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    ogata

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    2019風降本の再録です。
    そしかい後、無人島に移住する降谷、いなくなった降谷さんに怒ってる風見。
    くっついてないドタバタ、ふたりの絡みよりも別の人と話してるほうが多くて、
    ほんのり景零・風景・赤新の香りがするけど風降のつもりで書いています。
    今読むとヒロに違和感があるのですが、これもアーカイブということで。
    薄目で読める方はどうぞ。

    ##風降

    Hello,again 風見がその男と出会ったのは、本庁近くの公園でも花見客が賑わう春の盛りだった。
     四月といえば、日本に暮らしている者にとって多くは節目の時期である。学生時代まで、もっと言うなら交番勤務をしていた頃までは、もう少し周囲を見回す余裕もあり、季節を楽しもうとしていたように思う。
     しかし本庁勤務になった頃から、季節の移り変わりへの興味が薄れていった。一日中屋外を走り回っていることもあるというのに、景色を眺める余裕もなくなっていった。
     現在のような生き方を選んだことに後悔はないが、ふと俯いていた顔を上げてみれば、桜の季節だった。警視庁近くの公園でも多くの花見客で賑わっているのを目にしていたはずなのに、全く心に留めていなかったということに、小さな衝撃を受けたのだ。
     気が向いて公園まで歩いてみると、噴水のそばではカップルらしい男女や若い女性のグループ、会社帰りのサラリーマンなどが思い思いに花弁の舞うさまを眺めていた。
     どちらかというと強面で体躯も大きな男一人では、肩身が狭いと感じられた。そんなことは誰も気にしていないとわかってはいるが、自分自身が落ち着いて花見という気分になれないことのほうが気になった。
     そこで庁舎前の地下鉄駅から、一端自宅まで戻ることにした。駅前のコンビニで見繕ったビールとつまみを持って、家の近所の公園へ行くことにしたのだ。
     堤無津川のそばにあるその児童公園には堤防沿いに桜が植わっていて、平日の夜は特に人気が少ない。川に向かって景色が開けているため、花だけでなく月もよく見える。
     日が暮れた児童公園に来るのはせいぜい犬の散歩かランニングに通りかかる人くらいのもので、人の顔を覚えることが習い性になっている風見とは違い、ほとんどの人は顔を見る間もなく通り過ぎていく。
     ベンチに座って缶ビールを空けると、爽やかな甘みと苦みが喉を潤した。
    「はぁ…………」
     思わず声が漏れるほど、外で飲むビールは旨いものだ。どうせなら誰か誘えばよかったかもしれない。食事といえば職場で食べるインスタントか外食で、それも仕事仲間と一緒か、今のように一人で食べることが多いので、随分長くプライベートで人と食事をしていないな、と任官からの時の流れに想いを馳せた。
     人心地ついていると、斜め前にある別のベンチに、誰か腰掛けていることに気がついた。業務上、人間の動きをつぶさに観察する癖がついているため、一般人よりは他人の行動に敏感であるはずだが、随分と存在感の薄い青年のように思われた。
     満開の桜を真上に仰ぎながら、スマートフォンを構えて写真を撮ろうとしている。二十代前半くらいだろうか。グレーの野球帽に黒縁の眼鏡。白のシャツに細身のパンツを合わせた、若者らしいシンプルでカジュアルな服装だ。
     すると、ふいに顔をあげた青年はスマートフォンをポケットにしまい、ベンチに置いていた缶を手にして風見の方へ向かって歩いてきた。
     座っていた時に感じた印象よりは上背があり、その割に頭が小さい。緩めのシャツを羽織っているので体格はわかりにくいが、敏捷そうな身のこなしと上半身の姿勢から、何らかの格闘技を経験している。
     急に距離を詰められたことで警戒したが、こちらの緊張を見透かしてか、それとも頓着していないのか、若者は人懐こい表情で微笑み、ストンと風見の隣に座って話しかけてきた。
    「ここ、いいですか。良い桜ですよね」
    「君も夜桜で一人晩酌か?」
    「そうなんです。この公園は穴場なんですよ。何度か来ていたんですが、初めて夜の花見をする人に会いました」
    「ああ……俺は、ここは年に一度、桜の季節に来るくらいなんだ。この時期はどこも人出が多いからな。君は、家から近いのかい」
    「ええ。歩いて来られますから。あなたは?」
    「俺もだ。でないと、こんなものを持って出られないしな」
     そう言って、半分ほど減ったビールを軽く缶をを掲げると、若者も「あはは、そうですね。お兄さん真面目そうだし」と酎ハイの缶を持ち上げて乾杯の意を示した。
    「ところで君、未成年じゃ……ない、よな?」
     大学生風の外見に思わず質してみると、わかりやすく膨れた青年に拗ねられたので、すまない、つい職業病でと謝る。もちろん、本当にわからなかったから聞いたのだが。
     それから、ポツポツと何と言うことはない話をした。
     初めて会う人間と桜を眺めるという経験は初めてだった。公安警察官として協力者とやりとりする際も、雑談があまり得意ではない風見は話題に困ることが多い。
     このときも何を話そうかと考え、大学時代に好きだったものを思い出して、近所のラーメン屋の味や、最近流行っているゲームの話などをした。
     対して青年は話題が豊富だった。何でも良いからテンションを上げて話すというタイプではなく、相手を見てから引き出しを開けるような柔軟さと豊富な知識量がある。先ほどのラーメンの話にも、自分の知っているラーメン屋や好きなスープの味で話を広げてきたし、先ほど風見が話したゲームの漫画化の再現率の高さや、ソメイヨシノの語源や広まった時期、染井村の場所など、まるで百科事典のように話題が溢れ出してくる。
    「現在の日本で『花』と称せばまず桜が思い浮かびやすいんですが、奈良時代くらいまでは梅が人気だったそうです」
    「へえ。梅は香りがいいし、実も美味しいからな」
    「ええ、梅干しなどにすれば保存食にもなりますしね。ですが、僕はやはり桜が好きです。咲いてはすぐに散るということで『花は桜木、人は武士』といいます。現代ではあまり理解されない美学かもしれませんね」
    「武士道か。美しくパッと散りたいのか?」
    「いいえ、ただ、大切なものを守り切って死ねるなら、悲劇的に見えても幸せなのかなって」
     美しい桜を酒の肴程度にしか考えていなかった風見には、到底理解できる話ではなかった。
    「そんなものかな。君はとても頭が良さそうだ。大切なものを守った後も、生きて守り続けたいとは思わないのか」
     とはいえ、彼の背景も知らないうちから、知ったような顔で説教をする大人になりたいわけでもない。自分が守るべきものと彼が守るべきものは、違って当然なのだから。
     一瞬口を噤んだ青年に、つまらないことを言ったと謝ろうとしたら、酎ハイの缶を見つめていた彼が口角を上げてこちらを見ていた。
    「……そうですね。僕はそんなに簡単に死ねない。やりたいことも、やらなきゃいけないこともまだまだあるし。長生きしたいです」
    「素直だな」
     顔を見合わせて、自然と笑顔が零れた。若者も「へへ」と笑って肩を揺らしている。
     幾ら厭世的になる経験があっても、そういう年頃なのだとしても、こんなに才気に溢れた若者がいつ死んでもいいようにと太く短く生きるなんて、言わせたくないような気がした。
    「それにしても、君は物知りだな。俺は花のことに全く詳しくないから、君の話を聞いていると勉強になるよ」
    「すみません、初対面の方に。僕は喋りすぎるって、友人にもよく言われるんです」
     はにかんだ表情が随分童顔になるのが、より微笑ましい。
     すると、急に青年のスマートフォンが震えた。
    「出なくていいのか?」
    「掛け直します。それにしても、随分時間が経っていたんだな。そろそろ行かなくちゃ」
     時計の針は夜の九時前を指していた。公園にきてからもう一時間以上、彼と話していたらしい。
    「楽しかったです。またこの公園に来られますか」
    「そうだな。そのうちまた来るかもしれない。そのときは、また新しい話でも聞かせてくれないか」
    「ええ、是非。お名前を伺っても?」
     少し心が痛むが、彼の素性がわからない以上、さすがに本名をさらすわけにはいかない。協力者獲得時に使用していた偽名のひとつを伝える。
    「私は飛田というんだ。君は?」
    「そうなんですね。僕は……」
     ハジメ、です。
     街灯も疎らな児童公園に、雲の隙間から差し込んだ光が、満開の桜と二人が座っていたコンクリートのベンチを一瞬照らした。


      *


     3、2、1。

     十分に沸き立った湯の入った鍋を炎から揚げ、濡れた布巾の上でほんの少し冷ましたら茶こしに新しい茶葉を少々いれる。少し高い位置から湧いたばかりの湯を注ぎ入れ、軽くジャンピングさせた。
     湯呑みに注いで一口含むと、爽やかな芳香が口腔内に広がる。
     首の裏から汗が滲むのを感じた。
     五月とはいえ、気温は既に摂氏三十度を超えている。さすがに本州より気温が高い。
    「そろそろ冷たいのに変えようかな……」
     でもまず新茶は熱いので飲みたいんだよなあ、と独りごち、降谷は水出しの緑茶作りに取り掛かり始めた。
     東都で生活していた頃は、自由に使える時間が増えることに興味はなかったし、必要だとも思わなかった。無意識でもPDCAサイクルに組み込まれないものを切り捨てることに慣れ、それはそれで出会いも別れもそれなりに楽しんだ。
     足りないことを数えればきりがない。国を守るということは確かな生き甲斐で、そんな生活に付随するものは十分吟味し、必要なものを揃え、不要なものを捨てた。
     今は、朝日とともに目覚め、日没とともに就寝する。朝起きれば湯を沸かし、煎茶で目覚めるのは東都に居た頃と同じルーティンだ。
     これまで住んだ部屋を離れて一ヶ月。不便といえば不便だが、もとより降谷はこれまでの生活から、不便を楽しむスキルを身につけていた。日中の寒暖差はあるものの、温暖な気候は身体を癒すことにも適していたようだ。
     朝食の準備を始めようとシンクの前に立つと、しばらく耳にしていなかった人工的な羽音が耳についた。距離にして二十キロメートルというところか。羽音は徐々に爆音めいてきたが、距離から察するに降谷の家からしばらく歩いたところにある、拓けた草原あたりで徐々に収束したようだった。
     音の出所には心当たりがあったので、朝食の準備を続けることにする。
     若布を洗って刻み、味噌汁の実にする。豆腐は取り寄せた大豆から自作した。
     とれたばかりの魚を塩焼きに、若布と油揚げの味噌汁、作り置きのきんぴらに、海苔の佃煮と沢庵に梅干、あと五分で炊き上がる麦飯。
     そろそろか、と、小さなキッチンのそばにある勝手口ではなく、部屋の正面にある木製の扉を開いた。
    「おはよう、新一くん」
    「あ、やっぱ気づいてた? おはようございます、安室さん。いや、降谷さんだ」
     元高校生名探偵は、へへ、と照れ笑いしながらも目線を室内に走らせている。どんな時でも周囲を観察してしまう癖があるようだ。
    「こんなところまで会いに来てくれるのは、君くらいだからね。他に誰かいるわけでもないし、ここでは安室で構わないよ」
    「他の皆と話すときは、安室さん呼びだからつい。しっかし、本当に一人でこんな辺鄙な所まで来るんだからなぁ」
    「君に伝えておけば十分だろ。これでも君のことを信用してるんだよ」
     そんな本音を挟んだ軽口をスルーして、新一は下駄箱代わりの棚の上に置きっぱなしていた本を手にとった。
    「へえ、安室さん、こういうの読むんだね。意外」
     それは、昨年発刊された漫画の単行本だった。
    「僕も漫画はたまに読むよ。潜入先での収集だとかでね、割とよくある」
    「そういや、ポアロにおいてある雑誌を読んでたことあったね」
     どうぞ、と室内に招き入れながら、新一からその本を受け取ると同時、賢い炊飯器が飯の炊き上がったことを知らせる。
    「あ、ごめん飯どきに、っつーか早朝に。後の予定の都合でこんな時間に出てきてさ。連絡してから来ようと思ったんだけど、日本を出た時はまだ夜が明けて無くて」
     時計は午前七時十分を差している。たしかに、一般的には人を訪ねる時間とは言えないかもしれない。
    「いや、もう起きていたから良いよ。ところで新一君、朝ご飯は食べた? よかったら食べていくかい」
    「え、さすがに突然来て飯は悪いよ」
    「今日はあり合わせのものしかないけれど、たまには人と食事したくてね。駄目かな?」
    「やったー、嬉しい。実は腹減ってたんだ! あ、赤井さんも呼んでもいい?」
    「あいつに振る舞う食事はない」
     急に声色を変えて答えると、新一は挙げていた両手を胸の前に下ろし、すぐに降参の意を伝えた。
    「大体気づいてたと思うけど、今日、赤井さんも来てるんだよね。本でも読んで待ってるって言ってたんだけど」
    「へえ、そうなんだ。暇なFBIだな」
     降谷はいかにも貼り付けたような笑顔で応じ、目の前の青年は少し仰け反った。
    「まあ俺が口挟む話じゃないね、ごめん」
    「いや、こちらこそ気を遣わせてすまない。君があいつと懇意なのは知っているし、今日来ていることにも気づいていたさ」
     赤井に対する感情には未だに処理に不具合が起こりやすく、降谷はそれがまた腹立たしいと思っている。
    「俺は今も世話になってるからさ。今日もここまで連れてきてもらったし」
    「君も、さすがに飛行機や船の免許は持ってないだろうから、そうじゃないかと思ったよ」
     しかもアメリカから来て、この後にも予定があるなら、日本に行ってから次の行き先への間にあるこの島に立ち寄ったのだろう。
     新一が元の姿に戻れる時間が増えたのは、組織解体のミッションに大きく尽力し、解毒薬開発の進行とともに元の身体に戻れる時間が長くなったからだった。完全にとはいかないまでもどうにか日常を取り戻し、現在は米国の大学に通っている。
     その彼が降谷を心配して太平洋の孤島へ来たいと言えば、お守りとしてついてくる男の存在は容易に想像がついた。それでも、男は新一と共に降谷を訪れたりはしない。それが自分に対する気遣いであるということを知りながらまた、降谷は彼のそういうところが気に食わない。
    「まあ、僕は和食派だから、なんてことない普通のごはんだし。あの男は英国育ちだったらしいから、口に合わないんじゃないかな」
    「でも俺、この家の扉開いた時から、美味そうな匂いするなあって思ってたんだ」
     食い意地張ってて悪いな、とおどける表情は、まったく年相応だ。精一杯の皮肉を込めても、新一相手では手応えがない。
     ご飯と味噌汁をよそい、小鉢をとりわけて並べると、キラキラと瞳を輝かせている。
    「どうぞ、めしあがれ」
    「いただきます!」
     本人が空腹だったと言った通り、新一は実に食べっぷりが良かった。大きな口をあけつつ、丁寧な箸使いで次々にバランス良く、米とおかずを交互に腹へ収めていく。
    「おいしそうに食べるね。体育会系というのかな。サッカーはまだやってるのかい?」
    「まあね。今は趣味程度だけど。勉強と探偵の合間だから、本気でやるには時間がとれないんだよな」
     降谷が初めて出会った頃の新一は、白く柔らかな頬を持つ幼い容姿の内側に、明晰な頭脳と怜悧な知性を併せ持つ少年だった。若さゆえの傲慢を補って余りある才が、いつも彼の内側に光っていた。そのミステリアスな存在感に、自らも偽りの顔を使い分けていた降谷ですら空恐ろしさを感じたものだ。
     彼の人物像をある程度知り、互いが日々を演じる必要なく自分自身として生活していることで、友の如く接するようになった。訳あってこの地に辿り着いてからは、気兼ねなく家を訪ねてくる人間も少ない。
     安室として潜入する中で、江戸川コナンには何度も食事を提供したことがあったが、食事量は一般的な小学生くらいだったと思う。しかし今の彼の旺盛な食欲はなかなか見応えがあり、否応なく彼が大人であることを実感する。
    「本当に食べっぷりがいいね。そんなにお腹が空いていたのかい?」
    「朝飯を食い損ねてたのもあるんだけど、和食がさ。いやほんと、全部旨い」
    「ありがとう。でも君、たまにポアロでモーニングを食べるときは洋食だったよね」
    「あの頃は、蘭が和食もよく作ったしな。でも今は基本アメリカだしさ、米と味噌汁が食いたくなんの」
    「でもそれはわかるな。僕も海外へ出ると、日本のお米が恋しくなるよ」
    「だろ?」
    「でも君は、お米というより蘭さんのご飯、もっといえば蘭さんが恋しいんだろう?」
     そう言うと新一はご飯を喉に詰まらせたのか激しく咳きこんだ。
    「図星だったかな。驚かせてごめんね」
     涙目の新一は、恨めしそうに降谷の整った顔を睨め付ける。
    「安室さんの時から気づいてたんだけどさ。降谷さんって、実はすっごい負けず嫌いだよね。それって、さっきの赤井さんの話題の仕返し?」
    「安室の時はあまり自分を出さないようにしていたつもりなんだけど。僕もまだまだ修行が足りないようだ」
     しかし安室の時であっても、赤井の話題になると理性の箍が外れやすい自覚もあったので、咳払いをひとつして話題を変えてみることにした。
    「それで、わざわざ君がここまでご足労くれたのにも、理由があるんだろう?」
    「うん。最近密輸関連の事件があったのが、ちょっと気になってて。日本に来たからついでに顔を見にね」
    「ああ、相変わらず君は耳が早いな」
    「俺は組織犯罪専門じゃねえんだけどさ。黒ずくめの件で、あちこちに知り合いができたから」
     組織壊滅から飛び散った残党の余波は大きかった。実際にあれほど大がかりに薬物開発をしながらの組織運営ができるのは潤沢な資金あってのことで、その組織の動きが止まるということで末端が浮き足立っている。そして叩くなら今だと各国で鼠捕りが行われていた。
    「そうだろうね。君は事件のあるところはどこでも行くんだと思われているだろうし、用心して。僕が言えた義理ではないけれど」
    「ありがと。事件のことはUSBに入れてきたから後で見て。あとは、昨日東京に寄った時に、ポアロで聞いたんだけど。風見さん、昇進するって噂だったよ」
    「誰から聞いたんだい?」
    「白鳥さんが話してたんだ。組織の件もあって、最近時々仕事で公安と絡むんだって。風見さんはすごく優秀な人だけど、ちょっとまだとっつきにくいって」
    「そうか、君は刑事部の彼らと仲が良かったね。公安の人間は、多かれ少なかれ掴みどころが難しい面はあるかもしれない」
    「風見さんって堅物そうな感じだけど、そうでもないのかな」
     白鳥も警察庁からの出向組だと言っていた。部署は違うが、IoTテロ事件で面識があるだろうし、共通の知人がいてもおかしくはない。
     少なくとも、降谷にとって風見は忠実な部下だった。よくも悪くも一般的には親しみやすさの欠片もないと思われがちだが、理解力も業務遂行力も高いし、降谷は何より風見の誠実さを高く買っていた。
    「風見は、じっくり話してみると印象が違うんじゃないかな。動物好きの面もあるしね」
    「へえ、意外だなあ。あ、あとさ、そういえばこの間、安室さんを訪ねてポアロに来た人がいたんだ。ちょうど、俺がポアロを訪ねる前にさ」
    「へえ。誰かな」
    「飛田さんて人。知ってる?」 
    「……ああ。知っているよ。時々、安室のアシスタントをしていた男だ」 
     降谷は、可能な限り表情を動かさなかった。だが返事は一拍遅れた。少なくとも、この注意深い青年がわずかの隙に張り巡らせた蜘蛛の糸からは逃れられなかっただろうと思った。
    「まだ、安室さんがポアロで働いていると思っていたみたいだったけど、辞めちゃったって聞いたらコーヒーだけ飲んで帰ろうとしてたんだって。で、店の前で俺と会ったってわけ」
    「……新一君。ひょっとしてそれは、さっきの仕返しかい?」
    「バレた?」
     あくまで底意なんてひとつもないという顔をして、新一は清々しく笑っている。
    「飛田さん、今の安室さんの居場所知らないんだなと思って。だから一応報告しとこうかと」
     ごちそうさまでしたと手を合わせ、自分の食べ終わった食器をシンクへ下げている。
     新一はポアロでその話を聞いてから、この世界でも類をみない優れた頭脳を働かせておおよそのことを推測し、わざわざセスナを飛ばし、定期の船便すらもないこの島までやってきたのだ。
    「これは答えなくてもいいんだけどさ、安室さん、公安辞めてないよね」
    「君が本気で調べればすぐにわかると思うよ」
    「でも、風見さんが安室さんの動向を知らないのが不思議だよね」
    「以前から、彼は僕の動向をすべて知る権限はないからね」
    「まあ、そうかもしれないけどね。やっぱり言いたくないんだ?」
    「黙秘するよ」
    「隠れてるわけじゃないってことか。探せば見つかるところにいるのに、見つけられないんだねえ」
     降谷が軽く唇を噛んでいると、新一は、降谷の反応を確かめたことで目的を果たしたと思っているようで、降谷の煎れた冷たいお茶をのんびりと楽しんでいる。
    「そうそう、さっきもらったUSBは俺の私物だからあげる。別に盗聴器とか不可視アプリとか仕掛けてないから安心してね」
    「君からもらうものはどうにも信用できないけれど、有り難くいただいておくよ」
    「IoTテロの時、俺のスマホに盗聴アプリ仕込んだの誰だっけ」
    「風見じゃないかな」
    「部下のせいにするなよ」
     簡単な食事を終えて、デザートに島で採れた果物を出しながら、降谷は手慣れた様子でご飯の残りをボウルに移しながら言った。
    「それはそうと、君もできることなら今後あまり組織絡みの事件にはあまり関わらない方がいい。他の組織犯罪との繋がりもあるし、今は日本から君に協力要請はしていないはずだ。赤井も何で止めないんだ、あいつ」
     一般的には販売ルートなども反社会的組織の利権が絡んでいたりするものだ。近頃では個人が直に繋がれるため、一概にそれだけが危険とも言えないのだが。
    「はいはい、承知してますよ。赤井さんのせいじゃねえから安心してください」
    「まあ、協力を要請したことのある僕が言えたことではないけれどね。君は、事件を解決するということへの好奇心を抑えることが難しいようだから」
    「そうだね。忠告は肝に銘じてっから。あんまり出しゃばらないようにしないとなあと思ってたとこ」
    「良い子だ。今日は随分素直だね」
    「僕はいつも素直だよ?」
    「頼むから、コナン君の口調で話すのはやめてくれないか」
    「じゃあ俺を子供扱いすんのも勘弁な」
     降谷は笑いながら握り飯を作っていた。
    「残念だな。子供扱いして、お弁当作っちゃったんだけど」
     梅干しにおかかと塩漬けの焼き魚をほぐしたもの。炒り胡麻をふったものと、軽く炙った海苔で巻いたものを並べ、バナナの葉できっちりと包めば、昼までくらいはもつだろう。
    「うっわ、ごめんごめんそれはすげー嬉しい、ありがとう! 安室さんのメシって、やっぱめちゃくちゃ旨いんだよなあ」
    「といっても、おにぎりだけどね。そんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるなあ」
    「安室さんさあ、もしかして最近食べさせる相手がいなくて寂しいんじゃない?」
    「うるさいな」
     ついに本音が零れてしまった降谷に、新一は破顔した。
    「まったく。君、そんなに生意気だった?」
     コナンを名乗っていた時、いかに彼が猫を被っている時間が長かったかを思い知る。それでも、きっと今の姿で向き合えることは、彼にとって幸せなことだし、降谷にとってもそうなりつつあるのだ。

     新一を見送った後、食器を片付けつつもらったUSBをパソコンに差し込んだ。データを確認してみると、中にはフォルダがひとつ入っていて、その中にテキストがひとつと、何枚かの画像が入っていた。サムネイルはないので画像をソフトで開いてみると、見覚えのある横顔が目に飛び込んできた。
     高い鼻梁に頬骨の高い横顔。私服を着ている、業務時間外の写真。降谷は、この写真に見覚えがあった。
    「これは……どうして……」
     フォルダの中に入っていたのは、四年前の桜の季節に撮られた、風見裕也の写真だった。


      *


     ピピピ、ピピ。
     スマートフォンに設定したアラーム音が鳴って一秒後には覚醒する。
     日々の睡眠時間は決して満たされていないが、習慣とは恐ろしいもので、獲得してしまった能力はなかなか手放せないものだ。
     ほとんど寝るためだけに帰る家は本庁への通勤も便利な場所で、泊まり込みの多くなる時期にもなるべく部屋に戻って眠るようにしている。
     風見は一ヶ月ぶりに本庁へ登頂した。報告書と経費精算が溜まりに溜まり、事務方の嫌味に耐えて通してもらった午後三時。
     やっと一段落して食事をとれそうだと席を立てば、扉を半開きにして顔を出したのは、五年前、公安部に配属された時からの上司だった。
     場所を変えようと促されたので、ちょうどぽっかりと無人になっていた喫煙所へ移動する。
     風見は基本的に喫煙はしないが、情報収集の小道具として持ち歩いているものを胸ポケットから出して火を灯した。
    「昇任試験ですか?」
    「近々、きちんと打診があるとは思う。さすがに、今回は誰も異議ないだろ」
     上司の口から紫煙とともに溜息がこぼれる。警察社会において、制度の中で優秀な人材が適正に評価されることばかりではないと、先達は身にしみて知っているのだ。
     察庁から出向している上司の更に上から、風見の人事について伝達があったらしい。
     風見が警部補になったのが異例に早かったこともあるが、前回は規定通りの昇任試験を受けている。試験日の前日に急な大捕物があり、三十六時間眠らず筆記試験を受けたため、その年はもう諦めようと思ったほどだった。あのとき無事に昇進できたのは奇跡だったと、風見は今でも思っている。
     しかし、今回はおそらく選抜昇任であることが察せられた。組織解体の起爆剤と共に行動していたこと、それが表向き大変うまくいき、長年公安として追っていた対象の実質的瓦解に尽力したと評価された、というところだろう。
     とはいえ任務の殆どは公には秘密裏に実行しており、世間的にはほとんど日の目をみていない。風見の業務評価をしたのは風見への指示を与えていた警備部であり、となれば目の前の上司ではなく、風見と接触していた年下の上司、ゼロの意向であるということだ。
    「なんだ、複雑そうな顔をしてるな。まあ警部昇進は必ずしも良いことばかりではないだろうが。現場に出る機会も減るし。だけどお前が昇進したら俺も楽になる。下から突き上げて俺のことも昇進させてくれよ」
     軽口ばかりのこの上司もまた、ノンキャリアでありながら早期の昇進を果たした男だ。口を開けば軽口ばかりだが、厳しい階級社会を生き残っている風見にとっての恩人でもある。
    「いえ……昇進に否やはありません。実際の計画を実施した方々にとってはあまり恩恵のない結末になりましたので、気分が晴れないだけで」
     好きでもない煙が、いつもよりやけに苦々しく感じられた。
     詳しい話は改めてということで喫煙室から解放された風見は、煙草の匂いを取るべく外の風にあたりに出た。
     ゼロと呼ばれたその人は、任務とあれば煙草どころか違法作業すらお手のものだったくせ、風見が煙草や酒の匂いをさせているといつも露骨に嫌な顔をした。一切痕跡を残さない姿勢はプロ意識にほかならない。彼の禁欲的な部分に感化されて学んだことは、風見を優秀な公安警察官たらしめた。
    「黒ずくめ」と呼ばれる組織の監視は、半世紀も前から公安内に発足した組織により、代々受け継がれながら情報収集されてきた。
     そして今世紀に入り、マフィアの薬物売買に端を発した殺人事件から、各国の情報機関の内紛も絡んだ世紀の大事件となった。犠牲者もあり、未だ解決していない問題も多いが、公安内では数人の負傷者が出るに留まったことも、不幸中の幸いと言えるだろうか。
     それら多くの情報を統括し、調整してミッションを遂行していた中心人物に、まさか日本の小学生がいただなんて、あの少年を知らない人間には想像もつかないだろう。しかしこの事件には、細胞の可逆性など倫理的な問題を含む研究開発が関わっていたため、事件解決までのほとんどの出来事が公には伏せられた。
     だが「黒ずくめ」に潜入していた降谷にとっては、ここまでの潜入捜査における集大成だったはずだ。彼がこの一連の事件に終止符を打つと、風見はずっと信じていた。
     そして、おそらくそれは成し遂げられたのだ。
    「なんですか警部って。置き土産ですか」
     感謝するつもりなどさらさらない。プロ意識などくそ食らえだ。
     独り言は、誰に聞かれることもなく、容赦なく桜の花弁を散らしていく風に溶けた。


      *

    『もしもし?』
    「これ、どうして君がこの」
    『ああ、零くんか。残念だったな。ボウヤは今、お腹いっぱい食べさせてもらって、ぐっすりおやすみ中だ』
    「お前、赤井か。新一君はどこだ」
    『お察しの通り』
     罵声を浴びせたい気分をぐっと堪えて深呼吸する。
     確かに、すごい勢いでご飯を食べていたから、食後に眠くなっても仕方がない。
    『写真のことなら少し聞いているよ』
    「……どうしてこの写真を彼が持っているのかと」
    『どうした、珍しく焦っているようだな』
     赤井に言われるのは癪だったが、確かに降谷の鼓動はいつになく早まっていた。少し考えれば、わかるはず。
    「いや、でも……」
     この写真がこの世に残っているはずがない。降谷がそれを一番よく知っていた。
     なぜなら、この写真を撮った人間は、既にこの世にいない。撮影機器もデータの取り出しは不能だった。
     そのことを、未だに世界で一番降谷自身が信じたくないのだ。
    『スマートフォンで撮ってあったな。隠し撮りの割にはいい写真だ』
    「この写真は……俺が頼んだものだ」
     四年前、降谷が初めて、警視庁に自分の手足となり動いてくれる者を選ぶときに、すでに警視庁を退職していた友人に頼んだものだった。実質は公安に所属したまま、黒の組織へ潜入捜査に入っていたわけだが。
     彼には右腕候補の写真を頼んだだけだったのに、直接会話をした挙げ句、風見のことを妙に気に入り、降谷に「あの人がいい」と勧めてきた。
     そんなことがあったので、既に候補者として挙げられていた風見の資料を確認し、知能・知性を中心に、品性、社交性、思想、体力など、精査された情報を見て彼に決めたのだった。
     ただ、その時指摘されたらしい童顔を随分気にしていて、その頃から親友は髭を生やすようになったのだ。
     そして、それから間もなく彼は命を落とした。
    『その写真はスコッチが撮ったものだろう。君が信用していた友人は、それほど多くなかったからな』
    「余計なお世話だ。もういい、お前は彼の電話に勝手に出るな」
    『気をつけよう。ボウヤは、君のことを心配していたようだぞ。大人を何だと思っているんだろうな。それじゃあ』

     黒の組織が解体の方向へと向かう以前から、降谷はこの島に身を隠す準備を進めていた。
     組織がなくなれば、近い未来にバーボンと安室の存在を消さなければならなかったからだ。
     バーボンの方は司法から逃れれば存続させることも不可能ではないが、安室は降谷と両立させるのには問題が多く、長く名乗り続ければ安室を知る一般人を危険に巻き込む可能性がある。
     この島は組織の任務上、名義を書き換えて手に入れたものだった。いわゆる違法作業だが、元の主は既にこの世に亡く、現状は実質降谷が管理している。既に遺族もいない島だったので、落ち着いたらいずれ売却して寄付でもするつもりだったのだが、成り行きでしばらく身を寄せることになった。
     それで、事情を知る数少ない上司と、成り行きで工藤新一には居場所を教えることになったら、極力誰にも伝えないまま東都を後にしたのだった。
     そのときピピッと、ブラックアウトしていたスマートフォンのメール着信音が鳴り、画面が光を取り戻した。それから続けて、メッセージが入ってくる。
    「飛田さんが写真を持ってたんだよ。ハジメさんって人にもらったんだって」
     (そうか——風見は)
     降谷は、出会ったばかりの風見のことを思い出していた。
     すると急にまた、スマートフォンが無音のまま光り出した。この番号を知っている人間はほとんどいないから、この電話が鳴ることは殆ど無く、登録されていない番号からの電話だ。
     少しの逡巡の後、数度のコール音を待って電話に出る。
    「……はい」
     相手は、掛けてきたにもかかわらず、声を発しなかった。けれど、降谷はこの番号を覚えていたし、この無言がどれほど雄弁であるかも理解していた。
    『コナン君に番号を聞きました。謝る気はないです』
     決して語気は荒くないのに、強い怒りと悲しみを感じさせる。風見には、何度もこんな思いをさせたのかもしれない。
    「うん」
    『……心配いたしました。こんな、心配などはあなたには不要のものでしょうが』
    「今日、コナン君に会ったんだ。飛田という男が、僕を探していたと聞いた」
    『先程、工藤新一君に伺いました。あなたが小学生とだけコミュニケーションをとっていることをどうかと思いましたので、僭越ながらご連絡させていただいた次第です』
    「まあ、それは確かにそうだな」
     そういえば、風見にはまだ新一君の話をできていない。こうなったら、説明せざるを得ないだろう。アポトキシン4869の公開可能範囲はどこまでだっただろうかと記憶を辿る。
    『それから、今どこで何をされているんですか』
    「いや、ちょっと無人島に」
    『無人島……?』
     まずい、本格的に怒りだした。風見は降谷に逆らうことはない。これほど降谷に怒りを向けてきたこともなく、またこの怒りが衷心から自分を想ってのことであるから、対応に困ってしまう。
    「か、ざみ。あの」
    「何ですか。そんな弱々しい声で誤魔化しても騙されません。あなたがどれほど周到に、緻密な策略で相手を陥れるのか、私はあなたのやり口をよく存じ上げておりますので」
    「やり口って……さすがにお前を陥れたりはしないよ」
    『嘘ですね。それに今はもうあなたの直属の部下ではなくなりましたので、思うことをお伝えしておきます。次があるかどうかもわかりませんし。もう連絡が取れないとしたら、あなたの意思だと思うことにします』
    「俺が、どんな気持ちで」
    『知りませんよ! 言いたいことがあるならちゃんと言ってください。言わないとわかりません!』
    「俺だって、お前のことを傍においておきたかったに決まってるだろ!」
    『そんなこと、聞いたことありません! 私がどんな思いでこの電話を掛けたのか、あなたにわかりますか!』
     一瞬激してしまったものの、そのうち、おそらくお互いに「顔も見えない相手とこういう電話で喧嘩するのは難しいな」と思い始めた。内容が内容であるし、大きな声を出していることへの羞恥心もある。風見がどこから電話を掛けているのか知らないが、人目につくところであれば尚更であろう。
    「……先程の写真、あれは、ハジメという男からもらったんだったな」
     ハジメ、というのは、いかにもヒロのつけそうな名前だった。おそらく、それは『ゼロ』から連想した名前であったのに違いない。
    『そうです。プライベートで出会った男でした。連絡先はプライベートの携帯のみに登録していた、飲み友達のようなものです。そのうち疎遠になってしまいましたが。何かまずいことがありましたか』
    「いや。今ここにあいつがいたら、問い糾したいところだったというだけだ。君の性的指向はヘテロだったか」
    「そうですが、どうしてですか」
     どうして、風見と仲良くなったことを降谷に言わなかったのか。
     生きていた彼が、何を思ってその連絡を取っていたのか。
    『ああでも、彼が言っていたことを、今になって思い出します。こんな写真の何がいいのかわからなかったけれど』
    「彼は……何と?」
    『きっと、友人が気に入ると。いつか会わせるって」
     ただ、彼が風見を気に入っていたのは確かで、彼が風見のどういうところを気に入ったのか、それは多分降谷もよく理解できる。
     こんなやりとりすら、本当はもう降谷の手からはこぼれ落ちたものだと、つい先程までまで思っていた。
    『そろそろ喫煙室の人目が限界のような気がします』
    「……ほとぼりが冷めるまで戻らないつもりでいたが、近々一度東都に戻る。続きはそのときに話す」
    『承知しました』
    「ホテルを一室とっておいてくれ。以前に頼んだことのある、海が見えるところだ。足がつかないように頼む」
    『……? 承知しました』


     誰に言うつもりも、伝えるつもりもなかった。
     いつかそのうち、命が終わるまでになくなるならそれでもいいと思っていた。

     けれど、親友が繋いでくれた縁を、今度は守り通したい。

     言えなかった言葉を、もう一度。

             
     
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