7s/月太ちゃんから見た遊我くん　うしろから覗き込む。いつもどおりめちゃくちゃだ。めちゃくちゃっていうのは、書き方だけじゃなく、言語のことで……いや、プログラムはぜんぶ言語だけど……ソースコードのベースが英語だけじゃなく、ラテン語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、スウェーデン語、ヘブライ語、アラビア語、日本語や、韓国語に、北京語、果ては絵文字まで使ってるってこと。遊我のＰＣは小指、中指、親指の位置にちいさな操作盤が取り付けてあって、たぶん、そこを使って、使いたい言語にすぐ切り替えられるようになっている。
　ネイルのところで、はじめて遊我のコードを見せられたときには度肝を抜かれた。本人に聞いたら「だって、英語がベースって、誰が決めたの？　つまんないよね」なんて言う「でも、まだまだこれからだよ」とも言っていた。だからきっとまだ言語を拡張してるだろう。というか、既存の言語をつかっているかもあやしいけど。今だって、個人ブログやソーシャルネットワークなんかのサービスから日常言語や私的言語から単語と思わしきものを抽出し、辞書に載ってないものがあれば『新しい辞書』に登録して、なにやら参考にしているらしい。それだけの処理をできるパワーがこの研究所にあると思えない、たぶん、どっかのコンピューターで勝手にジョブをやらせてる。自作のマシン、ＱＷＥＲＴＹでもＤＶＯＲＡＫでもないオリジナルのキー配列、原形を留めていないマウス。ユークリッドの平面幾何に依存した『文字』を使うことすら、キュークツと言い始めるのだって、もしかしたら、そう遠くない。連続性を守ったり守らなかったりしながら変形する３Ｄが並ぶコード画面なんかを想像すると、気持ちが悪くなってくる。
　ネイルのコードは、一本の筋に丁寧な螺旋を巻いていくみたいで、美しいとすら思う。リズムが一定している音楽だ。ゆっくりと落ち着いた心臓のビート。ネイルがなにか歌っていると思ったら、完全数と、そのあいだの友愛数をつぶやいていたことがあった。ネイルはそういう、無限の中にある完全を探すことが好きだ。誰かから人類に与えられた、数字という、この宇宙のデコード・ギフト。万象の中に等しく偏在するオリジナル。それがたぶん、ネイルのセツリ。
　だけど遊我は、コンパクトな真理だとか、一本の筋だとか、一定だとか、そういうものを好まない。ハードもソフトも貫き支える大きな柱をまず抜き取って、ぜんぶをばらばらに破壊するところから、こいつは始めてしまう。ロード……王……いや、道だなんていうけれど、道っていう言葉から想起されるほど、遊我は一本のまっすぐな道を行くようなやつじゃない。猫山のやつじゃないが、空間と名のつくすべての場所に、道としての可能性を重ね合わせてる。ひっくり返せばどこもを好きに道にできるように、安定しない可能性を見てる。
　ネイルのコードを見たときは感動して、見とれてしまった。遊我のときも、まあ、感動した。ただ、まったく別の方向に。こいつは間違いなく頭がおかしい。時代を変えるのはいつも狂気と紙一重のやつらだということを考えたら、そう、遊我は本物の天才なんだ。
　遊我のコードは、めちゃくちゃに重ねあげた塔だ。この研究所にあるのと同じ。ぎょっとするほど巨大で、作り手の思考が散らばっていて、意味の分からないことに圧倒される。無駄も多いし、そもそも、どうして安定しているのかわからない。今にも倒壊するかもしれない。そして、その倒壊までを含めた不安定をも期待しているかのような、じわじわ歪んだＢＰＭに裏打つように透ける遊我の意志。自分でも予想がつかないように壊れて欲しがってる。そこからまた、未知の新しい何かが生まれることを期待してる。
　オーティスとかいうやつに、ロアは選ばれなくって、遊我が選ばれたってこと。俺はちょっと、実は、ほっとしてる。ロアのやつにゃ言えないけど。俺みたいな凡人に言わせれば……こんな遠いところまで一人で来て、笑顔のまんまで周囲をめちゃくちゃに作り変えるような力は、無いほうがいい。そんなことが出来ちまったら、誰にも追いかけることができなくなる。