イエローウエストの雑然とした路地のうちのひとつ。その端っこで小脇にかぼちゃを抱えて怠そうにしているキースを見て、ハロウィンは先週だよ、と思わずまともに返してしまったディノは悪くない。そしてキースも別に悪くはないので、ため息で返した。
「向こうの角家んとこのガキにもらったんだよ……めちゃくちゃかさばるわ」
「向こうの角家……って、ジョーンズさんのとこ?」
「そ」
出所が判明したかぼちゃを覗き見る。これで煮物でも作ってくださいというお裾分けの線も考えたが、ディノの目に映るのはやはり顔にすべく三角だの四角だのに数ヶ所くり抜かれた、どう考えてもジャックオランタンであった。つまり、多分食用ではない。
本日のパトロールはキースとフェイス、ディノとジュニアで組んでいたため、こうして最後に合流してこれから帰路だ。フェイスはこの愉快な出で立ちと化したメンターと並び歩いていたのだろうか。考えただけでディノは面白い気分になってしまった。
「フェイスに大笑いされたわ。被ったらきっと可愛いよ、つって」
「あはは!確かに被ったら可愛いだろうなあ。ハロウィン二回目やっちゃう?」
「やらね~~よ。つーか下開いてねえから被れねえしなこれ」
「飾り付け用だったのかな。ふふ、ちょっと味のある顔」
フェイスは向こう側で女の子に囲まれていて、ジュニアは荷物を転がしたお年寄りを助けたついでに、近くにあるらしい住まいまで送ってやっている。
彼らが戻ってくるまでゆったり待つなかでの会話。キースもディノも、こういったなんでもない穏やかな時間が好きだった。ちょっとずついびつな顔のパーツが可愛くて、ディノが微笑む。
キースが話すには。このかぼちゃはパトロール中に通りかかったジョーンズ宅の庭先にあったらしい。長いハロウィンだねぇとフェイスが呟いて、キースもそうだなとのんびり返した。まあイベントが終わったらすぐに撤収せねばならぬこともないだろう。旦那の休みの日に一気に片付けるだとか、クリスマスシーズンまでは置いておくだとか、家庭ごとに事情は異なるのだし。
そうして通り過ぎようとした瞬間に、偶然にも玄関の扉が開いた。五、六歳くらいのちびな男の子。くるくるとカールした髪は遺伝だろうか。路地裏に一人でいればものの数分で悪い人間に連れていかれそうな顔立ちをしている。キースも例えが悪い自覚はあった。
子供はすぐこちらに気づいて、ぱあっと表情を明るくした。最初はフェイスの老若男女問わぬ魅惑のかんばせに、幼いながら釘付けになったのかと思ったキースであったが、どうも明確に、視線が己に向けられている。
「あ!片目のおじちゃん!」
「ッフ……!」
フェイスが隣で吹き出して駄目になった。後ろを向いて笑いをこらえているメンティーにじとりと一瞥くれてやってから、キースがしゃがむ。とっとこと小走りでやってくるちびっこは瞳をきらきらとさせて、とても嬉しそうだった。
「片目のおじちゃんこんにちは!遊びにきたの?」
「あ~、おじちゃん今日なぁお仕事なんだよ」
「えー!エディと遊んでくれないのぉ……?」
「お仕事サボるとこわーい人に怒られちまうん…………フェイスお前」
「……かための……んっふふ……おじちゃん……」
駄目になったままのフェイスは置いておき、キースはじゃあなと男児、改めエディの頭を撫でた。そのまま勢いをつけて立ち上がれば、エディもまたぴょんぴょんと飛び跳ね、それから何か思い付いたように目を開いて、庭の奥へと消えていった。子供なんて気まぐれであるから、もう興味が失せたのかと解釈し、キースはフェイスの肩をべしと叩く。パトロールの再開を促せば、笑い疲れた様子のフェイスが吐息のような細い声で返事した。
一歩二歩と、ジョーンズ宅から離れていく最中、あ!と大声が響いた。悪酔いの明くる日でなくたって子供の甲高い声は耳を貫く。反射的に振り向いたキースの視界に、迫り来るオレンジ色の。
「ダメー!行かないで!」
「……?なん」
なんだ、と最後まで言えぬまま、謎の物質は突進してきてキースの鳩尾に命中した。少し横手から見ていたフェイスには、それがエディ少年がかぼちゃを掲げながら駆けてきたことで起こった不運な事故だと理解できた。できたが。
「……っは、だめ、アッハ……ねぇキース、だいじょ……だいじょぶ……?んふふ……」
「ごふ……そっくりそのままお前に返すわ……」
キースもフェイスも膝から崩れて、どちらもおしまいになってしまった。
少年の後ろから追いかけてきた母親が盛大にびっくりして、三者三様のおろおろぶりに、ただただ事故の犯人だけがハロウィンの祭りの夜がまだ続いているかのように、きゃっきゃと笑っていた。
「待ってキース。なんでそんな楽しそうな現場に俺も呼んでくれなかったの……」
「いやおかしいだろ……メンティーが笑い死にしかけてて、オレは子供から攻撃されて動けないから援護頼む、とでも連絡すんのかよ……」
「良い写真が撮れそう」
「鬼かお前」
ディノの無茶振りに額を押さえるキース。だって自分で言っていてももう滑稽さしかないのだ。一連の出来事などなかったかのように離れた場所で群がる女達を相手するフェイスの後頭部を、死んだ目で射る。
「……まあそんなこんなで、詫びの品みたいなもんだこれは」
キースが怠そうに抱えるジャックオランタンを、ディノは改めてまじまじと眺めた。友人がこれを手に入れるに至った背景を知ったあとだと、少しいびつな顔のパーツがなおのこと良い味を醸し出している気さえする。きっと少年が頑張ってくり抜いたのだろう。時に親に手伝ってもらいながら。想像するだけで微笑ましい光景である。
「でも、キース。ちょっと話はしょっただろ?」
かぼちゃから、すい、と真っ直ぐ上がるディノの視線。空色の瞳は同い年の誰よりも丸く純粋で、この眩しさにキースはとても弱かった。それでもちょっぴり、言い淀んだ。
ただ、恥ずかしい部分を避けて説明しただけなのだ。子供に襲撃されて受身も取れず沈んだ、そういう大人としての恥ではない。じわじわとむず痒くなるような感情を渡されたが故に、そこを割愛した。
要は、柄にもなく照れてしまった事柄なのだ。キースが言わなかった部分というのは。
加減を知らぬ子供の力で与えられた衝撃すら、少し経てば癒える。無様な時間が短く済むのは良い。体内のサブスタンスさまさまである。軽く腹を擦りながらキースは、再びエディ少年と同じ目線になるようしゃがみこんだ。
「危ねえだろ~?これがじいさんばあさんだったら吹っ飛んで骨折れてたぞ?」
「ごめんなさい……おじちゃん、痛かった?」
「謝れて偉いな。おじちゃんは鍛えてるからへーきだよ」
「えへへ!すごいね!だからあのときもエディのこと助けてくれたんだね!」
あのとき。笑って告げられて、キースの脳はフル回転を始めた。情報を整理するあいだ、時間を稼ぐようにキースはエディの頭を柔らかく撫でる。くるくるの髪質が手のひらに気持ちいい。
きっと自分がこの子供を助けたのだ。この懐きようだ、間違いない。そして日々新しい発見に満ち、その都度記憶の更新される小さな脳でも覚えている、ならばそこまで昔の話でもないだろう。
片目と言われた。明確にそう認識されているということは、眼帯を伴うヒーロースーツを纏っているタイミングに接した可能性が高い。最近の出動といえば、確か。
えへえへと上機嫌に笑う少年を見る。
あ、と、声が出かかったのをなんとか飲み込んだ。
「……そーだな。あんとき、びっくりしたよな。急に壁が崩れて」
一週間前、すぐ近くの通りにサブスタンスが現れ、パトロール中の研修チームに要請が入った。レベルワン二体程度だと避難も小範囲で、沈静化にも時間はかからない。現場に辿り着いてからものの数分で回収まで済んだ。
走ってきた分だけ疲れたので、キースは三人に断って一服の時間を設けさせてもらった。細い路地に片足を突っ込むか突っ込まないかの境。子供が飛び出てきて、キースは思わずたたらを踏む。近道に使うには薄暗くて物騒だぞ、とため息を吐いて小さな背を見送り──かけて、びしり、となにか亀裂の生じるような音を聞いた。
「危ねえ!」
子供を包み引き寄せる淡い緑。直後崩れる白い壁は、先ほどまでカラフルだった若者のスプレーアートも見る影なく割れ落ちて、独特のコンクリート臭と吸っては肺に悪そうな煙を生み出した。
元々ひびの入っていた古い壁では、サブスタンスの飛来による衝撃自体がもうとどめとなり耐えられなかったのだろう。
「ふ~ビビったわ……怪我ねえか?」
キースが問う。彼の腕の中の子供は、落っこちそうなくらいの真ん丸な目をきょとんとさせて、それから。
「………………う、」
ようやく自分が巻き込まれた危機を理解したのか、火がついたように泣き出した。ちょうど他の三人も駆けつけたタイミングだったから、大泣きの子供相手に皆が皆おろおろとして、ディノだけはわ~怖かったな~よしよし~!と共感して頭を撫でてやっていた。
すぐに母親が路地の向こうからやってきたので、図体の大きな男達に囲まれるより母親に任せる方がいいと判断し、そそくさと退散した。わんわんと泣き続ける子供の顔は真っ赤になって、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで。
だからキースは、今こうして目の前でにこにこと健やかそうにしているエディ少年と結びつけるのに時間がかかったのだ。
「おじちゃん、あのね、あげるね、これ」
「ん~?……もしかしてかぼちゃくれんのか?」
「うん!エディのね、いっぱい作ったなかで一番お気に入りのじゃこらんらん!」
ジャックオランタンが言えないんですよ、と母親が付け足す。
「ほんとはね、エディずっとじゃこらんらん出しておきたいんだけど、もうすぐ片付けなきゃなんだって。だからおじちゃんにあげる!助けてくれてありがとうのお礼!あっ、でもこれ食べられないやつだからね。お腹すいても食べちゃダメだよ!」
「……あ~、いや……」
「貰ってあげなよキース」
とっくに回復していたものの口を挟まなかったフェイスが、迷うキースの背を軽く二度叩く。
「この年頃の子に必要なのは、好意を好意で返してあげることだよ。遠慮や否定よりもずっと、大切」
説得力がありすぎて返す言葉がない。すくりと立ち上がって膝をはたいたあと、先に行ってるね、とフェイスは去っていった。ばいばーいと手を振られて、エディも喜んで振り返している。そしてまた視線はキースに戻った。
「はい、どーぞ!」
子供の力では決して軽くないだろう、しっかりとしたつくりのジャックオランタン。差し出して、キースの手に取られる瞬間を待っている幼い子供。その曇りのない期待の眼差し。
金のため、出自のことで食いっぱぐれないため、たまたま腕っぷしが強かったため。前向きさの欠けた理由で就いたヒーローの仕事。全部自分のためだった。それがいつしか、友人と共に上を目指したり、人を救ったり救われたりが増えて、キースにとっては戸惑うことばかりだ。ありがとうのお礼、なんて。
「……じゃ、ありがたくいただこうかねぇ」
けれど、悪くない気分だった。
わしゃわしゃと頭を撫でてやると、エディは本当に、本当に嬉しそうに笑って、まるで在りし日のそうされなかった自分まで報われたような、そんな気持ちにキースはなった。
「…………なぁに笑ってんだよにやにやしやがって……」
「ふふ……だって嬉しくって仕方ないよキース。にやけちゃう」
自身の心の内側の吐露だけはさりげなく隠して、キースはことの顛末をディノに伝えた。途中からの彼はずっと笑みを浮かべたままで、今も口角が上がるのを抑えられてはいない。それを仕方ないのだと言う。
「キースがさ、ちゃんと街や人の命を守ってくれてるんだってこと、そんなちっちゃな子が知ってくれてるんだもん。なんだか、すごく嬉しいよ」
怠けがちであったりべろべろに酔っ払っていたり、キースはそういうだらしのない部分ばかり取り沙汰されがちで、彼自身もあえてそれでいいと思っている節がある。ディノだってそういうオフショットのキースも好きだ。なんとも可愛くて、放っておけない一面。
けれど他の面から覗いたキースは、強くて頼りがいがあって、人をよく見ていてくれる優しさや愛情深さを持っている。
小さな子供と目を合わせるために大きな身体を縮めてしゃがむのも、おじちゃんと言われる年齢でもないのにそれに気を悪くせず話を聞いてやるところも、皆が皆出来る当たり前ではない。
誰かがそういうキースの穏やかさを知っていてくれて、褒めたり、ありがとうとお礼を伝えてくれるのが、ディノはとても嬉しかった。照れくさそうに頭を掻いて、だから言うのはしょったのによ、ともごもご口内を捏ねるキースは可愛い。
「つーか、オレだけじゃねーだろ、街守ってんのは」
「でもエディくんにとってはキースが一番のヒーローだよ」
「……まだガキだから、他の連中を知らねえだけだろ」
「あ、またそんなこと言って」
むっとした顔のディノが、キースの腕の中のかぼちゃに手を添える。
「……なんだかキースのこと、ものすっごく褒めてあげたくなったから、キスしたいなーって思ったのに」
「……ん?…………は?え?」
「でもキースは自分が褒められるに値しないって思ってるところあるみたいだから、キースの代わりにかぼちゃにキスしちゃおっかなあ」
演技くさい台詞とともに、ディノの唇がかぼちゃに近づく。触れあうその寸前でキースの手が差し込まれ、野菜と人間との異種族間接触は未遂に終わった。なんとも複雑そうなキースの表情に、ディノが噴き出す。
「ね、キース。自信持ってよ。たくさん褒められてよ。だってキースはそうやって評価されるようなこと、いっぱいしてきたんだから」
ディノの一件も含め、数えきれぬほど。キースの行いはきっと誰かの涙を笑顔を変えてきた。彼が優しい分だけ、人に優しくされていいのだ。
「……自信なあ」
桃色の髪を風に揺らされて微笑む、目の前の友人。キースにとって、言われた言葉の全てに当てはまるのはディノの方だった。
お前だって意外と自信ないくせに。
自分が評価されているのに、すぐ皆が頑張ってくれたからだなんて手柄を分けるくせに。
誰かの涙を拭ってやれるのに、自分が泣きたいときは一人になりたがるくせに。
「お前にもそっくりそのまま返すからよ。お前が、分かった、って言ってくれんなら、オレも努力してみるわ」
「……キース」
「まあ、なんつーか。この場で分かった!って即答されても説得力ねえし。すぐには変われねえから……ゆっくりいこうぜ、お互い」
真っ直ぐに見つめあってから、キースは凝りを解すように首を擦って、目線を外した。ディノも少し俯いて、なんだか二人して気恥ずかしい。
「……気恥ずかしいついでに、キスはかぼちゃじゃなくてオレ相手に頼むわ」
「へっ!?あ、えっと……ええと……!」
言い出したのは自分だろうに、ディノは挙動不審になって、しばらく目を泳がせてから、帰ったらな……とぼそり呟いた。キースも挙動不審になった。
「三十前が揃いも揃ってティーンの恋愛してんじゃねーよ」
「あとそちらのお約束、共有スペースじゃなくてお二人のお部屋でやっていただけると幸いでーす。メンティー二人より」
「ウワッ!」
「ウワッ!」
いつの間にか合流していたジュニアとフェイスに茶々を入れられ、全然気づいていなかった情けないメンター二人は思わず飛び跳ねた。邪魔をしないように気を遣って先を歩き始めるルーキー達の「おれたちも気配消すの上手くなったよな」「まあお取り込み中だったから仕方ないよね」なんて容赦ない会話に顔の熱が上がる。
「ったく……ハロウィンはとっくに終わってんのに、トリックにもトリートにも事欠かないチームだわ」
小脇に抱えたジャックオランタンの表面をつるつると指先で遊びながら、キースはディノと並び歩く。本日は平和なパトロールだったはずなのに、妙に疲れていた。まあちっとも苦ではないのだが。
くい、と袖を引かれる感覚があって、キースが目をやる。好奇心に色をつけるならこのような、といった綺麗な空色の瞳が向けられていた。
「キースにとって、俺とのキスってトリック?それともトリート?」
期待と悪戯心と、緊張感が少し。そんなディノの感情が透けて見えて、可愛らしさに自然と笑みが漏れた。
どれだけ周到に用意した悪戯でも、質や量に拘った菓子でも、恋しい人との触れあいには遠く及ばないのだ。キースは今そう思い知った。
「どっちもだよ」