右手の熱はいずれ カランド貿易の一員、コードネームはクーリエ。名前に関して一切の記載がなく、本名があるのかも分からない。
イェラグを支配する御三家の一角であるシルバーアッシュ一族の長、カランド貿易の社長でもあるコードネーム、シルバーアッシュを誰よりも信頼と敬愛を以って仕えるイトラ族。
彼の体躯は中背だ。しかし筋肉は隆々とまではいかずともしっかり付いてるのに威圧的でない。むしろ艦内で配達する姿は軽やかそのものだ。
彼と知り合って数週間。
ドクターは自分の体の状況や人間関係、肩書きにふさわしい行動をとれているか──つまるところ、『ドクターとしてうまくやれてるか』など俯瞰し把握する為に彼が自分のそばにいることが最適解だと直感しそれに従った。
率直でかつフラットな意見が欲しかったからだ。
秘書の話が出た時、真っ先に彼を指名したのはその為でもある。
今でもあの日のことを鮮明に思い出せる。
「クーリエ、君を秘書に指名してもいいかい?」
突然の指名だったろうに、彼は顔をきょとんとさせたあとすぐに居住まいを正し「かまいませんよ」と二つ返事をくれた。
「では、雪境のクーリエがこれよりあなたの護衛を勤めますね。改めて、今日からよろしくお願いします、ドクター」
甘みある優しげな声音。
愛らしさと静けさが同居する薄いブルーの瞳。
親しみやすさと人懐っこい笑顔と、差し出された右手。
つくりものめいたものを一切感じなかったことにたまらず拍手しそうになって呆けた。その場に立ち合った者の中でドクターの心境に気づいたのはアーミヤぐらいだろう。
ぎりぎりの薄い膜で覆われた向こうにある本心はわからないし、知ることもないだろうがかまわない。
嘘ではないその態度に彼を選んで正解だったと確信し差し出された右手を握った。
「こちらこそ。ありがとう、クーリエ。よろしく頼むよ」
アーミヤの隣で「勝手なことを」と雄弁に訴えるケルシーの視線は無視をして。
フラットな視界。中立な意見。
何よりも至上とする者を持った人間の、立ち入りすぎない情を兼ね備えた人材に感謝だ、と自分よりもずっとあたたかな右手から伝わる温度に、彼とならそこそこうまくやれそうだなと思ったのだった。
──実際、フラットで中立でかつ的確な意見やアドバイスを彼は伝えてくれる。ドクターの見る目は間違っていなかったのだ。
だが、彼の態度。長年の間に染み付いた処世術。あの営業スマイルに慣れてきた最近、あることに気がついた。
恐らく彼は自分を好ましく思ってない、ということに。
「むしろ嫌われてるかもしれない」
ぼそりと呟いた言葉はマスクの中でやたらとこだました。
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