この小さな手を守れますように「私では実力に不足かね?」
ヒュンケルとクロコダインの説得で一時同行を承諾した男は、その存在で場にいる人々を威圧した。
この男か。我がリンガイアを壊滅に追い込んだのは。
怒りに先んじてバウスンの全身から震えと恐怖がこみ上げる。
動揺を抑え込む為に無理に深呼吸し、視線で我が子の様子をうかがう。
幸いにして先日のような跳ねっ返りはしないでくれるようだ。
故郷の敵だと理解しているだろうが、口にださないだけの分別を働かせているのに安堵する。
まあ声もでないというのが実際の所だろうが。
会議室にいるメンバーの中で魔法使いの少年は威圧を受けた途端腰が抜けたようだ。
ただ一人勇者ダイだけがレオナ王女による魔宮の門への同行に反論したが、彼女に外堀を埋められプィと横を向くことで不満を露わにする。
不満と反発をあの恐ろしい男の前で素直に表す少年勇者が、我が子より更に幼い事に今更気づく。
ようは無意識に父親に甘えているのだ。
まだ小さかったノヴァが、ボクもう大きいもん、できるもんと主張する、幼い身に合わない事を大人の判断でやんわりと止めるときの、反論の言葉が耳に戻ってきた。
真剣を持ちたいなら木刀で連続千回素振りできるようになってからにしなさい。 騎士団の入団試験を受けたいなら……いつしか求める条件を軽々クリアして北の勇者と呼ばれるようになった息子は父の声に耳を傾けなくなった。
しかし、勇者パーティに傲慢なセリフを吐き単騎サババへ飛び出した息子の命が救われたと聞いた時は、残り少ない人間勢力を損ないかねない失態に対する失望よりも、良く生き延びてくれたと膝が震えるほどに安堵が勝った。
まるで、登るなと言いつけた木から落ちて折れた手に治療をしたときのように。
何日も続いた高熱が下がったときのように。
この小さな手を守れますように。
妻を亡くしてから神に祈らなくなり、己の心に言い聞かせてきた言葉。
既に剣技も魔法も父を越えた息子に対して、それでも願うことは止められないのだ。
短い打合せが終わるとそれぞれが成すべき場所へと散らばるが男は会議室の隅に立ったままだった。
ダイも所在なげに壁を見つめたまま動かない。
そこへポップが寄り添い、ダイの二の腕をなだめるようにさすりながら、ヒュンケルの様子を見に行こう、そうしたら明日のために早く寝ようと話しかけた。
ダイの男に対する反発心を、兄弟子への心配で上手くそらしたポップはそっと通路側にダイを押しやり並んで歩き出す。
ダイは今の今まで拗ねていたとは思えない屈託のない笑顔をポップに向け、肩を抱く彼の背中に回した小さな手は戦塵にまみれたマントをキュッと握っている。
信頼と共感と安心と。二人の絆が僅かな遣取りから垣間見えた。
それを無言で見つめる男に対してバウスンは僅かに溜飲が下がった。
見たか。お前の息子はお前との血の繋がりよりも魔法使いとの絆に全幅の信頼をおき、傍目も憚らず心をよせてみせるのだ、と。
以前聞いた魔王軍との交戦状況報告のなかで、勇者ダイと魔法使いポップ、竜騎将バランの因縁は一際目をひいた。
テランで息子の記憶を奪い身柄を奪還せんとした男に、ポップは我が身ひとつで足止めする為に立ち向い、兄弟子と共にその配下を破った。
そして満身創痍のパーティの中で唯一立つことができた彼がメガンテを仕掛け、失敗したもののダイは記憶を取り戻し、ポップと仲間を傷つけた敵として男と壮絶な戦いの後退けたと。
竜の騎士であり、魔王軍軍団長であった男が非力な魔法使いに死の寸前迄追い込まれ、我が子は命がけで己が手を振り解いたのだ。
そして己が一度死に追いやった魔法使いに、我が子がどれほど愛着しているのかまざまざと知ったのだ。
父として、これ程辛いことはあるまい。
今しがた感じた男に対する同情と、ざまを見ろという相反する感情がない混ざりバウスンはつい口に出してしまった。
「貴方でも子は可愛いのか」
言葉にした途端冷や汗が止まらなくなった。
不興を買うどころか地雷に勢いをつけて飛び込む行為だ。
バウスンの焦りを一顧だにせず男は眼を閉じた。まるで見るべきものがなくなったように。
そう、最前線に自ら立つ我が子が無事であること以外に知るべき事は父にはないのだ。
バウスンは男に黙礼すると会議室をでた。
この小さな手を守れますように。
この小さな手を守れますように。
明日は決戦だ。 今日この場にいた者で明日の夜生きて会えるのは何人いるだろう。
この小さな手を守れますように。
祈ることを知らないだろう男の替わりにバウスンはもう一度だけ神に祈った。