証「ぐっ…うぅ……?」
武道は腹部の重苦しさに、ぼんやりと昼寝から目を覚ました。
武道は先日、レンタルビデオ店の平社員から店長に昇進したばかりだが、名ばかりの管理職の役割は主に出勤簿の穴を埋めることであり、生活は不規則の極みと言うべき惨状であった。
一方、龍宮寺たちと共にバイク店を営む万次郎もなかなかに多忙な日々を送っており、同棲しているとはいえ、ここ最近は共に過ごす時間の少ない毎日である。
そんな中、今日は久しぶりに互いの休日が重なるため、昼前に食糧などの消耗品の買い出しを終わらせ、午後からバイクで流しにでも行くか、と予定を立てていた。
公正なるじゃんけんの結果、珍しく敗北し、買い出しに出掛けた万次郎の帰りを待つつもりが、いつの間にか寝入ってしまったようだ。まだ覚醒しきっていない意識の中で視線を彷徨わせると、自身では掛けた覚えのない薄い毛布と、この世で一等大好きな人が眠っている姿が目に入った。自分が床で大の字になり、爆睡している間に万次郎は帰宅しており、毛布まで掛けてくれたようだ。唯我独尊、傍若無人と謳われた元総長様にこうして世話を焼いて貰うことは気恥ずかしくもある一方で、愛されている、という確かな充足感を与えてくれる。
そこまではいい。
しかし何故、万次郎は武道の腹を枕代わりに、つまり武道に対して垂直な方向に寝ているのだろうか。
武道が目を覚ました原因である腹部の重さの正体は、万次郎の頭部であったらしい。あまりにも謎なその体勢に、武道の脳内は疑問符で埋め尽くされた。
そもそも成人男性の腹なんぞ、高さは微妙だしさして柔らかくもなく、さほど枕に適しているようには思えない。運動不足と好物であるポテチの合わせ技によって多少腹回りの肉付きが良くなっていることを加味しても、である。
しかしながら、万次郎は武道が多少身じろぎした程度では起きない位よく眠っているようであった。
その穏やかに緩んだ顔をぼんやりと視界に映しながら、武道はふと、かつての鮮烈な日々に想いを馳せた。
己の無力さに泣き叫びたいような惨めな日も、もうどうしたら良いのか分からずに絶望に沈んだ日もあった。それでも自らを奮い立たせ、幾度となく立ち向かうことを選んだのは、繰り返す時の中で、自分にとってかけがえの無い存在へと変化していった万次郎が幸福に生きる未来を掴みたかったからである。
正直、かつての自分は大人になった万次郎のこれほど穏やかな顔を、こんな距離で見られる日が来ようとは思っていなかった。“幸せに生きて欲しい”とは何度も何度も願ったけれど、その道のりはあまりにも困難で、彼や自分の“幸せな将来”がどんな形をしているのか、具体的に想像することはとても難しいことであったので。
あの頃の自分たちに、最終的に君たちは将来を誓い合って共に暮らすことになるんだよ、些細なことで喧嘩して、千冬やドラケンくん達に怒られたりだなんてしながらも、2人寄り添い合って生きていく未来が待ってるよ、なんて伝えたらどうなっていただろうか。ありえもしないことを考えて、武道はふにゃりと笑みを浮かべた。万次郎の穏やかな寝顔が、たどり着いたこの未来が素晴らしいものであることの、何よりの証明に思える。繰り返した日々の何もかもが、決して無駄では無かったと思えるほどに。
人間の頭部は結構な重量があるので、それが乗っている腹部は相変わらず苦しい。元々の予定を考えれば、万次郎を起こして出掛ける支度をすべきである。
けれど。
まァいいか、と武道は思った。デートに行くことだって勿論大切だけれど、今、万次郎が武道に身を預けて安らいでいる事実もまた、同じくらい大切で愛おしく思う。そんな彼を起こしたくは無かった。
デートの予定は、また今度たてよう。仕事ももっといっぱい頑張って、この人ともっといっぱい、同じ時間を過ごせるように努力しよう。
そんなことを考えながら、武道は再び瞳を閉じる。自分の身体の頑丈さが、こういうときにはありがたい。腹部に感じるちょっと苦しいくらいの重さに、どうしようもなく幸せだなァと、眠りに落ちていく思考の中で思った。
なお武道はこの後、夜になってから目を覚ました万次郎に叩き起こされ、途中で起きたのなら何故自分を起こさなかったのかと文句を言われ、深夜のツーリングに飛び出すこととなる。それだってやっぱり、幸福な日々の証なのだけれど。