オフィスでするな「……下、脱がせてもいいか?」
「ん……いいよ、キース……」
お互い、ちょっと盛り上がってしまった。
日々の業務にプラスでアクシデントが割り込んでくる、ここ最近はそういうことが多い。春だから仕方がないのだ。人間もサブスタンスもはめを外したい気分になるのだろう。後者のことは知らないけれど。
忙しさに疲れきったキースは、オフの前夜には酒を入れなければやってられなかったし、抜けきらないアルコールのせいで翌日は泥のように眠ってしまう。いくら体力に自信があるディノであっても、ばたつく時期には何度か共同スペースのソファーでうたた寝したりもした。チームの年長者が二人して休みをとってしまえば万一の際にすぐ動けなくなるから、この時期の休みは基本的にかち合わない。一ヶ月に二、三度がいいところだ。
なので朝晩を共にする部屋は同じであるのに、恋人の睦みあいはなかなか叶わなかった。せめて同衾でもして肌を近くに感じたいとも思ったが、キースもディノもまだ若い。手を伸ばしてすぐの距離に恋しい人がいて、なんにもなく健やかに眠れるほど欲が浅くはなかった。
パトロールの報告書を提出しにブラッド経由で司令に会ったキースはその帰路で、ディノとばったり出くわした。エリオスタワーの無限のように存在する廊下のうちのただ一つで、恋人の姿を見つける。まるで運命みたいな出会いに、キースの我慢の糸が簡単にほつれていった。
「えっ、キ」
「こっち」
暗号文のような短いやりとり。それすら惜しくて、ディノの腕を半ば強引に掴んだキースは、近くの適当な会議室に侵入した。扉を閉めて、そのままディノを強く抱きしめる。彼は一瞬だけ驚いたように目を見開いて、それからすぐに腕を背中に回して応じた。
「キース、キース……会いたかった……」
「いつも会ってんのにな……足んねえよな……」
研修チームの部屋で、寝室で、パトロールの街で。いつでもどこででも二人は近くにいて、話したり食べたり戦ったりを何だってやった。足りないのは汗ばむ肌で交わりあう、ふしだらな夜の時間だけだ。だからこんなふうにリミッターが外れる。
ぎゅうぎゅうと抱きあったのち、互いに合図もなくするりと離れ、少しばかりの隙間を作る。愛しい人の瞳の中に自分の姿が写っているのが分かるくらい見つめあうと、次には唇を重ねあった。先を啄む程度の軽さで戯れたあと、ディノが小さく口を開いて誘うから、キースは容易くそれに乗って深く口づける。
並びのいい歯列をゆっくりとなぞるキースの舌が熱くて、自分で導いておきながらディノは肩をびくつかせた。その様子を鼻で笑ったキースが、引っ込んでいたディノの舌をつつく。懸命に応えようと伸ばされるそれを、さまざまな角度から舐めて嬲ってやる。狭い口腔の中で混じりあう水音が静かな部屋に響いて、耳まで犯されているみたいだった。ディノの息が上がる。
「ん、ふ……あつい……」
「……あついだけか?」
「だけじゃない……きもち、い」
恋人になって、何度もキスをした。すべてが初めての経験であるディノはいつだってうぶな反応を返して、最初にキースが舌を入れたときなんか驚きと恥ずかしさのあまり、わけもわからず酸欠になって目を回したものだ。今じゃ辿々しくも自分から誘って、受け入れて、随分と積極的になった。そのくせ顔を真っ赤にして睫毛を震わせるのだから可愛らしい。
熱を分けあえなかった日々を埋めるような、長い口づけからようやく恋人を解放する。ディノの口の端を伝う唾液が制服に落ちる前に、キースは親指で拭ってやった。へろへろと膝から崩れ落ちそうになるディノの腰を抱いて支えてやりながら、机に座らせる。
「……今更だけど、会議室なんだよな。誰か来ちゃうかな……」
「今日の会議はここじゃねえよ。そんでそれも一時間後。オレはそれに呼ばれてる」
「え、ええ!?こんなことしてる場合か!?」
「ちゃんと出るよ。だからそれまでは……こんなことしてる場合だ」
言いながら、キースはディノのシャツのボタンを順に外していく。すべて開いてもインナーが残っているが、それは手持ち無沙汰なディノの両手に握らせた。銀のネックレスが隠れるくらいまで上げさせれば、胸元が露になる。久しぶりに目に入れた肌に、キースがごくりと喉を鳴らした。
「い、いいのかな……ここで、こんなこと、して」
従順に言うことを聞くくせに、ディノは恥ずかしそうにキースを見つめる。こんなもの建前だけだ。ディノの中の真面目な部分がそう言わせるのだ。期待と興奮で熱を孕んだ瞳に説得力など欠片もありはしない。それでもそんなディノも好きだから、キースは悪人になってやる。
「オレはこの機を逃したくねえ。もう次いつお前を抱けるか分からねえから、今全部触りたい」
お前は同じ気持ちじゃないのか、とはキースは訊かない。余程でなければディノの逃げ道は用意しておいてやりたかった。己の都合で抱いた、そういう名目でもてんで構わないのだ。
しかしディノは誠実で、キースが自覚しているよりもずっとキースのことが好きだった。
「キース、俺も……俺も触りたい、触ってほしい。いろんなとこ、全部キースのものだって、教えてほしい……」
駆け引きを好まない正直者に、キースの勝手な自己犠牲など通じはしないのだ。たくし上げたインナーで口元を半端に隠して、恥じらう表情。ディノ・アルバーニという男は本当に厄介であった。
受け入れてもらえるのならと、キースは積極的に肌に触れた。健康的な上半身に手を這わせて、ゆっくりと隆起をなぞる。背骨のラインに指を沿わせながら、ディノがもぞもぞとくすぐったそうにするのを見て、隙ありと言わんばかりに胸の突起を舐めた。
「ひ、っ!」
「しばらく触ってねえから、ここで感じられるようにまた慣らしとかないとな」
「……や……感じるから、大丈夫……維持、してるので」
維持しているとはどういうことだろうか。キースが一度胸から口を離すと、ちょっぴり言いづらそうにディノが目を逸らして、うう、と唸ってからぼそりと呟いた。
「……え、えっちするとき、キースに面倒だって思われたら嫌だから……その、自分で触って、感覚保ってました……」
「…………めちゃくちゃえろいなそれ……」
「我に返ってそう思ったこともあるんだけど……!ああもう恥ずかしいこの話おしまい!早く触って!」
色気のあるのかないのか、ディノはインナーを持つのを片手だけに任せ、もう片方でキースのふわふわとした髪を雑に押さえつけた。せっかちすぎて思わず舌より先に歯を立ててしまい、キースは慌てて謝ろうと顔を上げ、ディノと目を合わせようとしたのだが。
「……お前なんつう顔してんだよ」
もう一舐めすれば達してしまいそうな、真っ赤に蕩けた表情で、ディノは短い息を吐いていた。
「歯、立てられるの、ぞくぞくしちゃって、俺」
「開発しすぎだろ……オレが時間かけてやる予定だったのに……」
「キース、ねぇ、噛んで、お願い……」
机に座ったままのディノが、せがむようにキースの腰に足を絡ませた。後頭部を押さえていたディノの片手が、首をするすると伝って肩甲骨のあたりで止まる。じわりじわりと急かし、キースの理性が焼き切れるときを待っているようだった。
胸も、うなじも、二の腕も腰も太股も、どこだって噛んで舐めて痕を残してやりたい。明日明後日にはまっさらになってしまう肌でも、ディノが欲しがるのならいくらでも刻んでやろうと思った。
このまま突起を噛んでしまえば、ディノはきっと達してしまうだろう。着替えもなにも準備のない会議室から無事に出るならば、制服を汚すわけにはいかない。もうほつれて機能を失いかけの細い糸がなんとかそれだけを警告するから、キースはディノのベルトに手をかけた。
「……下、脱がせてもいいか?」
「ん……いいよ、キース……」
瞳を潤ませたディノがこくりと頷くのが、本当に可愛い。背に絡ませていた足をほどいて、キースの手で晒され辱しめられるのを健気に待っている。派手なピンク色のベルトのバックルを外し、スラックスのボタンに手をかけた──そこで。
「……お前たち、何をしている」
呆れくさった声色が会議室に低く響いた。我らがメンターリーダー様のご登場である。
「…………」
「……なんか言えよ……」
「……なにか言ってよ……」
「お前たちが俺の立場なら、友人のTPOを弁えない性行為を前に饒舌になにか言えるか……?」
「すんません……」
「ごめんなさい……」
額を押さえて呻くブラッドに、二人が発していいのは心からの謝罪の言葉だけだ。我に返ればなんと大胆な行為になだれ込んでしまったのだろう。恥ずかしくて恥ずかしくて、キースは俯きすぎて旋毛が丸見えであるし、ディノなんか今すぐ能力を使って床を掘って穴に埋まりたかった。余計叱られるし減給ものだろうが。
「本当にごめんなさい……見つけたのがブラッドじゃなかったらもっとおおごとだった……」
「物音が聞こえたのでな……こう言ってはあれだが、俺自身も見つけたのが俺で良かったと心から思っている。気を付けてくれ」
「うううブラッド~!ありがとう……俺もう自分じゃ抑えられないくらいむらむらしちゃって……」
「それは聞きたくなかったな……」
開けっ広げなディノは良くも悪くも正直に物を言うから、彼の発言を聞けば大体の顛末は理解できる。問題は項垂れっぱなしのキースの方だ。こうして彼が黙っているとき、たいていの場合キースが発端である。だから言い訳も説明もろくに出来ずにへこむのだ。
あけすけに言ってしまえば、二人は随分とご無沙汰なのだろう。最近はとにかく状況が忙しなくて、余裕のない勤務体制が続いている。キースもディノも元々が真面目なたちだから、なにかの拍子に箍が外れてしまったのだろう。
このままではいけないとブラッドは腕を組んだ。別に二人が人目のあるところで求めあってしょっぴかれるかもしれない、などという不安があるわけではない。ないとも言い切れないが。
そんなことより、大切な友人たちが愛しあう時間を取れないことが、ブラッドには気がかりだったのだ。懐に入れた人間には甘い。それがビームスの血筋の特徴である。
「お前たち、少し待っていろ」
机に置いていたタブレットをさくさくと巧みに操るブラッドを、キースもディノもただ黙って見つめていた。待つこと数分、とん、と最後に一度指で液晶を叩く音がして作業は終わる。
「キース。お前は明後日がオフだな。ディノはその翌日」
二人が同時に頷いたのを見て、ブラッドは続ける。
「ディノ。明後日の内勤はオスカーが代わりに出る。お前は休め」
「え……オスカーが?」
「勿論、本来オフであった日には出勤してもらうがな……一度二人の時間を作るといい」
この短時間で、ブラッドはシフトを練り直した。メッセージツールでオスカーに詳細を省いた大まかな説明で話をつけ、表を改め、司令に連絡して許可まで得たのだ。その鮮やかな手腕を、友人のために披露した。涙目のディノが立ち上がってブラッドに抱きつく。
「ブラッド……ありがとう。オスカーにもちゃんとお礼する。絶対恩返しさせて」
いいのだ。オスカーだってディノのためならと気前よく承諾してくれた。司令もすぐに返事をくれた。二人がこれまでしっかり勤めたことは誰もが知っているから、皆快く頷く。それだけなのだ。キースがぼそりと「ありがとな」と告げるのを聞いて、ブラッドは自分の仕事にたいそう満足した。
「ふ、その代わりまた近々夜の誘いに乗らせてくれ。俺も忙しくて鬱憤が溜まっている」
「えっ!」
「えっ!」
「……酒の席だ馬鹿者」
頭の悪い話を途中で切り上げ、ブラッドはキースを引きずって、もうまもなくに迫った会議へ向かった。手を振る二人を笑って送り出したディノは、いろんなことが恥ずかしくて嬉しくて、そわそわとした気持ちになりながら今日も夕飯用の宅配ピザを頼むのだった。