ドライブデートするナオ武①「海見に行きたくない?」
「……海、ですか」
タケミチ君がどこかに行きたい、と言ったのはそれが初めてだった。
考えてみたらボクたちは、改まって二人で外出したことがなかった。なぜなら自分の仕事は、休みが休みで無くなることが多く、先の約束をするのを何となく避けていたからだ。
時間が空けばタケミチ君に連絡はするが、ほぼ部屋から出ずに逢瀬は終わる。
部屋ではダラダラとタケミチ君はゲームをして、ときどきボクに近づいて触れてきたり、その流れでキスをして服を脱がせあったり、身体を重ねたりしていた。
「たまにはさ、外行こうよ。海行きたい」
「……はあ、江ノ島とかですか」
タケミチ君は、「ちょっと人が多そうだな」と江ノ島に乗り気ではなかった。人なんて何処に行っても多いだろう。いろいろ候補をあげて、結局、地方の人が少なそうな海岸までドライブすることになった。
「次の休み、忘れんなよ」
そう言ってボクに笑いかけてくる。
タケミチ君は外出の予定を楽しみにしているようだった。今まで、部屋の中ばかりで会っていたことに少しだけ罪悪感を感じた。もう少し、付き合っている恋人らしいことをするべきだったかもしれない。今からでも挽回しようと誓った。
でも、世の中は非情なもので、珍しく約束をしたときに限って仕事が立て込む。組対4課の若手というだけで、暴力団の喧嘩の仲裁に呼ばれ、後始末をさせられる。すべてを片付けて家に帰れたのは、タケミチ君と約束した時間だった。
「……今日はやめとく?」
「いえ、行きましょう。せっかくですから」
タケミチ君は遠慮がちに助手席に乗り、「大丈夫か?」と心配してくる。
「この程度のことは慣れています」
「……オレが運転できたらいいんだけど。悪い」
「謝る必要はないです。本当に無理だったら行きませんから」
「うん……」
そんなやり取りをして、車内には気まずい空気が流れた。タケミチ君はそれ以上は特に何も言わず、シートに身体を預けた。静かなタケミチ君は珍しい。海に行きたいと言い出したことを後悔しているように見えた。これはまずい。せっかく、タケミチ君を喜ばそうとしたのに裏目に出ている。そんな、あまり良い雰囲気でない状態でドライブはスタートすることになった。
でも、車が走り出せば、タケミチ君も次第に楽しそうな顔をしてきた。窓を開けて、外の風を楽しんでいる。
「どうして海なんですか」
「……んー何となく。目的地が海ってなんかいいじゃん」
タケミチ君から身のある答えは期待してなかったが、それにしても目的が不明瞭だ。一応、ボクも周辺の観光スポットを調べておいてよかった。どうせ彼は前もって準備などしてないだろうから。
座席に投げ出されたタケミチ君の手を、チラッと見た。運転中ではあるけど、少しの間なら手を握ることはできる。付き合いはじめてからタケミチ君と手を繋いだことはなかった。部屋の中で手を繋ぐほど浮かれた性格ではなかったし、屋外でわざわざ手を繋ぐような機会もなかった。
「……タケミチ君、あの」
「えっ、何? 疲れた?休憩するか」
手を繋いでいいですか? そう聞こうとした。でも、タケミチ君はそんなことを全く考えてなさそうだった。
断りなんて入れずに、さっさと手を握ればよかった。一度、機会を逃すと言い出しにくい。
「……いえ、お茶取ってもらっていいですか」
いいよ、とタケミチ君はキャップを取って渡してくれた。
「フリスクとかいる? 眠気覚ましに」
「じゃあ、お願いします」
ケースからフリスクを取り出して、「口開けて」とボクの口に直接入れてきた。タケミチ君の指が唇に触れて、すぐ離れていく。
「今の、オレすげぇ恋人っぽくない?」
はしゃいで笑うタケミチ君を横目で見ながら「そうですね」と返しておいた。
これがタケミチ君にとって恋人らしい行動なのか。心の中でメモをしておいた。
正直言って、デートとは、恋人とは、何を持って正解なのかわからない。恋人らしいことなんて今までキスとセックスしかしていない。いや、それで十分だろう、本来は。でも、今日は何とかデートで正解を出したかった。
「先に水族館に行きましょう。そのあと、展望台に行ってから砂浜を散歩しますか」
「ナオト、スケジュール決めてんの?」
「目的がないのは苦手なんです」
「……あっそう」
タケミチ君は、いいとも、悪いとも言わず前を歩いて行く。もしかして、何か彼なりに目的があったのかもしれない。
「行きたいところがあるなら言ってください」
「……ん、ないよ。行こう」
水族館は家族連れが多く、男二人は少数派だ。イワシの大群の水槽を眺めながら「うまそー」と言うタケミチ君の顔を盗み見る。肩は触れるくらい近いが、とても手を繋げるような状況ではなかった。
「魚見てると寿司食べたくならない?」
「……情緒ってのがないですよね、タケミチ君は」
ボクたちは順番に展示を見て回った。
深海魚のコーナーは暗く、人も少なかった。手を繋ぐチャンスのはずなのに行動に移せない。時間が経つにつれて、ボクはタケミチ君に触れるきっかけがわからなくなっていた。
タケミチ君は楽しそうに水槽を眺めている。でも、いつもより静かな気がした。何か考えているような、タイミングを見計らっているような空気を感じる。
ふと、もしかしてボクに話したいことがあるのかもしれない、と思った。海に行きたいなんて言い出して、おかしいと思っていた。海、それは犯人が自供する定番。もしくは別れ話をする定番……。
別れ話なんてありえない、と言えるような自信はなかった。そもそも、姉の彼氏だったタケミチ君のことをずっと好きだったのはボクだ。今ボクは、絶対に手に入らないと思っていた人と一緒いる。最近はタケミチ君が隣にいることに慣れすぎて忘れていた。本来ならこれは夢と言っていい状況なのだ。そう簡単に手放してたまるものか。
水槽を眺める彼に近づいて、耳元で囁いた。
「……タケミチ君」
「なんだよ」
「せっかくだから、手を繋ぎましょう」
そう言ってタケミチ君の手を握った。重なる指先は少しくすぐったい。突然手を繋いだせいか、タケミチ君の頬はみるみるうちに赤くなっていった。
「……いいけどさ。急にどうしたんだよ」
戸惑っているタケミチ君に、黙って微笑み返した。暗い室内でも、首筋まで赤くなっているのがわかる。そんな反応をされるなんて予想していなかったから驚いた。さらに指と指を絡めるように手を繋ぎ直したら、ビクっと指が動いた。
「手、繋ぐの初めてですね」
「うん……」
目を合わせずにタケミチ君は頷いた。タケミチ君のあまりに新鮮な反応に、自分まで頬が熱くなってくる。気持ちを整えるために気づかれないように小さく深呼吸をした。
このままだと人目を憚らずに、何かしてしまいそうだった。