逝き去りし貴男へ貴男へ
貴男に手紙を書くのは初めてですね。
あの頃は手紙を書くのも届けるのも一苦労。
便箋なんて中々売っていないし、書けたとしても送る手段が限られ相手のいる近くに行く用がある、信頼できる商人や旅人に託すしかない。
その上長旅の途中で紛失したり商売の都合で渡すタイミングが遅れたり、返事は期待しない方が精神衛生上良い位。
手紙に花言葉のような惹句をつけるとすれば「不確実」でしょうか。
それでも人は手紙を書くのです。
相手の為より自分の為に。
そもそも貴男の場合長い間宛先、というか住処が分からなかったですし。
私も修業の為に世界中を旅していましたからもし貴男が私に手紙を書いたとしても届けようが無かったと思えば…あぁ貴男は鏡にメッセージを書けましたね。
あれは任意の「鏡」に映し出せるものなのか、それとも貴男の飼い主がしたように「鏡」と呼ばれる物総てに表れるものなのか…私としたことが確かめられませんでした。
だって魔王からのメッセージが届いたんですよ?慌てて浮足立つのは当たり前じゃありませんか。
そう見えないよう取り繕うのが精一杯でした。
いつでもクールに、客観的に観察し対策を練るなんて若い頃は難しかった。
まだ14才だったんですよ!
貴男あの時何才でした?
ずーっと年上の癖にイキリ散らして馬鹿笑いして竜に立ち乗りしてお城に乗込むなんて。
今思えば恥ずかしいったら、自分の言動じゃないから私に責任はありませんけどはっきり言って黒歴史です。反省して下さい。
〈魔王〉なら一度は〈姫〉を拐うのがお約束だというのはわかります。
ですが女性を誘うときはもっと優しく!決して神への生贄として捧げてはなりません!!
同じ姫ならオトギリ姫となら良い勝負ができたのでは?!
…ああ、貴男なら俺の家来になれと言いながら姫にベギラマやメラゾーマを叩き込むのが目に浮かぶようです。
かく言う私が倒しておいてなんですが、彼女には大切な事を教わりました。
愛には恋には、種族の違いは些細なことであると。
彼女の情熱が、当時の私の心を大いに揺さぶったと言えるでしょう。
誠に残念ながら彼女の思いには応えられませんでしたが、私の内なる想い、恋の埋み火をかきたてられたのは事実です。
マトリフには「とうとう焼きが回ったか」とため息をつかれましたっけ。
彼はとても聡明で察しがよく、世間なれして経験豊富〜勿論恋愛も〜でしたから何度も諭され心配され怒られました。
でも駄目でした。
お祖父ちゃん子だった私が最も心配かけたくない筈のマトリフにどうしても「はい、諦めます」と言えなかった。
ええ、どうしても!
腸をねじ切られるような、胸に大穴が空いたような、今何処に立っているのかもわからなくなる、こんな苦しみをもたらす物が愛だなんて。
毎日朝も昼も夜も眠りの中でさえただ一人を想い続ける狂気が、恋だなんて。
知りたく無かった。でも一度知ったらもう忘れることができない。
恋とは乙女が憂いの眼差しをし、か細いため息をつくことでは無かったのか?
愛とは若者が想いを寄せる女性を我が身を顧みず守ることでは無かったのか?
吟遊詩人が歌い恋物語に綴られた、最後に悲劇が訪れるとしてもなお甘い、誰もが憧れる美しいモノは私には訪れなかった。
最後の悲劇だけはたっぷりと、何度も味わったけれども。
「さてこの手紙どうしましょうね」
書き上げた手紙を封筒にいれ、アバンは封蝋印を押して何度もひっくり返して眺めたがこれ以上できることがない。
だって受取人…受取魔族…魔王?はとうに消えているからだ。私の腕の中で。
宛名は兎も角、宛先は書けない。
魔族のあの世とやらは人間が想像しているのと同じ天国なのか、地獄なのか、はたまた煉獄?
それがどこであれ彼が居ないことだけは確信しているがこの場合白紙でポストへ入れるべきだろうか。
逓信局に無駄な労力を使わせるのは本位ではない、と思い直してまた考える。
彼の身体は灰と化し、天空の城から天へ吹きさらわれたのだった。
ならば極東の国に伝わる「お焚き上げ」火で浄化し煙として上天へ届ける儀式で送るべきだろうか?
已んぬるか哉、現代は戸外で焚き物をすると官憲とご近所さんからお叱りをうけるのだ。
ならば色気も素っ気もないがフライパンの上で手紙を灰になる迄燃やし、換気扇から煙を天に立ち昇らせるしかないか、とため息をついた所で封筒がヒョイと取り上げられた。
「ハドラー いつから居たんですか?」
「手紙を前に何を百面相しているのかと見ていたら声をかけるタイミングが無くてな」
返して下さい、とピョンピョン飛びながら手を伸ばすがエグい身長差のお陰で全く届かない。
「俺宛なら俺が読めば良かろう」
「なっ、なんで貴男宛だと思うんですか?」
宛先は白紙ですよ、と言えば珍しく眉を下げてハドラーは言葉を選ぶ。
「あんな顔をしながら書く相手がオレで無ければ到底許せん」
あぁその声、その表情。ズルいです。
私の一番弱い所にジャストミートです。
これが惚れた弱味というものか。
手紙を持った手の袖をつまみ、俯き頬は真っ赤になっているアバンを軽々と横抱きにしてハドラーは寝室へと向かった。
「そんなに嫌なら読みはせぬ。その代わり口述して貰おう」
寝物語でな、と笑うハドラーは確かに曾ての魔王らしい笑みを浮かべていた。