お気の済むまで「王子、ネクタイを贈ってもいいか?」
「うん?」
クラウチと付き合うようになってからというもの、細々とした贈り物が増えた。ような気がする。といっても本当にちょっとしたものだ、ぼくがいつも好んで買ってる紅茶のペットボトルや、買おうか悩んでいた本、ブックカバー、靴下、スマホのストラップ型リング。靴下を贈られたときは正直言って何で? と思ったけど、お前に似合いそうだからと言われて有り難く貰っておいた。今日はその靴下を履いて出掛けている。
急激に冷え込んで、温かい秋冬の服が欲しくなったところだった。クラウチとぼくは三門市から都心に伸びる路線に乗って、買い物に来た。のどかな三門市から比べると高層ビルが立ち並ぶ風景はいかにも都会めいている。このマップならグラスホッパー必須だろう、と考えてしまうのはいわゆるゲーム脳に近いんだろうか、それとも。
傍らのクラウチはビルを眺めるでもなく、左右のショップを見るともなしに見ながら、目的地に向かって歩いていた。ぼくはその斜め後ろをついて歩いている。土曜日だ。人の出は多く、ぼんやりしているとすれ違う人と肩がぶつかりそうになるぐらいだ。時折クラウチが心配そうにチラチラとこちらを見てくるので、ぼくは五歳児か何かに思われているかもしれない、と思うと笑いが込み上げてくる。心配しなくても、きちんと人は避けて歩くし、迷子にもならないさ。
広い駅周辺だ。路線の問題で、同じ駅といえども目的の駅ビルに着こうとするだけでやや歩く。やっと辿り着いて、ぼくは外壁だけ歴史を感じさせる佇まいのビルを見上げた。緩やかに人が流れている正面玄関から建物内に入る。
「メンズフロアは七階だって。エスカレーターで行こう」
入り口の二枚扉の間にあるフロアガイドにちらりと目をやり、クラウチに言う。辺りを見回してから、エスカレーターに並んで乗り込んだ。
「ああ……」
「どうしたの?」
「いや。市街地Dだな、と思って…」
「ぶふ」
よりによって飛び出したのがその一言で、ぼくは吹き出す。ちょうど同じことを考えていたよ、クラウチ。吹き抜けでもなく緩やかに人を運んでいくエスカレーターに乗っても、狙撃手はいない。ぼくたちは安心してエスカレーターのステップを越え、上階へと進んでいった。
フロアにはあまり人の姿はない。グランドフロアの混み具合が嘘のようにゆったりとしていた。小物の並ぶエリアを越えて、ぼくがよく買うブランドのショップに足を踏み入れる。いらっしゃいませ、という品の良い声がかけられた。
「ぼくがよく買うのはここ。あとはウニクロもよく行くけれど、ネクタイはあんまり無いだろう」
「そうだな」
「何かお探しでしょうか?」
着いてきたクラウチにそう説明していると、するりとショップ店員が声をかけてきた。クラウチが顔を上げて、少し首を傾げる。
「ネクタイか、あるいは首元に飾れるような何かが欲しくて」
「でしたら、この辺りになります」
そう連れられてゆくクラウチから離れて、ぼくはアウターが吊されている方の棚へと足を向けた。コートはまだあるけど、革もののアウターが少し欲しい。ちら、と見ると流石にいい値段だ。夜間の防衛任務を増やすか。
隣はジャケットと、柄のあるシャツが並べられていた。ややモードな感じで、心引かれる。羽矢さんが好きそうな雰囲気だった。
「王子」
向こうから呼ばれ、ぼくは手にしかけたシャツを戻してクラウチのそばに行く。ガラステーブルの上にいくつかのタイが並べられていた。カジュアルで使えそうなニットタイがいくつかと、遊び心のある柄のナロータイ。シンプルな織り柄のタイ。それぞれ二、三本が出してある。
「どれがいい?」
「きみが贈りたいんだろう」
「そうなんだが、せっかくならお前の気に入るものにしたいだろう」
「うーん…なら、やっぱりニットタイかな」
店員が手に取りくるり、と結び目を作る。ぼくが今著ているシャツの上へと当てようとするので、クラウチがさりげなくその手からタイを奪い、ぼくの首元に添えた。
「どう?」
クラウチが真剣な目をして、選び取った二本を交互に当て、目を細める。眉をひそめ、それから緩やかに首を振った。
「……決めきれない」
「あはは、そうだろうね」
ぼくが笑って言うと、店員が更に別のタイを出してくる。これはこう、これはどう。その説明を熱心に聞いているクラウチを放置して、ぼくはシャツをいくつか試着してそのうちの一着を買って、店を出た。
「結局、買わなかったんだ?」
「ああ、…あまりあっさり決めるのも何だなと思ってな」
「でも、たかがネクタイの一本だろう。値段の問題なら、任務でも増やすかい?」
「貯金はな、お年玉もまだたんまり残っているし問題ないんだが」
問題はそうじゃない。そう、まるで深刻な問題のように苦悩するクラウチに笑いながら、二人で昼食をとった。
ネクタイを当てるとき、クラウチはぼくの襟元を、まるで慈しむようにひと撫でした。その手つきをぼくは覚えている。クラウチがそのように人に――ぼくに触れたときのことを、ぼくはよく覚えている。
気の早いことだ、と言ったらいいのか、そこまで求められていることを喜んだらいいのか。
首輪collarにはまだ遠く、指輪とも違うその仄かな独占欲を微笑ましく思う。ぼくの恋人はどうやら、大変可愛らしい人のようだ。それを、誰かに言うつもりなんて、毛頭ないけれど。
クラウチの可愛いところも、駄目なところも誰にも見せたくはない。だからぼくは、外で彼が品行方正であればあるほど嬉しい、と思っている。さて、本当に醜い独占欲を懐いているのはどちらか。統制の取れたDomである彼のことを、ぼくは好ましく思っている。だからこそぼくも、彼の前だけでSubでありたい。
大事なモノを奥深く独り占めしたい、なんて気持ちを、十八になって抱くとは思わなかった。
そんな気持ちを抱かせるクラウチは、ほんとうに、おもしろい。おもしろくて飽きなくて、大好きだ。
言わないけどね。
なお、結局クラウチ悩みに悩んで、後日、ぼくがひそかに一番いいな、と思っていたネクタイを贈ってくれた。湧き上がる嬉しい気持ちをなんとか押し殺していたら、クラウチがネクタイを手ずから締めたい、という。
結果はきみの想像の通りさ。もちろん、締めるだけじゃなくて、「絞める」こともしたとも。
その、外側から見たら異常なことを、お互いの中だけで許し合うことの不健全さを、ぼくはいつか、飲み込んでいくだろう。
きっとぼくが飲み込むのと同じぐらいの刻をかけて、クラウチもまた、自分の嗜虐性と折り合いをつけていけられたらいい。ぼくはそう思う。
その緩やかな変化を、ぼくは好む。今日と明日が必ずしも連続していないことは、ぼくたちはよく知っている。だからこそ、地続きのように未来を信じられることの僥倖を、心底噛みしめる。
もしもクラウチがそばにいなかったら、ぼくは何をしていただろうか?
そう思える程度に、ぼくの隣にクラウチがいることを、当たり前としている。それは怖いことだけど、その不安を、ぼくの首元のネクタイが優しく支えてくれていた。
という意味じゃ、既にこれは、首輪collarだ。形があることで支えられるものがある、と、ぼくはクラウチに教えられた。
これからも、きっとぼくは色々なことを、クラウチから教わるだろう。彼がそうと意図しないままに、ね。
クラウチ。
ぼくのクラウチ。
言葉にせず、ぼくは呼ぶ。それを口にするとき、きっと、ぼくは首輪collarを貰うのだと思う。
なぜか、ぼくはそう思った。そして、それが限りなく正しい予知だとも、思った。
――ちなみに。
その年、ぼくはネクタイを計十本もらった。