君の瞳になりて美しい、と思った。一瞬で心を奪われていた。
人界に下り、初めて過ごした昼と夜は、ただただ新しい世界の色彩と音に圧倒された。
木々の隙間から差す幾筋もの清浄な木漏れ日、一葉一葉を優しく揺らすそよ風、頬を照らす温かな陽光、清流が巌に当たり別れる音。見たこともない色とりどりの新緑、野に咲く名も無き花々、その馥郁ふくいくたる香り。春を謳歌する名も知らぬ鳥たちよ。
魔界にも数は少ないが人界を知らせる風土記が伝わっている。しかしそのどれにも洪水のような音と色彩には触れられていなかった。
人界に下った時、人知れず奥深い森に住み着くようになったのも、この人界の美しさに惹かれたから、と言っても過言ではなかった。
魔界では己の道を究めようとしただけにも拘わらず、要りもしない肩書がついて回って辟易とした。
ついには魔界の神とも呼べる王に懐柔されそうになり、それに嫌気がさして命を賭して背を向けた。
それからは武器づくりも横へ置き、あてもなく流浪する身となった。
魔界の重苦しい薄闇の中、何を成すでもなく、ただ人知れず流れて行った。
人界に何を求めていたのかは、あまり憶えていない。気まぐれな気質がそうさせたのかも知れないし、流浪し続けて枯れ井戸の様になった身体が、清涼な水を欲したのかも知れない。
人界に住み着くようになって数十年、難敵と相対するでもなく、己が求める究極の武器を暇に任せて打つ日々が続いた。時折人里に出向いては駄作と言うべき武器を金に換えて生業とした。
人と交わることもなく、人界の美しさを感じる以外は死んだような日々だった。
更に数十年経ち、再び魂をこめて剣を打つ日が来た。神が創り給うた剣に挑戦する日々は、燻っていた心に炎を纏わせた。
そして…竜の騎士に肩入れしてからしばらくして、人間の若木に出逢った。少年でもなく、かといって大人でもない、特別な騎士でもない、その他大勢のひとりに過ぎないただのヒトの子だった。
軍事作戦の会議中に、あまりの人間の無謀さに思わず老婆心で忠告してしまった。茶々をいれられたのが気に入らなかったらしく、剣を抜き放たんばかりの勢いで応じてきた。
人間は酔狂で戦っているわけではない、お前とは違うと、声変わりしたばかりのような喉で罵られた。己でもそう思った。それでも用心棒を買って出てしまったのは、どういった心境の変化だったか。
作戦中は若木らしい堪え性の無さに時に呆れ、時に助力して共に戦った。若木は敢闘し、人間でもここまで戦える者は少いだろうと肌で感じた。
はじめのうちは実力不足の、口先だけの坊やだと侮っていた。しかしそれはすぐに考え違いだと思い知ることになった。強大な敵を相手に己が生命力を鍛え上げ一振の剣にした若木は、命を捨てて敵わぬ相手に挑んだのだ。
百年以上を費やし、それでもまだ己の為の武器を創れなかった身を恥じた。年端もいかぬ若木が、その命を削ってでも周りに勇気を与えようとする姿に、熱く胸を打たれた。
この若木と出逢って、己もまた打たれるべき鋼であると、そう悟った。光で心臓を射抜かれた心持ちだった。
そうだ。
美しい、と思った。一瞬で心を奪われていた。
肩を刺し貫かれて、儚くも瑞々しい命を、はじめて識った。
君の瞳に映るその禍つ敵を、俺が屠ろう。そして君の瞳に俺を映すがいい。俺は君の瞳でこの世を映す。そして俺はまさに観るだろう。
この儚く美しい人界を。君を。