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    ogata

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    ogata

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    過去及岩。
    今でもこのタイトルはどうにかならなかったのかと思う。

    #及岩
    andRock

    YOU ARE MY BEST「あー、四人でやるの久々だったねえ」
    「なんか体鈍ってる感じしたべ」

     春高予選が終わり、部活を引退して一週間が過ぎた月曜日、元レギュラーの四人で久しぶりに体育館に集まって汗を流した。
     青葉城西高校バレーボール部は、県内有数の強豪校と呼ばれて久しく、今年のレギュラーは自分以外のほとんどが身長にも恵まれていて、中学で実績を残してきた選手だった。監督の方針で毎週月曜は休みだったが、入部してから二年半以上、盆正月と月曜以外、朝夕を問わず毎日を部活に費やしてきた自分たちが、引退したところでバレー馬鹿であることに変わりはなく、たった数時間のボール遊びで満たされることもなかった。

    「体は動かしてんだけどな。ちょっと触ると余計にボールが恋しくなるよね」
    「だな。終わっちまえば、あっという間だったのに」

     学校から駅への道を二人ずつ並んで歩いたのも一週間ぶりだ。烏野との試合が終わった後、学校まで戻って三年だけでバレーをし、主将の所為で全員泣いて、それからそのテンションのまま全員で一人ずつ胴上げまでした。
     あれからもう一週間。
     試合に負けた悔しさと、終わってしまったすべての時間を思ったあの帰り道。

    「あー、もっとバレーやりたーい」

     厳しい練習が続くと「可愛い子とデートしたーい」が口癖だった花巻の口からそんな言葉が出たことに苦笑したけれど、俺の気分も似たようなものだ。
     毎日毎日バレーボールと顔をつきあわせていたがったのは及川くらいのもので、及川と共に「打倒ウシワカ」を掲げ続けて早五年になろうという俺ですら、何度かはバレーから離れてみたくなることもあった。口に出したら及川にウザ絡みされるから言わないのだが。
     たとえば、二年の時、同じクラスの女子に、クラスメイト有志の北海道旅行に誘われたことがあった。
     彼女のことを特に好きだったとかいうわけではないが、ああ、この子と付き合ったら楽しいかも、くらいのささやかな予感があった気がする。
     でも、俺にはバレーが一番で、結局北海道には行かなかったし恋人ができることもなかった。考えてみれば、他の奴らも遠出こそしなかったものの、恋人がいた時期はそれぞれにあったから、ただ自分の要領が悪かっただけかもしれない。
     それでもいざバレー部から離れる時が来てみれば、寂しさや喪失感は、新たに現れた「勉強」というミッションだけでは到底埋まらない。バレーボールの練習からもうんざりするほど共にしたチームメイトとの時間からも、きちんと離れる時が来た。
     バレーという共通項がこの四人を繋ぎ留めてくれていた時間はたった二年半、そのうち全員レギュラーでいられたのが一年半ほど。 知っていたし理解もしていたけれど、手放した今だからこそ、その短さも掛け替えなさも実感できる。 世の中には、根性でどうにかなることと、どうにもならないことがあるのだ。

    「んー、岩泉は結構悩んでたけど、結局進路どうするか決まった?」

     歩きながら大きく伸びをした松川は、ふと思い出したようにそう言った。
     及川は、夏のうちに在京の強豪大学からの推薦を受けることを決めていた。今も、時々学校の体育館に通って自主練習を続けながら、後輩指導につきあっている。
     既に決まった未来を思い描いている松川も、遠い未来のことを考えるのは苦手な花巻も、照準を定めて既に準備を始めているようだった。自分だけが、夏頃からずっと進路を決めきれずにいた。

    「ああ、まあな」
    「えっ」
    「あ、そうなの?」

     質問した松川より早くリアクションしたのは、予想通り及川だった。

    「決めたの? 俺聞いてないよ」
    「言ってないからな」
    「えー! 俺の時は、一番に岩ちゃんに教えたのに!」
    「頼んでねえ」
    「ひどい!」

     詰め寄ろうとした及川の攻撃から素早く身をかわしたら、斜め後ろを歩いていた松川に抱き留められていた。

    「気をつけろよ。それに岩泉だって悩むことくらいあるんだから、責めたりすんなよー」
    「うん……岩ちゃんも時には悩めるゴリラになることもあるよね。やだもー松っつん、ちょっとときめいちゃった!」
    「松川さんかっこいい~包容力ある~!」

    「ん? 俺に惚れるなよ」

    キャッキャとふざける及川と花巻に、松川が真顔で調子を合わせてくる。アホか。

    「お前ら、俺の進路に興味ねえだろ」

    呆れて先を歩こうとすると、今度こそ素早くまとわりついた及川が反論した。

    「そんなことないよ! 俺には滅茶苦茶大事だよ! なんせ超絶」
    「うっせ」
    「かぶせないで!」
    「はいはい阿吽阿吽」
    「仲いいのはわかったから、真っ直ぐ歩けよ及川」

     二人の会話に松川と花巻がさらにかぶせてくる。
     同じチームジャージを着ていた日のような、制服の帰り道。
     気の早い東北の冬が、もうそこまで近づいていた。

     電車組の花巻、松川と別れて家路を歩く。このルートは今でも走ったりしているが、今日は荷物があるから歩くことにする。
     及川は、暗くなった道の街灯を見るともなしに仰いでいた。

    「及川、前見て歩けよ」
    「ん。さっきの話だけどさ、岩ちゃん、だいぶ長い間悩んでたじゃん」
    「まあな」
    「珍しいよね、岩ちゃんがそんな迷うの」

     進路の話が、やはり尾を引いている。先程はふざけていたが、及川の表情はずっと硬かった。
     振り向いた幼なじみの茶色く柔らかな髪が、明るい街灯に照らされて透けて見える。

    「選べるとこは限られてっから、別に悩んでたってほどでもねえけど。受からなきゃ行けねえしな」
    「推薦?」
    「辞退した」
    「岩ちゃん実は俺より推薦もらってたし、結構条件よかったけど、バレー部のないところはやっぱりね。じゃあ、バレー続ける?」
    「当然だろ」

     及川の表情が少しだけ緩んで、ようやく前を向いた。

    「……よかった」
    「お前、俺がバレーやらねえと思ってたんかよ」
    「やると思ってたけどさ」

     掠れた声で小さく呟いて口を尖らせる及川の横顔を、少しだけ愛おしく思う。

    「なんっかさー、この時期結構何でもかんでも不安になっちゃったりするよね」
    「別にお前が不安になるようなことじゃねえだろ」
    「だって、岩ちゃん、バレー続けるのかも、地元なのかどうかも教えてくれないんだもん」
    「バレーは続けたいけどよ。進学先は受かったら言う」
    「そんなこと言ってる間に、俺、東京行っちゃうよ」
    「電話すっから」
    「それじゃ遅いよ~。それに岩ちゃん電話好きじゃないしさ……」
    「別に今は毎日会ってんだから喋ったらいいだろ」
    「そうだけど! それは望むところですけど!」

     及川も俺も、それから特に何を言うでもなく家路をゆっくりと歩いた。
     とはいえ、気詰まりだったわけでもない。ふたりきりでいるときは、特に気を遣って話さなければならないこともないから、無言になる時間もよくある。及川にいつ言おうかと思っていたことを幾らか伝えられたことで、俺はそれなりに満足していた。

     公園脇の駐輪所を過ぎて角を曲がると、そろそろ俺の家が見えてくる。その隣が及川家。
     見慣れた風景、いつもの玄関。今日は家の灯りが消えている。対して、及川家の灯りは明るく点っていた。
     ふと、あと何回こんなふうにこの帰路を共にするのだろうと、柄にもなく感傷的な気分になっていることに気がついた。

    「じゃあ」

     明日な、と振り向きかけて言い淀む。及川の右手が、服の裾を掴んでいる。

    「何、」
    「岩ちゃん、好きだよ」

     顔もあげずに及川はそう言った。
     俯いている幼なじみの顔を一瞬だけ覗きこんだ後、首を傾げながら鞄の中で迷子になった家の鍵を探した。いつも無造作に突っ込むので出すときに困るからと、いつかの誕生日に及川がくれたゴジラの布製キーホルダー。ごそごそとエナメルを漁っていると、指先に柔らかいフェルトのギザギザが触れた。

    「そうか。じゃあまたな」

     背を向けて鍵を開けようとすると、慌てて及川が俺の肩を揺すった。

    「ちょっと岩ちゃん! なかったことにするの早すぎじゃないの!」

     ああやっぱり、と思いながら振り向くと、及川は、その造形だけは整った顔を最大限に歪めて不満を表していた。

    「おい、その顔犯罪だぞ」
    「イケメンだから大丈夫だよ! ねえ岩ちゃん、俺の一世一代の告白聞いてた?」

     本当に言いたいことが何なのかわからなかったからなかったことにしたが、これは不正解だったらしい。
     確かに さっきの「好きだよ」は聞いたことのない響きだった。他の誰かが聞いても多分いつもの及川との違いはわからなかったろう。表情を確かめても、泣きそうだけど泣いてはいなかったから、まあいいかと思ったのだが。
     及川は無理矢理扉の前に回り込み、正面から抱きつこうとしてきた。思わずいつものように反射でかわし、気づけば顎に頭突きを食らわせていた。

    「イダ!」
    「突然何すんだよ」
    「こっちの台詞だよ! 舌噛みそうになったよ!」

     頭を抱える及川を横目に「そういやそうだな」と言いつつ扉の鍵を開ける。
    「まあいいや。うち今日親いねえけど、寄ってくか?」
    「……うん……」

     及川は涙目でスマートフォンを手にし、家族へのメッセージを打ち込んだ。
     今日、岩泉家の家族は不在だった。父親が出張中で、母親は、祖母が体調を崩したために帰省しているからだ。

    「ただいま」
    「おじゃましまーす」

     誰もいない玄関で帰宅の挨拶をし、居間の電気を点けて二人で台所に入る。
     書き置きを確認し、母が作り置きしてくれていたカレーの鍋に火を入れた。冷蔵庫にあったおかずを温め、リビングテーブルに並べて二人で座ると、「いただきます」を合図に光の速さで一杯目のカレーを食べ終えた。岩泉家の食事は一人息子の食欲にあわせてかなり多めに、ボリュームたっぷり、栄養バランスも考えて作られていて、さらに母親が家を空ける日は及川の分も用意されている。昔から互いの親が不在の時は泊めてもらうことが多く、ふたりが成長してからは逆に親のいない方の家に泊まっていたからだ。
     空腹が満たされると、人であることを辞めかかっていた及川の表情が和らいだ。 

    「あー岩ちゃんちのカレー好き……」
    「お前そんなにカレー好きだっけ」
    「岩ちゃんちのおばちゃん料理上手だし、久しぶりに食べたから。おばちゃんがいなかったら、このカレーもないし岩ちゃんもいないんだよ。俺、岩ちゃんのおばちゃんにも、おじちゃんにもほんと感謝する」
    「今更何言ってんだ。それに俺、このカレー作れるぞ」
    「マジで。すごい」

     及川が尊敬のような敬愛のような眼差しで俺を見てきたので、少しだけ気分がよかった。帰宅中にゴリラがどうとか言われた気がしたが、どうやら及川も感傷的になっていたらしい。高校三年生の秋といえば、どんなゴリラも大抵は思春期だ。

    「でも俺ねえ、カレーよりもおばちゃんよりも、岩ちゃんが好きだよ」
    「俺はお前よりカレーのほうが好きだけどな」
    「またまた照れちゃって」
    「照れてない」
    「照れろよ」
    「強要すんな」

    及川は日々、俺のことが好きだと何度も言った。それはもうずっと昔から。

    「岩ちゃん好きだよ」

    ほらまた。脈絡もクソもない。

    「あっそ」
    「岩ちゃんも俺のこと好きでしょ」
    「カレーより少し劣るくらいには」
    「劣らないで!」

     会話中によそった二杯目のカレーを流し込みながら、及川の一世一代らしい告白の続きを受け流す。付け合わせの唐揚げが奇数だったので攻防していたが、勝ったのは俺だった。

    「お前が俺を好きなのは知ってる」
    「人生の伴侶前提で付き合ってください」
    「そういう好きなんか」
    「さっきからそう言ってるじゃん」
    「言ってねえし、お前彼女いたんじゃなかったっけ」
    「いつの話してるの? 夏前からずっとフリーです」
    「お前が知らん間に付き合ったり別れたりしてるからだろ」
    「モテちゃうから仕方ないんだよっイダっ」

     何となく腹が立ったのでテーブルの下でつま先を踏むと、目の前の優男の顔が歪んだ。
     イケメンだ何だと言われ、月刊バリボーにまで掲載されてしまって本人は調子にのっているが、このグズを格好良いとは思わない。
     小さい頃は確かに女子みたいで、体も細く顔も可愛かったことは認めるが、成長して、腹立たしいことに女子にキャーキャー言われるようになって、バレーもできるようになって、どんどん可愛くなくなった。中身は大して変わっていないから、小学生くらいのまま精神年齢が停滞している。それが俺の知る及川徹だ。

    「大体お前、俺と付き合ってどうすんだよ。何すんの。デートでもすんのか。いつもと変わんねえだろ」

     及川は、大きな瞳をさらに丸くして俺の顔をじっとみつめた。たっぷり三十秒くらいガン見されて正直気持ち悪かった。
     そして二人分の皿を持ってやにわに立ち上がると、流しで食器を洗い始めた。俺も残ったグラスを持って行く。

    「何がしたいんか言えよ。お前と俺の仲だべ」

     及川は、皿を洗いながら俯き「ぐ……何それ……岩ちゃんずるい」と絞り出した。

    「何が?」
    「うう……あとで……あとで言う……ここ洗っとくから、岩ちゃん先に部屋行ってて」
    「おう、じゃあこれも頼む」
    「うん……」

     グラスを手渡しテーブルを拭いてから、心なしか立ち姿が不自然な及川をおいて、風呂に湯を張りに行った。それから、二人分のエナメルを抱え部屋に戻り、及川の分の布団を敷く。いつもなら本人にさせるのだが、今日は食器を洗っているから準備しておいてやる。
     そうしている間に及川が部屋にやってきた。

    「あ、もう布団敷いてある!」
    「おう。先に風呂入っていいぞ」
    「俺今日シャワー室でシャワー浴びたし、岩ちゃんから先に入って。俺こないだの世界戦の録画みて待ってっから」
    「わかった。適当に録画してあるから観とけ。お前の着替えここ置いとくな」
    「は〜いありがとお母ちゃん。いってらっしゃい」

    床に座っていた及川の頭を叩いてから、風呂場に向かった。

     岩泉を風呂に送りだし、バレーの録画を観ているふりをしていたが、岩泉が一階まで降りたのを確認してから床に転がり臥した。

    「ぬああ……あれ絶対本気だと思ってないよね、まったくいつもの岩ちゃんだよね……」

     大体、本気に取られて引かれても立ち直れないから、どちらが良かったのかはわからないけれど。いや、理解されていないなら、してもらえばいいのだけれど。けれど。

    「付き合って何すんの、って」

    そんなの決まってるじゃないか!

     叫びたかったが、言えるわけがない。階下には愛しい幼なじみがのんびり風呂に入っているし、ご両親は不在だけれど隣家には自分の家族もいるし、多分叫んだらご近所にも聞こえてしまう。
     それに、やっぱり引かれたら立ち直れない。この年齢になるまでどうにか我慢してきたのに、もしも今この関係が崩壊してしまったら、それこそ一生ものの後悔を背負う羽目になる。
     それより、今から風呂あがりの岩泉が戻ってくる。 もう寒くなってきているから、いくら家族がいないとはいえ裸であがってくることはないと思うけれど、一応心の準備だけはしておかなくては。うっかり先程のように油断して及川さんの及川さんが屹立しそうになったりしたら目も当てられないし、それはそれでやはり友情崩壊ルートだ。
     目の前の、高校生の部屋の相場より大きめ画面のテレビが、何度も繰り返し観たイタリア戦を虚しく映し出している。負け試合だったが、相手チームのサーブの凄まじさに目を奪われて、翌日の部活ではサーブの練習ばかりしたくなってしまった。
     それでも今日の身の振り方と発言次第では岩泉と顔を合わせられなくなるかもしれないと思えば、今夜だけはサーブ研究どころではない。

    「ああでもやっぱ、このサーブすっげえなあ……」

     床にうずくまったまま、テレビ画面に見入る。

    「だよなあ、このサーブはやばい」
    「うんほんと威力もコースもスパイク並……って岩ちゃんどうしたのその格好!」

     岩泉は、髪こそ乾かしていたものの、トランクス一枚で二階まで上がってきていた。

    「さっきお前の分の着替え置いた時、俺の分まで置いてっちまった」
    「もー早く何か着てよ。風邪ひくでしょ!」

     この人が烏の行水なのはわかっていたことだけれど、まさかこの季節にそんな格好であがってくるとは思わなかった。
     それに、風邪菌もさることながら及川さんの及川さんが暴れ出しそうだからやめて! と言いたかったけれどそれも言えなかったので、サーブに釘付けになってるフリをして転がったまま、元気になった下半身のふくらみを誤魔化した。

    「今日そんな寒くないぞ」
    「問答無用です! 風邪ひいたら困るの岩ちゃんでしょ!」
    「及川が何かカーチャンみたいなこと言ってる」

     にかりと笑って、しゃあねえ、とシャツをごそごそしている間も背後からシャンプーの匂いが漂ってきて、とてもそちらに目をやる勇気はなかった。
     なのにそれでも及川さんの及川さんによる内なる命令に抗えず横目でちらりと見てしまい、また及川本体が倒れ臥した。見慣れているはずの半裸にまでこんな反応を示すとは、どうした及川さん落ち着いて。

    「うう……今日俺大丈夫かな……」
    「何が? もしかしてお前風邪気味なのか?」
    「あっううん、大丈夫。俺もお風呂もらってくる」
    「おう。ゆっくり暖まれ。もし具合悪かったら早めに切り上げろよ」

     またしても腰元に不安を覚えながら、用意された寝間着を前にあててそっと立ち上がる。
     つい長風呂になってしまいがちな自分に、岩泉が声を掛けてくれたので、空いた片手を振って笑顔で応えたら、「早よ行け」と追い払われてしまった。

     たっぷり湯を張ったバスタブに顔半分まで浸かりながら二階に思いを馳せる。この元気な及川さんを鎮めつつ、彼に想いを伝える方法があればいいのに。
     本当はもう少し先、できれば進学先が決まってから告白する予定だった。けれど、今日、思いがけず進路の話などしたせいで、どうしても言いたくなって、家に帰ってくる直前まで我慢していた。
     だけど、玄関先まで来たら、岩泉家の灯りが消えていた。
     今日は、今日なら、きっと「泊まっていくか」と訊いてくれる。
     受験勉強の忙しいこの時期だ。部活の引退からこちら、たった一週間だが、岩泉と過ごせる時間は嘘のように減った。
     青城は白鳥沢のような超進学校ではないが、そこそこ出来の良い生徒の集まる学校である。スポーツ推薦入学組とはいえ、大学進学に困らない程度の学力を維持してきたつもりだ。
     それでも推薦入試を受けるわけでもなく、バレーも続けるというなら、一分一秒を惜しんで勉強しなければならない時期だろう。
     自分の欲望のままに想いを伝えて、少しでも心を乱してしまったことを少し後悔する。まあ、多分伝わってないけど。

    「ごめん岩ちゃん……」

     呟いてから、及川はバスタブから出て、自分のそれに手をかけた。一度では収まらないそれを鎮めてから、きちんと全身を綺麗にして、置かせてもらっている歯ブラシで歯も磨いてから部屋に戻る。
     理性を取り戻し、岩泉の信頼を失わず、自分の気持ちを伝えること。それができれば、あとは時間が解決してくれる。きっと。

    「岩ちゃ〜ん、あがったよ〜」

     部屋の外から声を掛けても返事がない。

    「いーわちゃん?」
     扉を開けて戻ると、岩泉はベッドで既に寝転けていた。自分があがってくるのを待っているつもりだったのだろう、部屋の電気は点けっぱなしで、申し訳程度に参考書を開いたまま意識を失ったらしい。
     ベッドの淵に腰掛けて健やかな寝顔を眺めていると、何故だか胸の奥が詰まる思いがする。

     春も、夏も、秋も、冬も。
     どの場面にも、この人との思い出が溢れている。

     これまで、岩泉の一番はバレーボールであり、多分自分だった。きっと本人には否定されるけれど、そこは信じて疑わなかった。同じものをみて、同じ目標を目指してくれた。いつでもベストの状態で自分のトスを求めてくれたことこそが、答えだったと思っている。
     自分には、人生を賭する覚悟を決めたバレーボールがある。だから自分は岩泉が傍にいなくとも、空虚に苛まれることはない。でも岩泉のいない春からの毎日を思うと、それがもう寂しくて悲しくてつらい。
     岩泉には「じいさんになるくらいまで幸せになれない」と言われたけれど、生まれた時から秀でていると言われてきた容姿、血を吐くほどの努力をしなくても保てた学力、大きな怪我も病気もせず競技スポーツを続けることのできた体力、そのどれもが親から貰ったギフトであり、宝であることに違いはない。
     だけど今、何よりも一番誇れるものは。
     ともに青春のすべてを傾けた、唯一無二の幼なじみの存在。ここで、くうくうと寝息をたてて、涎を垂らして寝ている人。

    「岩ちゃん」

     声に出してみると、じわりと視界が滲んだ。

    「ん……」

     目を覚ましそうになったので、慌てて瞼に浮かんだ水滴をタオルに押しつける。

    「岩ちゃん、起きた?」
    「ん」
    「ごめんね、寝てていいよ」
    「起きる」

    まだ寝ぼけた声で、しかし一気に身体を起こして及川の顔をぼにゃりと眺める。

    「何で」
    「えっ?」
    「何で泣いてんだ」

     自分の頬に手を当てて確かめた。泣いているつもりはなかった。涙も溢れていないし、先程じんわりしていたのも、多分目が充血するほどのことはなかったはずだ。

    「……泣いてないよ」
    「そうかよ」

     岩泉の瞼は、すでにぱっちりと開いていた。
     こんな純粋で強い視線を感じていたら、もう一度告白の続きをやるなんて申し訳なくて出来そうになかった。心を入れ替えて、禊を施してから風呂からあがったけれど仕方がない。

    「今日は久し振りに試合遊びもできたし、早めに寝ようか。岩ちゃんも勉強は明日からにしてさ」
    「でも、お前からまだ話の続き聞いてないだろ」

     覚えてた。
     多分まだ寝ぼけてるくせに覚えてた。

    「うん、でももういいよ、明日でも」
    「もう起きた」

     なんでそんなところで強情なんだよ! せっかく人が頑張って色々堪えてるのに!

    「なんだっけ……お前、俺が好きなんだっけ?」

     そうだよ! 何度も言うけど大好きだよ!
     いつもならそうとっくに言い返しているところだけれど、先程まで感傷的になっていたからか、うまく言葉にならない。

    「そんで、俺と……そういうこともしたいのか」

    もちろんそうだよ!

    「って岩ちゃん、その、」
    「わからんけど、キスとか」

     ついに我慢ができなくなって、目だけはぱっちり起きているけれど多分まだ脳ミソが寝ぼけている岩泉の肩をベッドにドンした。言語力が低下していることはお許しいただきたい。彼の口から、自分とのキスという言葉が出てくるなんて、想像もできなくて動揺している。
     岩泉は、驚いた様子もなくただじっと見上げてきた。できれば目は閉じて欲しいのだけれど、もうそんなことを言っている余裕もない。

    「ごめん、岩ちゃん」

     片手で自分の身体を支え、片手は岩泉の手を握って、無意識に尖らせている唇にそっと口づけて、そのままどさりと上に覆い被さった。

    「ごめん……」

     組み敷かれたままの幼なじみから何の返答もないことが怖かった。どんなに大切に思っていても、無理矢理なんて許されるわけがない。
     世の尺度で言うなら、一度や二度のキスで人生が変わってしまうほどのことなどないだろうけれど、その一度や二度の過ちで二度と手に入らないものを失うことがないとは言えない。わかっているからこの聖域に立ち入ることはなかったのだ。
     長く大切に抱えてきた想いは、次第に重く暗く変形しそうになることが何度もあった。そのことを恐れて幾人かの女の子と付き合ったりもした。もしかしたら、今度こそは、そう期待するたびにきっと申し訳ないことをしてきた。最終的には、うまく振られるスキルばかりが上がって、なんだか高校生にして本当のクズのようだった。

    「及川」
    「何? 岩ちゃん」
    「泣くな」

     言われて、今度こそ岩泉のシャツの肩を濡らしているのが自分の涙であることに気がついた。

    「ごめ……」
    「泣くなって。なんで泣いてんのかわからねえけど」

     自分でも、何故泣いていたのかわからない。罪悪感で昂ぶっているだけかもしれない。

    「お前のキスくらい俺は痛くも痒くもねえよ」
    「痛かったり痒かったりすることもあるの?」
    「さあ、あるんじゃねえの。でもわかんね。俺はお前が初めてだし」
    「! お、俺で最後にする気はないですか」

    衝撃のあまり敬語になってしまった。

    「それは別にねえけど」
    「あっいま俺のガラスのハートが傷ついた」
    「誰がガラスだ、牛乳パンだろお前のは。でもまあ、何でお前が泣いてんのか全然わかんねえけど、結局お前はこういうのがしたかったのか」

     岩泉の脳は完結に答えを出したがる。そう言われれば確かにそうなのだけど、それだけでもない。でもどう表現すればうまく伝わるのかはわからなかった。

    「うん、でも、そう……かな」
    「いつから」
    「中二」
    「えれえ昔だな!」

     引かれることに怯えていたけれど、もうここまで来たら怖いことなどあるものかと正直に答えたら、想い人に爆笑された。

    「お前馬鹿じゃねえのか。あ、でもお前彼女いただろ」
    「あれは、向こうから言われたから……ほんとはバレーがあるからって一度は断ってるけど、押しの強い子が多くて」
    「好きでもねえのに付き合えるもんかって何度も聞いただろ俺」
    「うん……反省してる。ほんとは、期待してたんだ」
    「何を」
    「今度こそ、岩ちゃんより好きになれるんじゃないかって」

     ギュッと抱き締めると、岩泉の胸板が熱を発していて暖かい。

    「阿呆が。そんなんやってっから恨まれるんだ」
    「俺が悪かったと思う」
    「でも一度は断ってるんなら、相手もわかってるだろ。もう、そういうのやめろよ」

     信じて貰えるかわからないけど、岩ちゃんにそう言って貰える日をずっと待ってた。

     そう呟くと、黙って抱き締め返されて、また涙が零れた。

    「で? 何があったの、昨日」

     翌日、弁当がなかったので食堂にパンを買いに行ったら、岩泉と花巻が二人で昼飯を選んでいるところに出くわし、何となく一緒に屋上で食べることにした。

    「何がって、何が?」
    「昨日、及川となんかあったんでショ」
    「は?」

     サンドイッチにかぶりつきながら真顔で問う岩泉に、花巻が目を閉じて首を横に振った。

    「俺もそれ聞こうと思ってたんだけど。及川、朝から大喜びで岩ちゃんがどうのこうの言ってんだけど、何言ってっかわかんないの」

     岩泉は一瞬固まった後、あの馬鹿、と目を閉じて溜息を吐く。ある程度の予想はしていたが、斜め上に来た感じか。

    「んでさ、昨日、進路の話とか出したの俺だしさ、ちょっと何があったのか気になるなって」
    「まあ大体想像はついてんだけど」

     したり顔で交互に話すチームメイトふたりに、岩泉はもう一度大きな溜息で応えた。

    「別になんもねえよ」
    「えーでもなんかチューとかしたんだろ」
    「その先もやろうとしてお前に殴られたけど、お前今度なら試してもいいって言ったんだろ」
    「何でそういうことになったのか詳しく」
    「及川あの野郎本気で殴られたいらしいな」

     大急ぎでパンを口の中に放り込んだところで、バン! と音をたてて屋上と非常階段を結ぶ扉が開いた。

    「あっ、みんなこんな所にいる! なんで誘ってくれないの!」
    「ウザい」
    「ウザいな」
    「及川お前今すぐ謝るのと殴られるのと息の根止められるのどれがいい?」
    「ごめんなさい!」

     岩泉に不穏なことを言われたにも関わらず、謝りながら走ってきて岩泉に抱きつこうとして背負い投げされている。忙しい奴だ。

    「で、結局くっついたの?」
    「誰が。誰と」

     この世の終わりのような凶悪な表情で答える岩泉も、日々を共に過ごした我々からすれば子犬のように可愛い生き物だ。見た目は多少パワー5リラでも。

    「いやもういいよ松川、及川来ちゃったしその話題ふっても喜ばせるだけだろ」

     満面の笑みで三人にニコニコと愛想を振りまく元主将に視線を移して、確かにそうだなと追求を諦めることにする。もう十分面白かったし。

    「そんでさあ、みんなのこと探してたのは、みんな大学受かったら、卒業旅行したいなと思って。バレー部で遠征はしたけど、あんま皆で遊んだりできなかったじゃん?」
    「あ? 受験戦争から一抜けしてる奴は随分余裕だな?」
    「それさー誰か一人でも落ちてたらどうすんのよ」
    「さっすが及川はドSだな」
    「信じてるよ! お前ら!」

     この期に及んでそれかよ! と三方から突っ込まれたが、何だかんだでそれも楽しそうだ。出来るなら、全員の合格を迎えてから心おきなく行きたい。
     行くならどこか、という話をしていたら、岩泉が「北海道……」と呟いた。

    「北海道ね。いいんじゃん?」
    「メシもうまいしね。三月だと多少寒いかもしらんけど」
    「北海道? あっもしかして岩ちゃん、まだあの時のこと根に持ってるの?」
    「うっせえ。高校で俺に彼女ができなかったのは全部お前の所為だ」
    「全部じゃないよ~しょうがないジャン? 岩ちゃんはお顔が地味なんだア痛ァッ」
    「でもあれはお前の所為だったじゃねえか」
    「だって嫌だったんだもん! 岩ちゃんに彼女ができるなんて絶対許さなァ痛ーー!!」
    「だもんじゃねえよックソ及川」

     その話なら俺も聞いたことがある。二年の時、岩泉を旅行に誘ったのは学年でもなかなか人気のある女子で、女子との旅行など学校行事以外に縁のなかった岩泉クンはうっかり及川に口を滑らせた。
     部室で旅行の話を聞いていた及川は「へ~いいじゃん、お土産よろしくね」とか何とか言った気がしたが、すぐに監督と相談して関東の強豪校との練習試合を設定してきた。女子との夏の北海道は大変魅力的だったに違いないが、それより何より、岩泉はどうしようもないバレー馬鹿だった。二年にしてレギュラーになってまだ半年にもならなかったし、その練習試合を外すことなどできなかったのだ。
     だから、多分全部とまではいかないだろうし暴論だと思うけど、及川の所為というのは概ね間違ってもいない。岩泉が本当は割とモテることを知らないのは、多分本人だけだと思うから。でもそんなことを言ったところで岩泉は信じないだろうし、恋愛に対して奥手な岩泉に女子がコロンといきそうな時、及川は必ず目を光らせて行く手を阻んでいる。恐ろしい話だが、本当にそうなのだ。
     でも、岩泉に及川以外の恋人が出来たりしたら、阿吽の平和バランスが崩れそうで、元チームメイトの俺達としても歓迎できない事態だ。

     全力のヘッドロックをかけられて、及川が瀕死で助けを求めている。

     ああ、今日も世界が平和でよかったね、ほんと。
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    らに🌷

    DONEバレンタイン前日にちゅーするふたりだよチョコレートが好物である凪砂からバレンタインチョコを所望されたのは想定内。ついでにそばにいた日和までが欲しがったのも、想定外とまでは言わない。日和があれこれ喧しく騒いでいる横でジュンが黙っていたのだって、茨にとっては想定内だったから、どうせ後で何かしら言ってくるだろうとは思っていたし。
    「あの、茨」
     それまで黙って本を読んでいたジュンが急に声を出したので、茨は画面から視線を外して顔を上げた。仕事中だと分かっていて声を掛けてくるのは珍しいから。
     それなのに、ジュンはこちらを見てもいなかった。視線は本に落としたまま、それでも茨が仕事を中断したことには気付いたんだろう、一瞬、躊躇うように息を吸った。
    「……や、ごめん、後にします」
    「……今どうぞ?」
    「うぅ〜……あ〜、え〜とですねぇ……」
     イラッとしなかったと言えば嘘になる。舌打ちをしなかったのは、ジュンがきちんと茨に向き直ったからだ。言いたいことがまとまっていないようだけれど、かといって今、このタイミングで「やっぱり後で聞きます」と言えば、それはそれで萎れそうな恋人。
    「おやおや、いつもの調子はどうしました?」
     仕方がないのでタブ 4046