恋せよ、獣(雷コウ) 終わった後にいつも苦々しい後悔に苛まれる。そういうことをしたかったわけではないのだ。シャワー室から出てきたばかりの雷我はそんな事を思いながら、シーツがくしゃくしゃになった白いベッドの上で背中を丸めている男の背中を無言で眺めた。
タオルでごしごしと一、二度拭かれただけの濡れ髪は、未だ乾きもせずにぽたぽたと小さな音を立てて柔らかいホテルの床に雫を落とす。そんなか細い音すら響く様な静寂。
ベッドの上の男は相も変わらず俯いたまま。おそらくこちらがシャワー室から出てきたことい気が付いているのにも関わらず、申し訳程度に掛けられた薄いシーツを頭から被って手首を摩り続ける。そこには赤くなって熱を持つ拘束の痕。
手酷く抱いた自覚はある。というよりもわざと手酷く抱いた。死んだみたいな面にカミサマの仮面を貼りつけて、夢をハンデッドの繁栄だとか大層なことを抜かすこの男に、お前はただの人間だと思い知らせたかった。いつも泣きそうな面をしてるくせに絶対に泣かないこの男をぐずぐずに泣かせてみたかった。
薄い皮膚をなぞって、一番柔らかいところに触れてしまえばそんな仮面なんてすぐに引きはがせると思っていたのに、存外にこの男は強情で。何度も体を重ねていくうちに慣れてきたこの男に合わせるように、やり方はどんどん手荒くなった。
ただの人間として泣いているこの男が見たかったのだ。何にも傷つけられない、穢れないと思っている男を地に落としてみたかったのだ。だからと言って泣いているところも、傷つけられているところも、穢れたところも本当は見たくないだなんて我ながら矛盾している。
手首をベルトで縛ってベッドに押し倒して、鞄に入っていたタオルで色の違う宝石みたいな目元を覆い隠したところでその頭の小ささに驚愕した。
一回、二回。体力の続く限り抱き潰してやろうと思って乱暴に扱って、三度ほどこの男が精を吐き出したところでコトンと意識を飛ばしたのを見届けてナカから自分を抜いた。苦痛か快楽か、意識を飛ばした原因など前者に決まって決まっているしそのように抱いているのだけれども、心のどこかで後者ならいいと思っている自分がたまに阿呆に思える。
完全に落ちたのを確認してから腕と瞳の拘束をはずしてやる。きつく縛ったつもりは無かったのにそこは真っ赤に腫れて酷く痛々しい。外したタオルは水分を含んでぐっしょりと湿っていた。
簡単に身体を拭いてやってその体にシーツをかけてやる。もう成長も見込めないだろう小さな体はすっぽりと真っ白なシーツにおさまってしまった。ギラギラといつもこちらを真っ直ぐと射抜く瞳は閉じられていて、願わくばこのまま朝まで目覚めなければいいと思う。
そう思ったのに、シャワー室から出てくれば男は既に目を覚ましていた。そのままこちらに視線一つ寄越さないままベッドに蹲り続ける。
「……いてぇの?」
自分がやった癖になんて無責任な言葉だと思う。痛くしたのは自分なのに、痛がっている様を見るのは好きではないなんて虫が良すぎる。
「……おかげさまで。痕になってしまったがどうするんだ」
「……んなもん、服着てりゃあわかんねぇよ」
あんなに暴きたかった真っ白な衣服の下の生身の体。暴きたかったくせに他の人間には見せたくない。
「……そうだな」
曝け出してやったと思う瞬間と、何もかもわからないままだと思う瞬間が交互にやってくる。今の返事の真意だったり、こうやって手酷く扱われることがわかっていても呼びだせばほいほいホテルにやってくるこの男の行動だったり。
自分が酷い男だと言うのは自覚している。けれどこの男に、性欲処理だけのために誰でも抱ける男だと思われるのは心外だなんていうのは酷く我儘な感情だと思う。
「……君は、サディストというやつなのか」
お互いに間を開けながら慎重に続けていた会話のキャッチボール。それが突然あらぬ方向へとボールが投げられた。は?と漏れた声は完全に意表を突かれて素の声だった。
「サディスト、ってなんで」
「なんで、と聞く方がおかしくはないか?」
視線を向けないままに伸ばされた両腕に残る蛇みたいな赤い痣。それを見せられてはさすがに言葉は出なかった。
「……和食君が、私のことを考えてああいう抱き方をするのはわかっているが、」
ぼそりと呟かれた言葉に心臓が跳ねた。
「和食君が、割と私の事を好きだとということもわかっているが、」
そんなことはない、と反論しようとしたのに喉の奥に何かがつかえてうまく声が出ない。何もかも勘違いだ。察しのいい大人を気取らないでくれ。
「……こういう抱き方ばかりされて、癖になったらどうしてくれるんだ」
ミルクティー色の髪の毛がシーツから零れ落ちる。真っ白なシーツを頭から剥がしてこちらを見つめる色の違う二つの瞳は、どちらも泣いていたせいで僅かに赤く染まっている。まだボロボロに泣かされた余韻が残っているのか眼球には薄く涙が滲んだまま、赤い鼻をスンスンとならしながら口をへの字に曲げてこちらを睨んだ。
ガツンと後ろから鈍器で殴られたような衝撃に足元が揺れた。腹の底の方からぐらぐらと湧き上がったのはさっき嫌と言うほど発散した性的衝動で。確かに感じたのは加虐性愛。
こっちこそ癖になったらどうすんだよ。そう叫びたいのを壁を殴って抑え込む。ホテルの薄い壁は穴こそ開かなかったものの大きな音を立てた。
「俺、好きな相手には優しくしたいタイプなんで。アンタが素直になりゃあいいんだろ」
狼狽したせいで、その言葉が、言外にアンタが好きだと言ってしまっていることに雷我は気づいてはいなかった。