パジャマのズボン 「身長」***
「ただいま。今日は早く帰れた…ん…だな、ヒュンケル…」
「おっ…かえり、ラーハルト」
二泊の出張から帰宅してリビングに入ったオレの目に飛び込んできたのは、オレのパジャマの上下を着て佇む、愛しい男。切れ長の美しい目をほんの一回りだけ大きくして、黒目をつーと泳がせている。オレがいなくて寂しくてそんな趣向に走ったのか…?いや、この男は二泊程度で寂しがるほど女々しくはない。洗面所をちらりと見遣って、そんな格好の理由には目星がついたが、それはさておき、帰宅早々、オレの方が、視覚から受けたその刺激で俄に興奮してしまった…この程度で反応するとは。出張前からしばらく忙しくて触れ合ってなかったからな…。くそっ、かわいいな…。
「す、すまない、勝手に借りた」
「謝ることはない、別に構わん。大方、生活に関することは見積もりの甘いお前のことだ、オレがいない間、洗濯をサボって替えがなくなったのだろう。だが…返してもらおう、もう必要なくなるからな…」
「なっ…いきなり脱がそうとするなっ。お前はまず風呂に入ってきたらどうだ」
「そうだな。ではお前も一緒にどうだ、ん…?」
「オレはさっき入ったから…そうだ、お前が湯船に浸かってから呼んでくれたらいい」
「ん、そうか…?ではそうするか」
***
あぁ、オレだって早く触れ合いたいさ!今週はお互い忙しくて、こうしてゆっくりと共に過ごせるのは久しぶりだからな。お前の一日生きた匂いはオレにとっては刺激的だし、たっぷりの泡で互いの体を洗い、その感触に気分が高まって、何にとは言わないが雪崩れ込むのもやぶさかではない。それからまた体を流して、二人で湯船に浸かって、互いの肌を感じながらこの数日の話をしたり、耳元で愛を囁き合ったり。…しかし今、同時に服を脱ぐわけにはいかんのだ!オレの小さなプライドが恥ずかしいと言うから…!
ラーハルトが不在だった二晩、一昨日の夜は職場の飲み会で、昨夜は残業して帰宅してすぐ、子どもの頃に通っていた道場の先生が出場した剣道大会の録画を見始めてしまい(先生は順当に勝ち進んで来週の決勝に出ることになったが、相手は長年の宿敵なので、優勝できるかはわからない)、朝は昨日も今日も寝坊気味、という調子で、洗濯物を溜めてしまった。だから帰宅してすぐ、着ていたワイシャツとアンダーシャツを脱ぎ、溜まっていた洗濯物と一緒に洗濯機に放り込んで(ワイシャツはそれぞれちゃんとネットに入れた)、スイッチを押し、風呂に入ったのだが。風呂場から出て、今穿けるズボンがないことに気づいた。
そうだった。オレがパジャマ代わりにしていたスウェットのズボン三枚のうち一枚は、膝のところが破れてしまって捨てたのだった(冷蔵庫に麦茶のおかわりを取りに行くのにいちいち立つのが面倒で、しばしば畳の上を膝歩きしていたら、擦りきれた。ズボンには申し訳ないことをしたと思う。今はちゃんと立って取りに行くことにしている)。一枚は、一昨日の朝、そろそろだなと思って脱いだときに洗濯かごに入れた。もう一枚は、昨日、先生の試合を見ていて思わず力が入って、箸で持ち上げていたハンバーグが切れて落としてしまったときにソースがついたので、これも今朝、揉み洗いだけして、洗濯かごの一番上に置いていた。つまりオレのズボンは二枚とも、今は洗濯機の中だ。
ちなみに、破れたズボンと一緒に、首のところがやや縒れてきていたTシャツも、ラーハルトに言われて捨てた(オレは洗濯を繰り返してくたっとした着心地がわりと気に入っていたのだが、初めからそういう着心地のを探してやるからと言われてさようならをした)。
ラーハルトは身につけるものにこだわりがあってお洒落できれい好きなので、パジャマも、質のよさそうなやつを何着も持っている。仕方ない、一着借りよう。オレもあいつも、体格は大して変わらないから。
…と思ったのに!なぜだ、なぜ裾がこうも余るのだ!くっ…あいつが履いているときは、くるぶし辺りに裾がきていたはずだ。たしかにあいつの方がオレより身長が3cmほど高い。しかしだ。この裾の余り具合は、その3cmが全て、脚の長さの差だということを教えているではないか!恋人の脚が長くてかっこいいのは素晴らしいことだが、オレも男だ、ちょっと…いやかなり…悔しく感じてしまった。
裾を引き摺らないように(いや正直に言う、裾が余っていることをあいつに悟られないように)、腰のところを折って上からTシャツを被せてみたが…もこもこして不恰好だな。あと脱ぐときにバレるな。今日は暑いし、後は寝るだけだから、もうズボンなしでいればいいか。
そう思って脱ごうとしたのに。その前にお前が帰ってくるから。裾が余っているのを見られるのもばつが悪いが、それを気にしていることに気づかれるのはもっと嫌だ!
あいつが無理を通さず先に風呂に行ってくれてよかった。あいつが入った後で脱いで入ってしまえば、大丈夫だ。
「ヒュンケル、いいぞー」
***
フッ…。パジャマの下のお前の体を、その腰がどんな曲線を描いているかを、頭の中でパジャマを少しずつ剥がしながら見ていたオレが、お前の腹回りがもこもこしていたのを見逃すはずなかろう。パンツの裾が余るので腰のところを折ったな?それを見られるのが恥ずかしかったか。あるいはそれを恥ずかしがっている己を恥じたか。かわいい奴め。
お前の足が短かろうが長かろうが、それを気にしようがしまいが、オレがお前を疎むことなどあり得ん。膝立ちで移動するのは少々無精が過ぎるが、それも構わん。かつてのお前は自分を追い込んでばかりだったからな、今生はそれくらいで丁度よかろう。お前はまだオレ達の本当の馴れ初めを思い出していないようだがな。それでもお前はオレを見つけたのだ。オレがお前を、お前がオレを、生涯の友、いや永遠の伴侶としたことは、もはや揺るがん。
さて、お前の葛藤には気づかなかったことにして、さっさと新しいパジャマを買っておいてやろう。最初から柔らかい生地で、丈もちょうどよいものを。
難しいことはなしだ。久しぶりに長い夜だ、今夜も、何回でも、愛を囁いてやるぞ…。
Fin.