだ。そうなると衝動的に起こした事件ではなくなる。以前から互いに面識があり、なんらかのトラブルにより決裂してしまい、此度の凶行に及んだ可能性が出てきた。
     当然新条には揺さぶりをかけたが、彼は頑として面識がないの一点張りだった。そこで証拠を見つけ、事実を確かめることとなったのだ。供述通りなら問題ない。だが、虚偽の供述をしているのならば、そこにはなんとしてでも隠したいものがあるのだろう。そう言う目暮の口ぶりは、新条は嘘をついていると確信しているようだった。
     新一はまず二人の過去の経歴を徹底的に洗った。大手製薬会社に勤めるMRと清掃会社の清掃員、一見すれば関わりは見当たらないように思えたが、調べていくうちに新条がほんの数ヶ月の間だが芦原の勤める製薬会社に早朝清掃員として派遣されていたことがわかった。おそらくそこで二人は出会っている。問題は互いの勤務時間が重ならないことだった。
     芦原の出勤時間にはすでに新条は清掃を終えて別の現場へと向かうシフトになっていた。だが、確実に接点はここだろう。新一はそう睨んで、製薬会社に勤める人間の中で二人が接触しているところを見ている者はいないか、くまなく調査してほしいと一課に進言した。捜査員がローラー作戦よろしく、会社に勤める従業員一人一人に話を聞くと、二人が共にいるところを見たことがあると言う受付嬢がいた。
     よくよく話を聞けば、いつもは始業時間より前に掃除を終えているはずの清掃員がその日に限ってまだロビーで清掃用具を片づけていたので気がかりに思ったと言う。その際にちょうど出勤してきた芦原が「お疲れさん」と清掃員の肩を叩いて声をかけていった。一介の清掃員を労う言葉だろうと思っていたが、以降週に何度か同じことがあったそうだ。彼女は興味本位でお知り合いなんですか? と芦原に尋ねると彼は一瞬口ごもり、たまたまだよと答えたそうだ。それ以降芦原と新条が会話しているのを見たことはないということだった。決定打にかけるが、おそらく彼らは声をかけあうことでなにかやりとりをしていたのだろうと踏んだ。そこからはとにかく地道な作業だった。芦原と新条が関わったことがある場所、家を探り、クロだと言えるものがないかを捜査員がしらみ潰しにしていく。
     そしてようやくそれが見つかった。会社の男子用トイレの用具入れの中から小分けに包装された袋がいくつか見つかったのだ。案の定入っていたのは麻薬だった。だが司法解剖の結果では彼の遺体から一切麻薬に関する陽性反応は出ていない。つまり彼は使用する側ではなく、売る側だった。密売人だったのだろう。
     それらの証拠を新条に突きつけると、ようやく観念したようにぽつぽつと真相を語り始めたらしい。ちょうど清掃員として派遣された頃に芦原と出会い、親しくなった。その直後に彼からうまい話があると持ちかけられたそうだ。ブローカーとして手伝うだけだ。直接お前が売るわけじゃないと言いくるめられ、一度だけならと引き受けたら思ったより金をもらうことができた。そうして何度かブローカーとして共に非合法の仕事をしていくうちに、芦原と自分とでは金の取り分に大きく差があることに不満が出てきた。次第に不満が募っていき、彼に吐露したところ「俺の方がリスクがあるんだから取り分が多いのは当然だろう」と突き返されて不満は憎悪へと形を変えていった。そして恨みを募らせた新条は凶行に走った。虚偽の供述をしていたのは、薬物の売買に絡んでいたなんて家族に知られたくなかったという随分身勝手な言い分だった。
     蓋を開けて見れば真相はあっけないものだ。証拠は出そろっているし、裁判もつつがなく執り行われたと後になって一課の佐藤から聞いた。そう、これで事件は解決だった。工藤新一の中では終幕を迎えた案件だ。だが、今になってまたなぜその名前が出てくるのか。
     とうに済んだ事件を持ち出されるということは現状なにか起きているということだろう。
    「あの」
    「おまたせしましたあ」
     新一は喉元まで出しかけた言葉を飲みこんだ。笑顔を貼りつけた店員がカトラリーとできたての料理を手際よく並べていく。下がっていく姿を見届けてから、新一は改めて芦原へ視線を向けた。
    「今更事件のことを蒸し返したくて、あなたをお呼びたてしたわけじゃないんです。手紙にも書いたように相談にのっていただきたいんです」
    「相談?」
    「はい。勘違いならそれでいいんです。でも……どうにも偶然とは言い難い気がして……」
     手紙にあった言葉だ。勘違い。一体なにを言わんとしているのか。
    「私は今、米花大学の社会福祉学部に通っていて……その、彼とは学部が別なのに専攻している授業が妙に被るんです」
     続いた言葉の突拍子のなさに新一は瞠目した。全容がなにひとつわからない。気持ちばかりが急いているのか、芦原の瞬きの回数が明らかに増える。
    「さ、最初は気のせいだと思いました。でもあの男と目が合ったとき、彼はこっちを見て笑っていたんです」
    「あの、芦原さん。落ち着いて順を追って説明してください。まず彼とは誰のことですか」
     芦原は強張っていた体から力を抜いて、大きく息を吐き出した。言葉を選んでいるのか、幾ばくか迷うように視線を彷徨わせたあと眉根を寄せる。なにかに耐えるような顔だった。
    「いるんです。うちの大学に。四年前、事件を起こした新条昌信の息子、新条吉隆(しんじょう よしたか)が……同じ大学に、通っているんです」
     吐き出された言葉はまるで呪詛のようだ。耳奥で警鐘が鳴っている気がする。引き返したほうが得策なのでは? と誰かが囁いたが、もう遅い。これはきっと工藤新一が解決すべき事件だ。

     新条吉隆。現在、芦原桃子と同じ米花大学に通う二年生で経済学部に籍を置いている。新条家の長男で事件の起きた同年に生まれ育った米花から香川にある母方の祖母の家に母、弟と共に移り住んでいる。その後母親は事件をきっかけに精神を病み自死。吉隆は大学進学の折に米花に戻り、現在はアパートで一人暮らしをしている。なお事件後、昌信の元へは一度も面会に訪れていない。
    「まあ身辺調査で得られる情報は大体こんなもんだよなあ……」
     新一は胡乱げに資料を眺めて溜息をついた。表面上の情報はいくらでも集めることができるが、それではなにも進展しないだろう。つまるところ本人に接触してしまうのが一番てっとり早い方法だ。しかしその手を取るのはいささか早計な気もした。芦原の話を伺うに、新条は被害者遺族である彼女になんらかの意図を持って近づいている可能性が非常に高い。考えうる理由としては件の事件で彼は実母を亡くしている。復讐に至るに充分な動機となりうるだろう。だとしたら迂闊に第三者が間に入ることで相手を刺激する場合がある。新一は腕を組んで数瞬考えこんだ。そうなると今取れる方法は限られる。
    「本人に接触できないなら潜りこむしかないよな」
     出した結論は至ってシンプルなものだった。新一は足元にあるデイパックにノートと筆記用具を押しこみ、手近にあった野球帽を目深にかぶる。ついでに眼鏡もあったほうがいいかもしれない。
    「たしかこの辺にあったような……」
     デスクの引き出しを上から順に開けていくと、見覚えのある黒縁眼鏡が文具と共に乱雑に放りこんであった。懐かしさが込みあげてきて自然と口の端が上がる。早速つるを開いて掛けてみれば、コナンであった頃には重く感じたフレームの大きな眼鏡も今では重みを感じなかった。レンズを通して見る世界はなにひとつ変わっていないのに、あの頃とは違って随分遠くまで見えるようになった気がする。
    「……行くか」
     郷愁に駆られてしまっていけない。新一は帽子のつばを下げて俯いたまま、部屋を後にした。鏡を見ることはしなかった。見なくたって自分が今どんな顔をしているのか充分にわかっていた。

     米花大学は学科数も多く、駅からも近い。偏差値は学科ごとにばらつきはあるが、平均的に見て低すぎることもない部類だ。それもあって東都では進路先に迷ったら米花を選ぶ学生は少なくない。かつて自身が通っていた帝丹高校からも進学した同級生が何人かいたことを覚えている。新一は事前に芦原からもらった今期受講している授業のコピーを広げた。いくつか丸をつけた講義は現在わかりうる範囲で新条も取っている授業だ。重なっているものは少なくとも三つあった。そのうちのひとつが今日、月曜三限からの社会保障論だ。聞けば他学科の生徒も多く受講しており、出欠もカードリーダーでの確認のみ。大教室での授業のため紛れこんでも怪しまれるリスクは一番低い。
     新一は教室に入ると迷わず最後列に近い座席を取った。後方にいくにつれて高くなるつくりの階段教室は全体を見渡すにはうってつけだ。新一は出入り口を注視しながら、すでに室内にいる旨を芦原へ連絡した。程なくして携帯が震える。「もう着く」とのことだった。その言葉通り五分もしないうちに芦原は友人と連れ立って教室へ入ってきた。楽しげに会話を交わしながら目の端でこちらを見る。二人は教卓の前を通り過ぎ、中央列まで進んだ。そしてまだ空いている通路側の座席に腰掛ける。つまりこの授業における彼女の大体の定位置はあそこなのだろう。
     授業の時間が近づくにつれて閑散としていた大教室はどんどん人で埋まっていく。さて、あとはターゲットを待つのみだ。新条の外見は身辺調査をした際に写真を入手している。そして必ず芦原より後方の座席を取ることも。それを踏まえると新条はあえて芦原に気づいてもらえる可能性が高い席を選んでいるのだろう。相手に印象を植えつけようとしているのかもしれない。
     授業が始まる間際となれば当然人の出入りが激しくなる。新一は眼鏡のつるに指をかけ、出入り口へ目を凝らした。数人の学生が戸口で団子のように固まって話題に花を咲かせている。すると学生たちの間を縫うようにして一人の男が室内に滑りこんできた。照準を男に合わせて顔がはっきり見えるまでズームしていく。襟足にかからない黒のマッシュショート、切れ長の黒い瞳に口元には黒子がふたつ。新一は端末にある写真と見比べた。間違いない。あいつが新条吉隆だ。新条は迷うことなく教室中央の座席まで足を進める。芦原のすぐ横を通り抜け、二列後ろの席に座った。彼女の座席とは対角線上にある場所だ。なるほど、些細だが嫌がらせには実に効果的だ。振り返れば必ず見えるということか。
     間もなく本鈴が鳴り、教授が入ってきた。黒板を滑るチョークの音と年老いた教授の嗄れた声が広い教室に響く。新一はノートを取る振りをして芦原と新条の動向を盗み見た。しかしいくら確かめようと新条はごく一般的な学生と同じく板書しているだけだ。なんのアクションもない。結局その時間はただ黙々と彼はノートへ向かっていた。そして終礼が鳴ると同時に荷物を纏めて、すぐに教室から出ていってしまった。
     日を改めて他の重なっている講義に潜りこんではみたが、新条は非常に模範的な学生だった。問題視する行動や発言もなければ、特定の宗教や思想にのめりこんでいる様子もない。ましてや芦原を家まで付け回したりもしない。ただひとつ異常なのは必ず芦原のいる授業では彼女の数列後ろに座り、目が合う位置に座席を取ること。それだけだった。

     どうしたものか。新一は学内に設けてあるカフェテリアで頭を悩ませていた。新条をストーカーと言うにはいまいち決め手に欠ける。ここ数日、学内・学外における彼の動向を見張ってはいたが、特段怪しい動きはなかった。そもそも彼女に接触を試みるどころか、危害を加える様子もない。新一とて本分は学生だ。三年生でいくら授業が少ないと言っても、新条がなにかしらの行動を起こすまで毎日こちらに通い詰めるわけにもいかない。本来であれば高木や佐藤など馴染みのある刑事に相談して生活安全課に取り次いでもらうべきだろう。しかし現状を伝えたところでおそらくパトロールをしてもらうのも難しい。神経質になりすぎているのではと追い返されるだろう。正直なところ過去の事件のことも含め、彼女自身が過敏になりすぎているきらいはある。だが、明白なストーカー行為はないにせよ新条が意図をもって彼女に近づいているのは疑いようもない。早めに解決しなければ行為が次第にエスカレートする可能性は大いにある。そう、問題は眼前にあるのだ。しかしどうにも活路が見つからない。新一は大きく溜息を吐いてカウンターに突っ伏した。
    「すみません、お隣いいですか」
    「ああ、どうぞ」
     足元にあるデイパックを引き寄せて、新一は慌てて横に椅子を引いた。邪魔でしたよねと顔を上げて思わず固まった。手先が冷えていくのがわかる。ごくりと唾を飲みこんだ。見覚えがあるどころじゃない。ここ数日飽きるほど見た顔だ。隣に腰かけた人物は他ならぬ新条吉隆その人だった。
    「俺の顔になにかついてますか。……工藤新一さん」
     ぞわりと総毛立った。知られている。新一がこの男を探るべく大学に潜りこんでいることをおそらく男は知っているのだ。直感でそう思った。
    「そんな怖い顔しないでください。別になにもしませんよ。それより……俺に訊きたいこと、あるんじゃないですか?」
    「……芦原桃子さんのことをご存知ですよね」
    「芦原……写真があればわかるかもしれないですけど、名前だけではちょっとピンとこないなあ」
     わざとらしく新条は考えこむ仕草をして苦笑いを浮かべた。自分から吹っかけてきたくせにしらばっくれる男に苛立つ。新一は捲したてるように口早に続けた。
    「知らないはずがない。四年前、あなたはその事件のせいで母親を亡くしている」
     そこには怒りも悲しみもない。感情がなにも乗っていない。空虚な色をしていた。先手を打ったのはこちらのはずなのに逃げ場がない。新条が切れ長の目を細めると、まるで爬虫類が獲物に狙いを定めるようだった。
    「いやあ、さすが平成のホームズだ。よく調べてありますね。……確かに彼女のことは知っています。あの事件の被害者遺族であることも。でもまさか同じ大学に通っているとは思いませんでしたよ。たまたま今期授業が重なって初めて気づいたんです」
    「……いつも彼女より後ろの席を取り、振りかえれば目が合う位置にいるのも偶然ですか?」
    「それこそ偶然じゃないですか」
     新条の答えには焦りは見受けられなかった。肩を竦めて「そろそろ行かないと」とカウンターテーブルに置いたクラッチバッグを摑み、椅子から立ち上がる。
    「次の授業があるのでこれで失礼しますね」
     新一はカフェテリアから出ていく男の背を睨んだ。新条について自身の認識を改める必要がある気がした。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺🙏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    mori

    MAIKINGめぐゆじになるものを書きかけのまま発見されたので…
    当時と今じゃちょっと解釈違う気がする
    無辜 人間性に絶望してはならない。我々は人間なのだからと、かのアインシュタインは言った。だがどうして、人間というものはこんなにも愚かなのかとつくづく思うのだ。
     人間の醜悪さは何度も目にしてきた。もちろん伏黒は自身を清廉潔白だとは微塵も思っていない。だとしても呪いを生み出すのは他でもない人間だ。人間が生み出したものを人の手で祓う。つまるところ最初から破綻している。
     破綻はしているが、祓わなければ呪われる。害を成すものだ。呪いを受けることが因果応報の人間もいれば、中には理不尽に呪われて人生を捻じ曲げられて悲惨な運命を辿るものもいる。

     伏黒恵はどちらかと言えば人間が好きなほうではない。
     周りにいた大人はろくでもないのばかりだったし、それでもまだ力を持たぬ子どもがクソみたいな世の中で生きていくためにはそのろくでなしたちの思惑通りになるしかなかった。そんな折にデリカシーも常識のかけらも感じさせない白髪の男、五条悟が現れた。五条は禅院家のことを帳消しにしてくれた。だがそううまい話があるわけがない。将来伏黒が呪術師として働くことを担保として金銭面の援助をしてくれることになった。馬鹿馬鹿しい。どいつもこいつも反吐が出る。当初はそう思っていた。
    1968

    related works

    recommended works