2-282月28日はリシテアの誕生日。自分の8日後で、月の最後の日なので覚えやすい。何より、当人が催促するように再三伝えてくるので嫌でも頭に入ってくる。
自分の誕生日を祝ってもらったのだから彼女を祝うつもりでいる。だが、フェリクスには何をどう祝ったら良いのかわからないでいた。
まあ、わからないなら聞けば良い。変な物を贈っては逆効果だし、現代社会においては容易に連絡が取れる。何か欲しいものがあるか?と聞くのは簡単だ。
なのに、その機会は遠のいてしまう。
「なんだって、こんな時に!」
たまたま学校の食堂で会ったリシテアの目は淀んでいた。手早く食事を済ませたいようで、軽食と栄養補給ゼリー飲料を飲んで苛立ちを隠さずにいた。
そういう雰囲気じゃないな……と、さすがのフェリクスも察した。明らかに様子がおかしいし、見た以上は気になった。声をかけると目のクマが残った青い顔に振り向かれる。
「……酷い顔だな」
「人の顔を見て、開口一番それですか?失礼ですね、と言いたいところですが、自分でもそう思います。ちょっと忙しくて眠れていないんです……」
「ちょっとか?」
「いえ、とても忙しいです!」
眠気が強いため、いつもより感情的に語るリシテアによると彼女の所属するゼミでは、師のハンネマンの講演の助手が選出される。偉大なる学問の父と称される教師の講演は、あちこちに招かれるほど人気が高くて有名だった。
フェリクスには馴染みが薄いが、それでも名前は知っているくらいの先生だ。
「その講演が3日後にあるのですが、助手の先輩が都合が付かなくなって、急遽わたしにお鉢が回ってきました……」
「棚ぼたじゃないのか?」
「まあ、そうなんですけど……講演要綱の確認や段取りなどの引き継ぎをしなくてはならなくて。時間が足りません!」
グイッと一気にゼリー飲料を飲み干していく。
本来なら他の先輩が当たる助手役に、リシテアに白羽の矢が立つのは彼女の優秀さを証明している。フェリクスの言うように棚ぼたのラッキーだ!……当人の心情は別として。
「覚えることが多過ぎて、急ですから確認したいこともあって……。わたし、今回の講演内容には目を通していなかったので」
「お前でもそんなことあるんだな」
「い、色々と、優先するものがあったので!」
バレンタインデーや誕生日とかで忙しかったから!とは言えない……。2月は盛りだくさんだ!
優秀なリシテアとて、ずっと勉学に励んでるわけではない。うつつを抜かしている時に白羽の矢を射られても迷惑なだけだった。
「断るのは惜しいですから……。間近で聴けるチャンスはなかなかないですし」
「大変だな……」
「ええ。普段ならもう少しうまくできたと思うんですが」
2月に講演なんかしないでよ!と、心の中で盛大に悪態を吐いた。間が悪かったとしか言いようがない。
大仰のため息を吐いて、疲労を溜めてるリシテアを見れば、余計なことを聞かない方が良い……と、フェリクスは考えた。またの機会に出直すのが賢明だが、残念ながら彼女の誕生日は間近だ。悠長にしている時間はない!
「講演はいつからだ?」
「3日後からです。まず、アドラステアに行ってからファーガス、最後にレスターで締めます」
「そんなにか?!」
「大体こうらしいですよ。先生は人気なので、各国から嘆願されてるみたいですね。……本当、急に準備する方の身にもなってくださいですよ」
愚痴が混ざるリシテアの顔は険しくなっていった。おおよそ、来週いっぱいは講演の遠征に行くことになるよう……ということは、リシテアの誕生日は遠征の真っ只中だ!
「体壊すなよ……」
「ありがとうございます。なんとか頑張ります……」
全然大丈夫そうに見えないが!乾いた笑みを浮かべて、リシテアはフラフラと出口へと向かう。あれを確認して、こっちは出自を調べて……と呟いていく様は幽霊のようだった。
かける言葉もなく絶句していると、去り際に審判が下される。
「わたしが帰ったらお願いします。忘れないでくださいね──」
暗い澱んだ表情で言われれば、呪いの託宣のように聞こえた。約束を反故にする気はないが、破ったら恐ろしいことになるな……と、フェリクスの脳裏に過った。
連絡を控えている間にリシテアは学校から離れて、アドラステア帝国に向かった。大体一週間で回っていくようだ。強行軍に見えるが、講演以外は好きにして良いらしく自由時間は多いらしい。
とはいえ、忙しいのは火を見るより明らか。律儀なリシテアのことだから連絡すれば、返事はするだろう。だが、負担になってしまわないか心配に……とまで考えて、フェリクスは首を振った。考え過ぎだろ!と突っ込みを自分で入れる。
誕生日を散々強請っていたんだ。急遽予定が入ったからと言って、遠慮することはない。約束を反故にしたら呪われそうなくらいなのだから、誕生日のことを聞いたって何も問題はない!
ないのに、変なところを気を回す自分が面倒くさくなった。自棄になったのか、何が欲しいのか?と簡素なLINEを送った。
……これでいいだろ、と頭を切り替える。
ほどなくして返事は来た。欲しいものは何か?の問いの答えは……『時間』の一言だった。
「……疲れてるな」
素っ気ない返事で察せれた。優秀とはいえ、強行軍はやはり辛いようだ。
どうしようもできない……と感想を抱いたが、フェリクスはあることが閃いた。しかし、それをするのはだいぶ抵抗がある。そこまでしなくても……と冷静な自分が指摘するが、指は素直に文字を打っていた。
疲れてる中で悪いと思いながら、日程を尋ねていった。
☆☆☆
だるい……疲れた。やすみたい。
一日目の講演を終えたリシテアの頭は、それで埋め尽くされていた。片付けをして、確認と整理を終えて、振り分けられたホテルの部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
なんとか終えた!戸惑うことは多かったが、一度やれば後は慣れていくだろうと考えて、シャワーを浴びて癒していった。
「甘いものが食べたいですね……」
すっきり身を清めると夜は深まっていた。夜遅くの甘味は避けたいところだが、ストレス解消と癒しを求めてしまう。
さすがに遠慮しておこう……まだ一日目だし、しっかり休んで明日に備えておいた方が良い。
真面目な性格が自制してくれて、暴食は避けられそうだ。予定帳を確認して、講演が入っている自分の誕生日を見て、ため息を吐く。
「なんだってこんな時に…!」
度々頭に過ぎる不満を口にする。本当なら学校が終わった後の予定を思い浮かべて、再度ため息を吐く。何かあるわけでも進展も何もないと思うが、約束を取り付けていたので無念が大きかった。バレンタインデーに誕生日と頑張ったのに、この仕打ちはリシテアでも愚痴りたくなる!
「まあ、別の日でお願いすればいいんですけど……」
断ることはないだろう。なんだかんだで律儀だし、別の日に変えても承諾してくれる可能性の方が高い。──でも、どうせなら誕生日当日が良かった!と、再度不貞腐れてしまう。
濡れた髪のまま、ベッドでごろんごろんと寝返りを打つ。このまま眠ってしまうおうか……と、思いながら確認とアラームのためにスマホを取ると珍しくLINEの通知が来てた。
自分からすることが多いし、返事は淡白で要件が終われば会話は途絶えるのが常なので不思議に思う。
「ん?……講演の予定なんか聞いて、どうしたんでしょう?」
彼には関係のない事柄だ。要件のみしか尋ねない人物が聞くので怪しむが、別に減るものでもないし、自分の確認にもなるので予定日程を伝えていった。
「ついでだから、ファーガスの様子でも聞いておきますか」
雪国の装いは、温暖気候育ちのリシテアには未知だ。今回の遠征で赴くため聞いて損はない。
「わたしの誕生日は、ちょうどファーガスでの講演の日ですね。まだ雪が積もってるんでしょうか?」
滅多に見ない雪で気を紛らわせようと考えて、期待を膨らませる。ロマンチックなイメージを持っていたので、どんなものか聞いたら……『雪なんか二時間で飽きる』と返ってきてしまう。
「ロマンの欠けらもない答えですね」
価値観の相違を強く感じた。
予想通りに二日目から比較的楽になってきた。段取りがわかってきた分、次はどう動いたら良いか、何を準備したら良いかの理解が深まればリシテアは早い。頭の中で効率よい手順を構築して、動いていくのは彼女の優秀さを物語っていた。
体も慣れていったので自由時間になれば有名スイーツ店に行ったり、近場で観光したりとアクティブに行動していた。
無事にアドラステア帝国での講演が終わり、次の講演場のファーガスに到着すると温度差に体が震えた。
「寒い……」
聞いてはいたが、実際に身を以って知ると新たな知見を得た。ハンネマン先生や他の生徒も同様のことを言い合って、颯爽とあたたかい場所に移動していった。
事前にフェリクスから助言を聞いてはいたが、持ってきた防寒具では効果が薄く感じた。
「ここは買い足した方が良いでしょうか?」
異国の地での現地調達が、リシテアの予定表に組み込まれた。ついでにスイーツ探索も!
ファーガスの二月は冬だが、春の気配が感じる冬に当たるので暖かい方……らしい。そう聞いてもリシテアからすれば、真冬のように寒い。雪の降らない国の生まれと育ちではファーガスは厳しかったが、雪国はその分暖房器具が発達している。
部屋の暖房でぬくぬくしながらアイスを食べる贅沢を堪能しながら、明日の講演の準備をしていく。明日は、リシテアの誕生日の二月二十八日だ。
未だ無念は残るが、この日はケーキを買って癒しながら祝おうと決め、ネットで検索しながらおすすめスイーツ店を見ていく。
「この店のケーキが良さそうですね〜!あっ、こっちのマカロンも気になります!」
こうして彼女は癒しを求めて、心を慰めていった。いくつか見ていって、◯◯地区△△通りと記されており、土地勘のないリシテアは首を傾げる。地図や住所だけではわからないことは多く、それが初めての土地であれば尚のこと。今は便利なアプリがたくさんあるが、やはり知ってる人に聞いた方が早い……ということで、早速ファーガス出身者にLINEを送る。
明日の昼に返事が来ればラッキーと思いながら癒しの準備をしていった。