焦げ臭いと思った。その時は気にならなかったが、歩みを進めていくうちにどんどん臭いが強くなっていった。
廊下の開いた窓からの臭いかと思っていたが、そうではなかった……寮内からだと知ったのは自室の手前。そこで、彼は目を見開いた。
──部屋が焼かれていた! え……焼かれていた?
おかしな言葉を使っていると自嘲したが、自室に向かう前の隣とその隣が焦げており、ドアが半壊している。自分の部屋はどうなってるかと足を進めて、半開きのドアから確認すると、やはり焦げて焼かれていた。
……なんだこれは? と絶句していると、狙ったかのように背後から声をかけられた。
「事態の説明をしようか」
「……急に背後から話しかけないでください」
頭を抱えながら慇懃無礼な態度で、姿を表したセテスに顔を向けた。
「君を待っていた。この状況を説明をしないといけないからな」
「…………」
あんまり聞きたくないな……と、フェリクスは遠い目をした。鍛錬を終えて寮に戻ったら部屋が焼かれていたなんて、誰だって現実逃避したくなるだろう。
「気持ちはわかるが、このままにしておくわけにはいかない。士官学校の生徒である以上、責任の一端は教会にもある。建前上は」
「……そうですか」
「見ての通り、事態の元凶は君の隣人だ。いやいや、火事にならなくて良かった! はっはっはっ」
「笑い事じゃない!」
「ふむ、君の言う通りだ。だが、笑ってないとやっていらない時もある!」
廊下で現実から目を背けたくなって暗くなる二人。
……どうやらクロードが部屋で怪しげな実験をしていたら小さな爆発が起きたらしく、両隣の部屋が燃えたようだ。どういうことだ。
「魔法薬だかの実験をしていたようだが、小さな爆発を起こした際に、火の粉が散らばってた紙に燃え移ったようでな。そこから燃え広がって引火したらしく、さらに爆発が起きたようだ」
「意味がわかりません!」
「私もわからない。こんな事態を起こした生徒は初めてで、まだ理解が追い付いていない」
「いてほしくないのですが……」
チラリとクロードの部屋に目を移すと、一番損傷が酷かった。壊れたドアから天井が抜けて空いているのが見えた。
けっこう大掛かりの爆発だったようで、隣の部屋も巻き込まれたのは納得できるがしたくない。何がどうして、そうなった?!
「幸い、人の被害はない。消火活動は迅速に行われたから火事に至っておらず、見た目より損傷は酷くない。君とローレンツ君の部屋が焼けたくらいで済んだ!」
「……犠牲になった人によく言えますね」
「起こってしまった以上は受け入れるしかない。延焼や倒壊の心配はないから部屋の中を確認して、喪失した物があれば言ってくれ。弁償できる物であれば、すぐに手配する。代わりの部屋は用意でき次第伝える」
教会が立て替えて、リーガン家に請求するので遠慮なく申し立てるようにと告げていくセテス。
呆然としながらもフェリクスは問いかけた。
「元凶は何処にいるのですか?」
「爆発を予期して、即座に避難したから無傷だ。彼は今、担任と共に修道院の清掃活動をしている。──全ての部屋が終わるまで」
「行ってきても良いですか?」
「くれぐれも手は出さないように」
颯爽と踵を返して、目的地へと向かった。さすがに色々と言いたい!
夕刻になってから、半焦げになった部屋で消失した物がないか整理していった。
なんだかとても疲れた……。幸い壁や周辺の机や本が少々焼かれたくらいで、無事な物が多かった。元々物が少なく、ほとんどの物がクロードの部屋と離れた所に置いていたから損害は少ない。焼け焦げた本も絶版物ではなく、ガルグ=マクの蔵書に行けば似たような物があるし、大体は覚えている。
「教本は替えてもらうか」
被害の多くは机に置いていた授業の教本ばかりだった。これなら交換して貰えば問題ない、と思って見ていく中、焦げた小さな袋を見つけた。
何かわからなく手にしたら焼けた物がボロボロ落ちてきた。なんだ? と思って、床に落ちた黒い物体をよく見ると、お菓子の欠片だと気付いた。
そうだ……食べなかった分のお菓子を机に置いていた。多めに作ったから好きな時に食べてください、と言われた焼菓子だ。
いっぺんに食べれる量ではなく、小腹が空いた時にでも食べるかもしれんと思っていた。
さほど重要な物ではない、手にするまで忘れていたほどだ。だが、この有様……見るも無惨な黒焦げの残骸になってしまうと言いようのない気持ちが湧いてきた。
「……さすがに食えんな」
黒焦げの塊を一つ手にして呟く。どうしてかわからないが、奇妙な罪悪感を持った。別に悪いことはしていないし、予期せぬ事態なのだからフェリクスに非はない。
彼女に言ったところで『仕方ないですよ……部屋が焼けるなんて誰も予想できませんよ』と責めないし、フェリクスに同情するだろう。
どうしようもないとしか言えないのだが、昨日のうちに食べておけば良かったな……と、惜しんでしまう。
「仕方ないか」
そう仕方ない。一方的な事故に遭ったのだから、その時部屋にいなかった幸運を喜ぶことで、彼が負い目を背負うことはない。
そうとわかっているけれど、黒焦げになったお菓子を棄てるのは忍びなかった。食べようにも食べれない成れの果てなのに……。
初めて、甘いものを食べなかったことを後悔した。